第4話 辺境の地
ローザマリアの心境とは裏腹に、道中は天候に恵まれ、予定通り7日でファーウェル領へと到着した。
辺境へと同行している使用人達は、ただ自分の職務を果たすだけで、誰もローザマリアを気づかったりはしなかった。
不安や恐怖を抱えつつも、ローザマリアは一人でゆっくりと、気持ちを整理していった。ようやく、外を眺める余裕が出てきた頃には、すでに辺境伯領へと差し掛かっていた。
車窓から外を見ると、田畑は少なく、ほとんどの土地が放置されて、荒野が広がっていた。領民の姿もあまり見えない。これから本格的な植え付けの時期だというのに、このままでは十分な収穫を得るのは難しいであろう。
ーー領地のほとんどが荒れ果てているという噂は本当のようね。早く何とかしないと、今年の冬を越えるのは厳しいわ。辺境伯は何をしているのかしら…。血塗れの辺境伯…。本当に恐ろしい方なのかしら…。
もう侯爵家に戻ることはできない。噂通りの人であったとしても、ローザマリアには辺境伯に嫁ぐ道しか残っていないのである。
ーー直接会ってみないことには分からないわ。しっかり自分の目で見極めるのよ。
辺境伯との対面に向けて、気合いを入れていると、いよいよ、ファーウェル城が見えてきた。
戦いと隣り合わせの場所であるため、城というよりも要塞に近い造りとなっていた。城の周りは、石を積み上げた高い塀に囲まれており、塀の上には見張り台らしきものも見えた。城の外壁もぴっちりと石で覆われており、これまで幾千もの戦いで敵を退け、シーラン国を守り抜いてきただけあり、下から見上げるのは圧巻であった。現在は、もう少し先の国境線上で戦いが起きているため、ここまで敵が来ることはないようである。
城下には町が広がっていた。整備された王都に比べるとかなり乱雑としてはいたが、活気に溢れているように見える。皆、ローザリアが乗る馬車を物珍しそうに見ながらも、小さく頭を下げて道を譲っていた。
しばらくすると、ガタンと音を立てて馬車が止まった。従者の手を借りてローザマリアが馬車を降りると、執事と思われる初老の男性が一人で佇んでいた。
「お待ち申し上げておりました、ローザマリア・アーヴァイン侯爵令嬢。私は、ファーウェル伯爵家に仕える、執事のオーウェンと申します」
「オーウェンさん、お出迎えありがとう」
「滅相もございません。どうか私のことは、オーウェンとお呼びください。王都からの長い道のりでお疲れのことでしょう。疲れを癒すためにも、まずはお部屋へご案内いたします」
そう言って、ローザマリアは城内へと足を踏み入れた。
城の中は、人払いされているのかガランとしていた。流石に要塞として建てられただけあり、飾りっ気はなく、床も灰色の石タイルが敷き詰められている。
「正式なご結婚の後に、閣下の隣のお部屋をお使いいただくことになりますので、今は客間をご用意しております」
そう言ってオーウェンは、そつのない動きで2階に続く階段へと向かった。前を歩くオーウェンは、グレーの髪をきっちりとまとめ、老いを感じさせないしっかりとした足取りで、ローザマリアを案内した。
「こちらでございます」
通された部屋には、大きなベッドと2人掛けのソファー、ローテーブル、それと小さな鏡台が置かれていた。綺麗に整えられているものの、調度品のデザインや柄はちぐはぐだった。突然の王命によって、急ごしらえで準備されたものなのだろう。とはいえ、王都の侯爵邸では、日も当たらない、屋敷の端にある小さな部屋に押し込まれていたローザマリアにとっては、それくらいのこと、なんともなかった。
「急な王命によるご婚約でしたので、誠に申し訳ございませんが、十分なご用意ができておりません。どうかご容赦くださいませ」
「もちろんよ。とても急なことでしたから。こちらで十分よ。お気遣いありがとう」
「寛大なお心に感謝いたします。本日はお疲れでしょうから、また後日、城内の案内をさせていただければと思います。また閣下は現在、国境近くのライン砦にいらっしゃいます。夕方にはお戻りになりますので、ご都合がよろしければ、ディナーをご一緒できれば、と言付かっております」
「そうなのね。ディナーはぜひご一緒したいわ。きちんとご挨拶させていただきたいですし。ところで、今は特に大きな争いはないと聞いていたのだけど、なにかあったのかしら?」
「いいえ、大げさなものではございません。ただ常日頃から、魔物が襲ってきておりますので、討伐の指揮と対策のため赴かれております。ご安心くださいませ。閣下が、魔物などに負けるはずございません。幼少のころから、閣下の強さは他の追随を許さないほどですので」
「そう。それならば安心ね」
日常的に、魔物が襲ってきているとは思いもしなかったローザマリアは、想像を超える状況に驚いた。しかしそんな状況だというのに、オーウェンの言葉からは、悲壮感や恐れではなく、辺境伯への強い信頼が垣間見えた。
ーー血塗れの辺境伯という噂は嘘だったのかしら?
少なくとも、オーウェンには頼もしい、良い主であることが窺えた。たとえ噂が本当であったとしても、一人でも信頼している人物がいるという事実は、ローザマリアの心をほんの少し軽くした。
「それでは、ディナーまでこちらでゆっくりお休みください。それと、アーヴァイン侯爵令嬢がお休みになられている間、お連れになった使用人の方々には、それぞれの部署との顔合わせを行おうと考えているのですが、よろしいでしょうか?」
「ああ、そのことだけど…。申し訳ないのだけど、彼らは全員侯爵家に帰ることになっているの。休める部屋だけ貸していただけないかしら?」
「全員お帰りに…?なるほど、承知いたしました。ではお休みいただけるよう、お部屋をご用意いたします」
「ありがとう。手間をかけて申し訳ないわね」
「とんでもございません。それと、こちらでも侍女を用意しておりますので、後ほどご挨拶に伺ってもよろしいでしょうか?」
「もちろんよ。助かるわ」
「かしこまりました。ただ何分、人手不足でして、1人しか手の空いている者がおらず…」
「構わないわ。ある程度のことは自分でできるから大丈夫よ」
「アーヴァイン侯爵令嬢のお手を煩わせてしまい、申し訳ございません。今後、何かございましたら、その者にお申し付けくださいませ」
「ありがとう、オーウェン。あ、それと、私のことはローザマリアと呼んでちょうだい」
「はい、ローザマリア様」
パタンとドアを閉じてオーウェンは退室していった。使用人達が全員帰還することをいぶかしく思っているだろうに、穏やかな笑顔を崩さず、終始丁寧な対応であった。
ーー王都から遠く離れた、野蛮な地域だと、お父様たちはおっしゃっていたけれど、あのようにしっかりと教育された者もいるのね。受け答えもそつがないし、感じの良い方だったわ。
オーウェン1人で出迎えられたのは、何か辺境伯の意向かと勘ぐったが、どうやらそうでもないらしい。ディナーにも誘われたので、対話する意志はあるように思い、ローザマリアは安堵した。
先ほどのオーウェンとのやり取りを反芻していると、コンコンコンとドアをノックする音が聞こえてきた。