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捻じ切られる呼吸

 はじめはただ、手足が縛られているだけだった。(しび)れた身体を動かそうにも、あまりに強く固定されていて微動だにできない。暗闇の中で、かすかな金属音が耳を刺す。誰かが何かの道具を選んでいるような音――不思議と、その音だけが鮮明に鼓膜を叩き、心臓が早鐘を打つのを感じた。


 やがて視界に白い光が差し込み、薄ぼんやりと周囲が見えるようになる。蛍光灯の冷たい光に照らし出される先には、無機質な手術台のような台と、奇妙な機械が並んでいた。私の身体は、その台の上に拘束されたままだ。鼻腔(びこう)には、鉄錆(さび)と血と薬品が混ざったような刺激臭が染みつき、喉がきしむ。逃げたい、でも何もできない――その苛立ちが汗となり、体温は上がっていく。


 足元で、布がこすれる気配がした。誰かが近づいている。微かな足音の後、鋭い金属の先端が私の(すね)に当たる感触。反射的に全身の筋肉が強張(こわば)り、頭の中で警鐘が鳴り響く。次の瞬間、皮膚を薄く切り裂く音がはっきりと耳に届いた。その鋭い痛みに絶叫しようと口を開くが、声帯が硬直し、低いうめき声しか出てこない。


 切り口からじわりと湧く血。脳が処理しきれないほどの苦痛がひたひたと意識を溶かしていく。痛みに合わせて肺が上下し、呼吸が乱れているのを感じる。冷静でいようとしても、耐えきれぬ現実が目の前を占領する。血液が肌を伝い、手術台へと(したた)る生々しい音を聞くたび、頭が真っ白になる。何より恐ろしいのは、相手が“ここから先”をどうしようとしているのか、分かってしまうことだ。小刻みに動くその金属道具は、もう一段階奥へ――つまり、私の骨や(けん)まで踏み込もうとしているのだ。


 滑りの悪い金属が皮膚の下を(えぐ)る感触。手足の奥、骨が擦れるような嫌な震動が直に伝わってくる。そのたびに喉をひっかくような叫び声が漏れるが、相手はまるで何も聞こえていないかのように淡々と作業を進める。喀血(かっけつ)しそうなほど(せき)き込んでも、さらに深く道具が沈み込み、切断面から(ほとばし)血飛沫(しぶき)が視界を赤黒く染め上げていく。


 「……苦しそうだね」


 低く澄んだ声が、無慈悲なほど冷静に飛び込んでくる。まるでこちらの痛みを観察するかのような口調。その言葉がなければ、私が“生きたまま”解体されていることを、一瞬でも忘れたかったのに。自分の中で何かがちぎれ、極限の恐怖と混濁した苦痛が混ざり合う。激しく痙攣(けいれん)する筋肉、しびれる指先からは力が抜け、喉は急激に乾いていくばかりだ。


 道具が下腹部付近をかすめるとき、骨と骨の間を探るようにグリグリと押されるのがわかる。逃げようとして足をばたつかせたいのに、拘束具がまるで鋼鉄の(かせ)のように食い込んでくる。肋骨(ろっこつ)を引きはがす嫌な音が脳髄(のうずい)を突き刺し、全身の神経が一斉に(きし)みをあげる。痛みで脳が飽和し、光と音と感覚がぐちゃぐちゃに混ざり合い、現実感が薄れていく。だが、意識はまだある。むしろ、あまりに鮮明に“解体される自分”を認識させられている。


 「まだ生きてるよね? もうちょっとだから、頑張って……」


 薄ら寒い声が耳元で(ささや)き、唾液が混じった湿った息が皮膚に伝わる。吐き気がこみ上げるが、痛みのほうが勝っているせいで、嘔吐(おうと)する余力さえない。肺に送り込める空気が少なくなり、視界が点滅し始めた頃、再び鋭い切断器具が私の肉を裂く音が響いた。自分が惨たらしく壊されていく事実を突きつけられ、もはや絶望さえ通り越している。


 ――意識が遠のく。その中で最後に聞いたのは、機械的な心電図のようなビープ音と、誰かの笑い声。震える呼吸を続けようにも、もう肺が限界だ。切り裂かれた臓器が悲鳴を上げ、体液がどこからか流れ出ているのをはっきりと感じる。血の生臭さに包まれながら、脳が白く焼き切れかけている……。


 そこにあるのは、じわじわと奪われていく息づかいと、痛みを研ぎ澄ませる鋭い器具の感触。何度も何度も「もう終わってくれ」と願うが、その願いは届かない。焦げたような臭いと湿った血の香りが混じり、私という存在の輪郭を塗り潰していく。最後の意識の残滓(ざんし)が擦り切れるとき、私の胸にかすかに残ったのは、不条理な安堵。もうこれ以上の苦しみを感じなくて済む、と悟った安堵だった。


 そして訪れた闇の底で、私はやっと激痛から解放される――解体という名の悪夢の果てに、ただ何一つ名残も残せず、深い無へと沈むのだ。

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