第1話
「村が……燃えている? なんで……どうして……!?」
焼けこげた空気のなかで妹をだきしめていた。
視界がゆらいで耳なりがする。
私の叫び声だけがあたりにひびく。
村は炎につつまれ、かつての面影はどこにもなかった。
「セリナ……どうして……どうして起きてくれないの……」
答える人はだれもいない。
——これが私、リア・フェルナンドの原点にして、世界を大きく変えるきっかけだった。
「二人とも、気をつけるのよ?」
「もうママ! わかってるって!」
「それはそうだけど……リア、ちゃんとセリナのこと見てあげてね?」
「まかせて」
「むぅ、ママはお姉ちゃんばっかりに言ってる! 今日はお姉ちゃんの誕生日なんだから私がおもてなしする側だよ!?」
妹のセリナがふくれっ面をする。
可愛らしい仕草に、おもわず笑みがこぼれた。
しかし、それを穏やかにみつめる私には秘密がある。
——転生者。
身体こそ10歳の少女だが、中身は30歳をこえたおじさんだった。
くわえて魔法の才能もあった。
いまの世界には詠唱魔法しかないらしいが、どういう理屈か、私だけは無詠唱で魔法がつかえた。
「ふふ、そうね。ごめんなさい」
母がセリナにあやまってから私をみる。
茶色の目が心配そうにゆれた。
「リア、森の様子がすこしおかしいみたい。いつもより早く帰ってきなさい。わかった?」
「心配しすぎ、大丈夫だよ。それ、父さんが言ってたことでしょ?」
「あら、よく覚えてるわね。さすがリアだわ。二人とも、くれぐれも気をつけて行くのよ?」
「もう! もう! ママはお姉ちゃんばっかり! 知らないんだから!」
セリナはすねて、先に行ってしまった。
母と顔をみあわせて苦笑いして別れをつげると、速足でおいかけた。
ようやく追いついたころには、もう村の出口。
セリナは口を尖らせたままで、機嫌はまだ直っていないようだ。
「みんなお姉ちゃんのことばっかり!」
「あはは……ごめんね、セリナ」
「謝らないでよっ! わかってるもん。お姉ちゃんは魔法も使えるし、頭も良いし! 私の自慢なんだからっ!」
「そんな風に思ってくれてるんだ。じゃあセリナのために、もう少し頑張ろうかな?」
「ダメッ! 絶対ダメだからね! これ以上がんばらないで!」
「ええ? でも自慢のお姉ちゃんじゃなくなっちゃうかもよ?」
「うー……それは、そうだけど! でもでも! そうすると、みんなお姉ちゃんのことばっかり言うんだもん! 私も褒められたいの!」
セリナはたまに私を困らせる。
前世をふくめて、すでに40年。
女心というのは、むずかしかった。
「じゃあちょっと手を抜こうかな」
「それもダメ!」
思わずうなる。
今日はいつもと違うようだ。
妹の成長を喜ぶべきなのか、頭がよくなってしまったのを嘆くべきなのか分からなかった。
「うーん、どうすれば良いのかな?」
「お姉ちゃんはそのままでいれば良いの!」
「あ、それでいいんだね。分かった。じゃあそうするよ」
「それでよし!」
セリナは満面の笑顔で胸をはった。
言っていることが矛盾しているのに、気づいていないんだろう。
その様子が可愛くて、ちいさく笑いがもれる。
「さー、ほら! 早く行くよ! 今日はお姉ちゃんの誕生日なんだからね! あっ、と驚かせてあげる!」
セリナがぐいぐい、と手をひいて森のわき道を歩きはじめた。
いつもなら聞こえてくるはずの、鳥のさえずりや小動物の足音がない。
風が木々をゆらす音だけが耳にとどいた。
森の様子がおかしい、か。
たしかに、いつもより不気味に感じる。
そんな気持ちだったからか、チリチリとした不穏な気配が背筋をつたった。
私はあたりを警戒しつつも、わき道をすすんだ。
しばらくすると見晴らしのいい丘についた。
ゆるやかな斜面いっぱいに白い花がさいて、あまい香りが風にのって漂ってくる。
「お姉ちゃん、どう!? すごいでしょ!」
輝くような茶色い瞳をみて、目を細める。
「すごいね、本当に。これを見せようと思って連れてきたの?」
「うん!」
屈託のない笑顔に頬がゆるんだ。
「だって今日はお姉ちゃんの誕生日だもん! 私にはこれくらいしかできないけど……」
「これくらい、なんて言わないの。嬉しいよ。だってセリナが私のことを思って連れてきてくれた場所だもん」
「でもお姉ちゃんは私のお誕生日で、魔法を使って楽しませてくれるもん!」
「セリナ、大事なのは気持ちだよ」
「気持ち?」
「そう、相手のことを思う気持ち。だから十分だよ。ありがとう」
「うーん、そう? そうなのかな?」
前世の死因はよく覚えていない。しかし死に至るまでの過程はよく覚えていた。
始発で仕事へむかい、終電でかえる。
場合によっては会社に何日も寝とまりすることもあった。
そんな日が何日か続いてふと気づけば、いつの間にかリア・フェルナンドに転生していた。
私は死んだのだと悟った。
あの頃に戻りたいとは思わなかった。リアとして生まれ、セリナの成長を見届けるのがとても楽しくて、嬉しかった。
ゆったりとした時間の中で、またチリチリとした不穏な気配を感じた。
さっきよりも強い。
「またこの感覚……イヤな感じ」
ふと遠くを見ると、空の先がすこし暗い。
同時に遠くから低い、うなるような風の音がする。
道中をふくめて、森の様子がおかしかった。
——森の様子がすこしおかしいみたい。いつもより早く帰ってきなさい。
母の言葉を思いだす。嫌な予感がした。
「セリナ、帰ろう」
「え、どうしたの? なんで急に?」
「なにか来てる気がする」
「どういうこと?」
「いいから早く!」
私は普段、怒鳴ることなんてなかった。
セリナが目を丸くしている。
「わ、わかったよ。お姉ちゃん、そんな怒らないでよ……」
「ごめん、セリナ」
手をとって急いで丘をおりる。必死に走った。
しかしすぐに、巨大な黒い影が頭上を通っていく。
ムダな努力だ、と笑われているようだった。
「お、お姉ちゃん……あれ……!」
「大丈夫だから早く……!」
出した声が震える。
セリナの視線の先になにがいるのか、すでに気づいてた。
影は、みたこともない数の魔物だった。
一匹の影がセリナの背後から、急にあられた。
「セリナ、伏せて!」
「あっ、お、お姉ちゃん!?」
私は反射的にセリナを押し倒した。
次の瞬間、鎌のような腕が頭上を横ぎる。
危なかった。あとすこし遅ければ、二人とも死んでいた。
バクバクと高鳴る心臓をおさえこむ。
私はおそってきた虫型の魔物に、無詠唱で火球をぶち込んだ。
しかし魔物にはあまりダメージを与えられなかったらしい。
致命傷ではなかったものの、目くらましにはなっていた。
たまたま近くにあった木の穴に、私とセリナは隠れる。
出入り口も小さくて、木ごと切り倒されなければ安全だろう。
目でさがす魔物なら、私たちに気付くことはない。
木の穴に隠れた私の手は震えていた。
私には魔法の才能があった。大人たちが一目おいていたのも知ってる。
でも10歳の子どもを狩りに連れて行くことは、普通しない。女ならなおさらだった。
だから私には実戦経験などなかったのだ。
息を押し殺して、魔物がさるのをまつ。
幸運なことに私たちをおそってきた魔物は、すぐに興味を失ったらしい。ブーンという羽音をたて、どこかへ飛んで行った。
小さく息がもれる。
「お姉ちゃん……お父さんとお母さん……大丈夫だよね……」
「大丈夫……に決まってるでしょ……?」
抱き着いてくる妹の背中をさする。
このときばかりは前世の記憶に感謝した。
内面はともかく、外面だけでも冷静にみえるのは前世があったからだ。
「うん……」
「魔物がいなくなったら探そう」
「…………うん」
セリナの返事に元気はなかった。
魔物は村の方向に進んでいる。
あの大群をどうにかできる人は村にいない。だからきっと……いや、考えるのはよそう。
私が不安になれば、セリナも不安になる。
セリナは泣きそうな顔で、震える身体で口を押えていた。
「私がいるから大丈夫。セリナ、泣かないで」
空を覆う魔物たちが多くなるにつれて、チリチリとした嫌な感覚が強くなるのを感じた。
「この感覚はなに……?」
答えを知っている人はいない。
セリナは恐怖からか、目をぎゅっとつむっていた。
嫌な感覚がいたいほど強くなったとき――それは現れた。
「グオオオォオォォォ!!」
耳が割れるような音が、私たちをを支配する。
セリナは耳を抑えながら、目を固くつむっている。より強く抱きしめる。
私はいったい何が起きているのか気になって、隠れている穴から外を覗いた。
一面、灰色だった。
先端に少しだけ見えるのは、クジラに似た魔物の頭部。
村を丸呑みできそうなほど巨大な口は、青白く光っている。
巨大な身体は空に浮かんでいた。
灰色の空は、魔物の身体だった。
「……なにあれ……」
私が呟いたのと同時に、セリナがぐったりとした。まるで力が抜けてしまったかのように。
目もあいてない。さっきと違うのは、恐怖で目を閉じていない、というところだ。
表情は穏やかで眠っているかのようだった。
「セリナ? どうしたの? なんで寝てるの……?」
反応がない。さっきまでの震えもない。
本当に寝ている……?
「セリナ? 大丈夫?」
起こすように、ぺちぺちと軽く頬をたたく。やっぱり反応がない。
「気絶……じゃないよね……? ……あれ……?」
セリナの身体がほのかに光っているのに気づいた。
もし身体を光らせることができるとすれば、それは魔法だ。
でもセリナは魔法なんて使えなかったはず。
いったいどうして?
『なにか』が起こっているのは分かった。
でも今の私にはどうしようもなかった。
気を紛らわせるように、セリナをぎゅっと抱いた。
「……セリナ、起きてよ……」
温もりを感じながら、私はどうしようもない絶望に身をゆだねるしかなかった。
希望は魔物がいなくなること。そしてセリナが目覚めること。
時間が止まったかのように感じられた。長い時間をずっと、ずっと希望を待ち続けた。
希望もむなしく、セリナが起きることはなかった。
しかし空を覆う魔物はいなくなった。
既に日は落ちていた。
父さんと母さんはきっと……いや、と頭をふる。私たちのように、どこかで隠れているかもしれない。
探しに行こう。
もう一度、セリナの頬をやさしく叩いてみる。
魔物もいなくなったのだ。起きてくれるかもしれない。
「セリナ、起きてよ……もう魔物はいないよ?」
やっぱり反応はなかった。でも脈と呼吸はある。それに身体も温かい。
ただただ目を覚まさなかった。
どうして……?
私のしっているセリナは、こんな状況で冗談を言わない。
「ねぇ、セリナ? ねぇ、起きてよ」
いくら話しかけても反応はない。
自我が消えてしまったようだった。
揺さぶっても、頬を叩いても同じだった。
諦めきれなかった。でも、それでも生きている人を探しにも行きたかった。
父と母もどこかで待っているかもしれない。
「……行こう」
ぐったりとしたセリナは10歳の私にはひどく重かった。
それでも、なんとかして木穴からセリナを引っ張りだして背負う。
セリナを背負い汗だくで村へ戻ると――壊滅した村が広がっていた。
村を壊滅させた魔物の名は、ネビュロスと言った。
いわく、”訪れた土地すべてを灰塵に帰す”災厄。
いわく、”逆らってはならない”神代の脅威。
いわく、”自然災害そのもの”。
しかし一番の脅威は――
”倒しても、またどこかの地で復活を遂げる”——
500年前に突如として現れたこの怪物は、既に3度倒されている。
——遠い昔、この魔物を打ち倒した英雄は2人いた。
大賢者ヴィクトール、聖騎士フリード。
彼らは命を賭してネビュロスを屠った。
しかしいずれも数年以内に必ず復活をとげ、わずかな平穏は泡のように消え誰もが絶望した。
村々は焼かれ、恐怖と嘆きがこぼれようとも――この世界の常識であり、運命だった。
この不条理な現象の原因は―—誰も知らない。
——あれから1年。11歳になった。
セリナは今も目を覚まさない。
1年前のあの日――世界の頂点たる魔物を倒すと誓った。
セリナの目を覚ますために。
最後の英雄——大魔導士サリア・レイフォードに師事して。