第9話 ローランド商会
「ローザマリア様、お客様がいらっしゃっております」
「お客様…?どなたかしら?」
「例のローランド商会の者が来たようで…。取り次いでよろしいでしょうか?」
「…!!ええ、すぐお通しして!」
その日は、珍しく朝から来客があった。とうとう、ローザマリアが待ち望んだものが来たのだ。オーウェンに頼んでからだいぶ日が経っており、受け入れてくれるかどうかは一か八かであったが、なんとかなったようだ。
オーウェンを引き連れ、急いで応接間に行くと、中には二人の男女が待っていた。二人は、ローザマリアに気づくと席を立ち、深くお辞儀をした。
「ローランド!リタまで!楽にしてちょうだい。遠いところまで来てくれてありがとう」
「ご無沙汰しております、ローザマリア様。こうして再びお会いでき、嬉しく思っております」
ローランドと呼ばれた中年の男がにこやかに答える。隣にいるリタも笑顔を浮かべており、ローザマリアとの再会を喜んでいることがわかる。
「ええ。また会えて嬉しいわ。どうぞ、かけてちょうだい」
ローザマリアも椅子に座り、二人をゆっくりと眺めた。
「まさか、ローランドとリタが直接来てくれるなんて、思わなかったわ」
「何をおっしゃいますか、ローザマリア様。我々はローザマリア様に救われた身。お呼びとあらば、いつでも駆けつけます」
「…ありがとう。本当に助かったわ」
彼らは、アーヴァイン領で知り合った商人であった。ローランド商会の会長であるローランドと、その娘のリタである。領内でいざこざがあり、領地管理人に目を付けられた二人を、たまたまローザマリアが助けたことがきっかけで知り合ったのだ。
以来、ローザマリアに何やら恩義を感じたようで、色々とよくしてくれていたので、今回、助けを借りられないか手紙を書いたのである。
「しかし驚きました。王都ではすでに噂になっておりましたよ。ローザマリア様が、ファーウェル辺境伯様と婚約なされたと。しかもつい先日までアーヴァイン領にいらっしゃったというのに、とっくの昔に辺境伯領へ出発されたと聞きまして…。手紙をいただいて、こうして飛んで来たというわけです」
「そう、心配かけたわね。…王都ではもう噂が広まっているのね」
おそらく、侯爵が手を回したのだろう。義妹の後継としての立場を、確固たるものにするためにも、ローザマリアが率先して辺境伯と婚姻したなどと、自分の都合の良い噂を流しているに違いない。
「突然のことでしたので、ローザマリア様のお身体や体調も心配しておりましたが、ご様子を見る限り、お元気そうで安心いたしました。どうやら、良い縁が結ばれたようですね」
「ええ。閣下にはよくしていただいているわ」
「それはようございました。遅くなりましたが、この度のご婚約、お祝い申し上げます」
「お祝い申し上げます、ローザマリア様」
「…ありがとう、二人とも」
ローランドに次いで、リタにまで祝いの言葉をかけられ、ローザマリアはなんだか気恥ずかしくなった。
本来であれば、こうして祝福されるのが普通であるはずなのだが、侯爵家からは身売りの如く追い出され、辺境に来てからは、領地経営のことで色々と忙しくしていたため、あまり実感が湧いていなかった。婚約してから初めて受けた祝福の言葉に、胸がくすぐったくなったローザマリアは、それを紛らわすように、目の前の紅茶に口をつけた。
「ところで、お願いしたものはどうなったかしら?」
「はい、我々と共にこちらにお持ちしました。後ほどお部屋までお運びできればと思いますが、よろしいでしょうか?」
「ええ、ありがとう。急なことで、何も持って来られなかったから、本当に助かったわ。無理をさせてしまったわね」
「とんでもございません。まだ侯爵家から指示が来る前だったようで、特に問題なくお持ちできましたよ」
「本当に?それなら良かったわ」
ローランドには、領地の屋敷にあったローザマリアの私物を送ってもらうよう頼んでいたのである。父親である侯爵から、何一つ持ち出すなと言われたが、これまで勉強してきた本や手帳、母の形見など、大切なものだけでも取り戻したかったのだ。
「それと、また色々と頼みたいことがあるのだけれど…。こちらには、いつまでいられるのかしら?」
「私は、すぐに戻らないといけないのですが、娘のリタはしばらくこちらにいる予定です。実は、ローザマリア様がもう侯爵領には戻らないと聞き、侯爵領にある商会を引き上げようと思っているのです」
「なんですって…!?どういうことなの?せっかく苦労して商売をしてきたのに、どうしていきなり…?」
「アーヴァイン領は、王都にある大手の商会の力が根強い場所です。例のいざこざで領地管理人に目を付けられておりますし、ローザマリア様がいらっしゃらない今、またいつ、言い掛かりを付けられるかわかりませんので」
「まあ…。ごめんなさい、私のせいで…」
「いえいえ!ローザマリア様のせいではございません!!元々、アーヴァイン領でずっと商売をしていく気はありませんでした。なので、本当に気になさらないでください。…それでですね、代わりと言ってはなんですが、こちらのリタに、このファーウェル領を任せようと思っているのです」
「リタに…?」
「はい、ローザマリア様。今朝着いたばかりですが、この地にしかない物を、いくつか発見しました!絶対に商機があると思うんです!」
「まあ…。じゃあ、ローランドはどうするの?」
「私は、商会の移転や諸々の手続きが終わったら、王都に戻ります。度々、こちらにも伺うと思います。どうかこれからも、我が商会をご贔屓にしていただけると幸いです」
「…これからも頼っていいのかしら?」
「もちろん、ローザマリア様からのご依頼であれば、格安でお受けしますよ。…我々は商人です。利益を求めて、それに投資する。それだけのことです」
「ふふふ、そうね。…ありがとう。実は良い考えがあるの。損はさせないわ。侯爵領では堂々とできなかったけれど、こちらでは本格的にやるって決めたの」
ローランドの優しさに甘えてばかりではいられない。今やらなければ、これまで何のために学んできたというのか。今までの時間を無駄にしないためにも、ローザマリアは燃えていた。
「ぜひ、お聞かせください!楽しみですな。…ああそれと、手紙を預かっております」
「手紙…?」
「フォード伯爵令嬢からです。ローザマリア様のことを、とても心配しておりました」
「ヘレン様から…?」
フォード伯爵家のヘレン嬢とは、そこまで交流があった訳ではなかった。しかし王都で広まる噂を聞いて、こうして心配して手紙を送ってくれたようだった。家族に顧みられず、恋心も裏切られてしまったけれど、きちんと見てくれている人はいる。そう感じて、ローザマリアは胸が温かくなった。
まだ、家族やエミリオから受けた仕打ちを思い出すと胸が苦しくなる。それも少しずつ受け入れて、忘れられる日が来るのだろうか。今はただ、目の前のことを一つずつ、こなしていくことしか考えられないローザマリアであった。
しかしここからが、ローザマリアの快進撃の始まりなのであった。