第6話 辺境伯との対面
ラーラに手伝ってもらい、紺色のエンパイアドレスに着替えたローザマリアは、強張った表情で、ドアの前に立っていた。
ドレスは、ローザマリアが持っている中で一番豪華なものではあるが、装飾は少なく、色合いも地味なものだった。こんなドレスで失礼にならないか心配しながらも、ここまで案内してくれたオーウェンの背を見つめていた。
ーーこの先に、辺境伯がいる…。
辺境伯との初の対面ということもあり、ローザマリアは緊張していた。しかしそれは、恐ろしい噂のある、血塗れの辺境伯への恐怖からではなかった。使用人2人からの話を聞いて、辺境伯への印象は上がっていた。噂など関係なく、ただ自分の目で見たものを信じる、そう考えながら、未来の夫との対面を待っていた。
オーウェンがドアを開いた。
にこやかな笑顔に見守られて部屋の中に進むと、そこには、ガッチリとした体つきで軍服を纏う、真っ赤な髪をした男性が座って待っていた。
その男性は椅子から立ち上がると、ローザマリアの前まで来て挨拶した。
「バルドヴィーノ・ファーウェルだ。よく来てくれた、アーヴァイン侯爵令嬢」
「ローザマリア・アーヴァインと申します」
ローザマリアは、すかさず両手でドレスの裾を持ち、膝を軽く曲げてカーテシーをした。さすが侯爵令嬢としての教育を受けただけあり、綺麗な所作であった。
「楽にしてくれ。ここでは、そんな畏まった挨拶は必要ない」
素っ気ない言葉ではあったが、気分を損ねたわけではないらしく、言い方に棘はなかった。
ローザマリアが顔を上げて辺境伯の顔を窺うと、まるで夕焼けの空のように鮮やかで、どこか切なくなるような赤色が目に入った。茶色の瞳は力強く輝き、まるでローザマリアを見定めるように見つめている。その目に怯えることなく、ローザマリアはしっかりと見つめ返すと、ふっと辺境伯の眼光が緩んだような気がした。
辺境伯は、後ろに立つ男性に目をやり、ローザマリアに紹介した。
「こいつは、俺の補佐をしているジュリアンだ」
「ジュリアン・ハーレイと申します」
「ローザマリア・アーヴァインよ。よろしくね」
「こいつには、俺の身の回りの世話を任せている」
人当たりが良さそうな笑顔をしたジュリアンは、挨拶が終わるとさっと辺境伯の後ろに下がった。
「せっかくだ。食事をしながらゆっくりと話そう」
そう言うと辺境伯はローザマリアの手を取り、席までエスコートした。ゴツゴツとした硬い手には、ところどころ古傷があり、戦いに生きる荒々しさを感じさせながらも、優しくローザマリアを導いた。
互いに席に座ると、オーウェンが料理を運んでくる。やはり肥沃な土地ではないためか、彩りは少なく、芋やただ焼いただけの素朴な料理が多かったが、それでも品数の多さや、優しい味付けからは、精一杯ローザマリアをもてなそうという、料理人の心遣いが窺えた。
「今日は出迎えもできずに、悪かったな」
「いえ、とんでもないことでございます。むしろ、急な連絡であったにも関わらず、こうして迎えてくださり、感謝しております」
「…意外だな。嫌味の一つくらいあるかと身構えていたが…。王都の女は、気性が荒いとばかり思っていた」
「……私は領地で長く暮らしておりましたので」
「なるほどな。王都にいる、ドレスや宝石しか頭にない女だったらと辟易していたんだが…。あんたは違うようだ」
ニヤリと笑いながら、辺境伯はワインの入ったグラスを傾けた。
「知っての通り、このファーウェル領は常に魔物に脅かされている。いつ来るかも分からない魔物相手に、気を抜く暇も余裕もない。おまけに、いつ他国に隙をつかれるかも分からん。だから俺は、常にライン砦で指揮を執り、砦で寝泊まりしている。この城には中々帰っては来れない。つまり、悪いが、あんたの相手をする余裕はないってことだ」
日々魔物に襲われているのなら、領主である辺境伯が前線に立つのは当たり前のことである。王命であるとはいえ、たった一人の婚約者の機嫌を取るよりも、民の命と領地を守ることの方が重要であるのは当然のことだ。
真剣な眼差しで話す辺境伯に対して、理解を示すように、ローザマリアは静かに頷き返した。
「どうやら、理解してくれているようだな。だが、別にあんたを蔑ろにしようとは思っちゃいない。王命とはいえ、決まったことだ。婚約者として、未来の妻として、あんたのことは大事に扱うよう、使用人にも言ってある。この城の中では、好きにしてくれて構わない。ただまあ、砦の防衛や兵の補給で金はカツカツだから、あんまり贅沢はさせてやれないが…。自由に過ごしてくれ」
辺境伯は、自分のことを蔑ろにする訳ではなく、婚約者として尊重してくれるらしい。それが分かっただけでも、ローザマリアは安堵した。急な王命であったにも関わらず、こうしてわざわざ城に帰ってきてくれたことを考えても、辺境伯のことを信頼できると感じた。
やはり、噂とは当てにならないものである。これだけ領民と領地のことを考え、第一線で指揮を執る彼のどこが、恐ろしい人間だというのか。むしろ、家族であるにも関わらず、虐げてきた侯爵家の面々や、冷たく不愛想な使用人しかいなかった領地よりも、よっぽど丁寧で紳士的な対応であった。
「…お気遣いいただき、ありがとうございます。ただ、閣下がそのように領地のため、領民のために進んで前線に立っておられるのに、自分だけ自由に遊んでなどいられません。貴族の家に生まれた以上、私にも義務がございます。何か、私にもできることはないでしょうか?」
身を粉にして領地を思い行動する辺境伯の実直さに感化され、手伝いを申し出たローザマリアを見て、辺境伯はポカンと口を開けた。そして次の瞬間、大きな声で笑い出した。
「ふ、はははははは!!」
ひとしきり笑うと、涙を拭ってローザマリアに顔を向けた。
「やっぱり、王都の女たちとは違うようだ。…婚約したのがあんたで良かったよ。ローザマリア嬢」