廻る命は月のように
ピピーッ、ピピーッ…
─機械の音で目が覚める。寝床から這い出る。
あくびをして、洗面所へ向かう。歯を磨いて、口をゆすぐ。顔を拭いて彼の一日は始まる。
─研究室─
そう書かれた部屋の中ではK博士が成功しない実験を繰り返しながら研究を続けている。
すると研究室から物を倒したような、大きな音が聞こえる。K博士は苛立ちながら部屋から出てきて
「また失敗だ…」と呟く。
K博士は※稿筆機の前に座り研究記録に今日の結果を書き足した。
※文章や数式を記録、集計、計算する機械
研究進捗No.362
擬似ニューロンの神経接続に成功した。しかしおよそ3分23秒後に自己崩壊してしまった。プログラミング上の誤りを探したが、それらしきものは見当たらない。
自己崩壊の原因は過剰分裂による異常活性化と推測される。
「はぁ…何故だ、何故意識の再現ができない?自律思考と何が違うんだ。」
K博士は、意識を持つアンドロイドを完成させるための研究を続けてきた。
しかしK博士は苦悩していた。彼の作ろうとしているのは感情を持つロボット。
それも、コンピュータによる再現ではなくまさに脳を人の手で造ろうとしていた。
しかしそれは、無垢な脳ではなかった。モデルのある脳。
言うならば、0から1を作るのではなく−1を0にする研究だ。
そしてK博士の研究室には、そのモデルとなる脳髄が大切に保管してある。
─5年前
某国 首都×××
ウゥーーウゥーー
空襲警報が鳴り響いていた。
K博士はこの国の軍直属の研究所の所長だった。国民の生活の向上の為、と銘打って設立された研究所だが、その実態は兵器の研究施設だ。軍需工場とさして変わらない、人が人を殺すための施設だ。
この研究所はどんなに爆撃されても眠ることがない。なぜならここは、この国のどこよりも安全で、言い換えれば監獄だ。研究員達は休日以外、家族に会うことも出来ない。それは所長と言えど例外ではない。そんなある日のことである。
外では空襲警報が鳴り響き、市民はシェルターへと避難を開始していた。彼の妻も同じく近くの区域指定シェルターに避難していた、だがその日の空襲はいつもと違った。
見覚えのない敵軍の爆撃機が天高く舞っていた。いや、見覚えはあった。だがそれはあまりにも高い高度を飛んでいて。一見すれば渡り鳥の群れのようで、何か爆撃機とは違うものと見紛えるようだった。
それから無慈悲に投下されたのは、シェルターに大きな被害を与えるために開発された新型爆弾だった。
この爆弾は、地面に着弾しただけでは起爆しない。地面に突き刺さり、爆弾の全体が地面に埋まって初めて起爆する。シェルターの中にいる民間人を標的にした悪魔のような爆弾だった。
敵は、その爆弾を街に雨の如く降り注がせた。その日の空襲は今までのないほど多くの死者を出した。市中のほとんどのシェルターは全滅、彼の妻の避難していたシェルターもおなじく被害を受けていた。
あの安全な研究所とて無事ではなく、壊滅的な被害を受けた。生き残った研究者たちは、廃墟と化した研究所を背に、一面の焼け野原と瓦礫の山となった街を見て言葉も発せぬまま立ち尽くしていた。
K博士は、その廃墟の街を歩き始めた。
妻の待つ家を目指して。
他の研究者達も、散り散りに歩き出した。
家のあった場所に着くと、家は廃墟にすらなれない、瓦礫の山だった。
妻の避難しているはずのシェルターまで歩くと、救助活動が行われていたが、生存者は愚か原型を保つ遺体すら少なかった。
救護所まで行きそこで指揮を執っていた男に尋ねた。「あの、生存者は、どこに」
男は暗い表情で
「ここに生存者は居ない、ここはもう救護所じゃなくて遺体安置所なんだ」
と言った。
博士は現実を受け入られずにいた。
妻に限って、死ぬわけがない。
きっと運よく生き残って、救助活動の手伝いでもしているに違いない。
そんなことを考えながら、あたりを彷徨っていた。
少しして、見覚えのある髪型の女性が横たわっているのを見つけた。
すぐに、妻だと確信した。
博士は、すぐに駆け寄った。
「なんだ、こんなとこで寝てたのか。なぁ、帰ろう。家はないがやり直せるさ。なんてたって俺は、国に仕える研究者だぞ。金ならある。だから、さ帰ろう。一緒に。なあ。早く目を覚ましてくれ…」
遺体は残酷なほどに綺麗だった。そこで眠っているかのようにも見えた。
でも妻の心臓は二度と震わない。
それでも博士は妻と、帰った。
そしてその翌日、 研究員に招集がかけられある事が伝えられた。
「我が国は、君たちを敵軍の脅威から保護するために地球の衛星軌道へと避難させる。」
衛星軌道から地球に帰ることはおそらく無い。余生を孤独に研究しながら過ごすことになると覚悟した。
彼は大切そうに大きな瓶を抱き抱えた。そして博士はこの国を、この星を後にした。
─現在
博士は自分の全てを賭けて妻をこの世に再び蘇らせようとしていた。
妻に似せたロボットを作ろうとしていた。
しかし、既成人格の複製は困難を極めた。疑似人格ですら、整合性を保つのに手間がかかるのだ。
やはり死者の蘇生、それに近しいことを行うのは不可能なのか?
やはり人の禁忌に踏み込むのは無謀か?
博士は諦めかけていた。
そして、最後の手段をとることにした。
博士は妻の脳を再解析して、構造の複写を行った。ニューロンの繋がり方、シワの位置、シナプスの数、妻の脳を形作る全ての要素をそこに写し出し、それを博士は人工脳髄に写し取った。そしてその人工脳髄を核に※造生棺のなかで人造人間に近いロボットを作り上げた。そして妻の脳から培養した妻の細胞と体液を、そのロボットに循環させた。
造生棺の中を覗くと、そこには妻が横たわっていた。いや妻の形をしたモノ、というのが正しいだろうか。
博士は妻の形をしたモノに命を吹き込むために、体に微弱な電流を流し、自発呼吸を開始させた。
「───、目を開けてくれ。」
※博士の発明品、生体ロボットを作るための機械。
妻の形をしたモノは、ゆっくりと瞼を開いた。
「…ここは、どこ?」
その声は紛れもなく、妻の声だった。しかし、その声はどこか生気の感じられない声に聞こえた。
博士は安堵と落胆と悲愴感の混じった言葉にできない感情になっていた。
「僕の家だよ、──」
彼女は黙ったままだった。
テセウスの船と言うやつだろうか。部品を全て入れ替えた同じ形の船は、果たして同じ船と言えるのだろうか。同じ様に妻は同じ妻と言えるのだろうか。いや言えないだろう。博士は気づくと涙を流していた。それもそうだ、研究は失敗に終わったのだから。
「何故…泣いているの?」
妻の形をしたモノは、どこまでも形をしたモノに過ぎず、その心は空虚で空っぽだったのだ。
「泣かないで…私はここにいるよ。」
彼女は博士の涙を拭うために頬に手を伸ばした。博士の頬に触れた手は、冷たくて、どこか暖かった。人工の皮膚は柔らかく、博士の心に安らぎを与えた。
心は造るものでは無い。育つものなのだ。博士は、妻の手に触れ、しばらくそのままでいた。衛星は回り続ける。今もなおこの星の周りを周回し続けている。
まさに月のように。
この廻る命のように。




