朽ちる花の声
血のにじむような夕焼けが、空を焦がしている。私はその下を、まるで屍のようによろめきながら歩いていた。視界がじんわりと赤黒く染まるたび、脳髄の奥で何かが崩れる音がする。気がつけば右手に握りしめているのは、萎びた花束……いや、その花弁はもう腐りかけ、つぶれた内側からは酸っぱい臭いが漂っていた。
とある路地の奥まで進むと、地面に黒い染みが広がっているのが見えた。何かの液体がずぶずぶと染みこんで、やがて路地全体を浸食していく。血のようでいて、どことなく泥のようにも見える。私はその染みを見つめ、ひとつ息をのむ。そこに生まれる濁った感情は、恐怖ではなく、どこか懐かしさに似たものだった。
――あれは昨日のことだっただろうか。いや、時系列などどうでもいい。昨夜、私は知人の家を訪ねた。痩せぎすの顔をしたその男は、妙に甲高い声で笑いながら、私を中へ通してくれた。長い廊下の奥には、窓もない部屋があった。敷きっぱなしの布団、脱ぎ捨てられた衣服、黄ばんだ茶碗――その部屋全体が腐敗臭を放っていた。それでも私は、なにか重大な秘密に触れられるような気がして、足を踏み入れることをためらわなかった。
「見せたいものがあるんだ」
男はそう言って、壁の隅から古びた麻袋を引きずり出した。中を覗き込むと、不自然に折れ曲がった何かの形が見えた。まるで人の腕のように見えるが、それが本物なのかどうか、私には判別がつかなかった。ただ、黒ずんだ皮膚の表面に亀裂が走り、そこからはどろりとした液体が垂れていた。思わず鼻をつまみたくなるほどの刺激臭。しかし不思議と吐き気は起こらない。むしろ、深く胸に入り込んでくるその臭いが、私の精神をどこか甘く痺れさせる。
「これ、花なんだよ」
男は狂ったように笑いながら、袋の中の腕 (のようなもの)を指し示した。私は言葉を失った。それを見間違えて「花」などと言える神経が、一瞬理解を越えていたからだ。それでも私は、ぎこちなく問いかける。
「……どういう意味?」
答えはなかった。ただ、男の瞳は瞼を見開いたまま震えていて、そこに映り込む私の顔が、まるで愛しい獲物でも見るかのように歪んでいた。私は逃げ出すタイミングを失い、ただ床に張りついたまま、その袋の中身を見続ける。腐敗しきった皮膚と血液が、次第に花弁のようにひらいていくイメージが頭から離れなかった。
その後、どうやって私はそこを出てきたのか、記憶が曖昧だ。気がつけば外は赤黒い夕焼けに包まれ、私は腐りかけの花束を握りしめていた。あれはいつ拾ったのか、あるいは最初から持っていたのか。それすらも分からない。
先ほどの路地の染みは、きっと私の足跡だろう。かすかにざらつく靴底の感触が、その証拠だった。私はその染みに思わず手を伸ばす。すると、ドクドクと鼓動するように液体が染み出し、私の指先を真っ赤に汚していく。その感覚は、まるで死にかけの花が最後に震える声をあげるようだった。
遠くでサイレンの音が聞こえる。私は握りしめた花束を路地に投げ捨て、かすれた笑い声を漏らす。狂気にも似たこの世界のざわめきが、私をほんの少しだけ心地よくさせる。自分が何者で、何をしているのか、そんなことはどうでもよかった。ただ、この腐りきった花が生々しく香り立つ夜は、まだまだ終わりそうにない。私はその闇の奥へと足を踏み入れ、濡れた石畳の上を、血の呼吸を嗅ぎ分けるようにゆっくりと進んでいった。