第24話 穏やかな日常
ひんやりとした風が窓から流れ込んでくる。朝夕の冷え込みは日毎に増し、木の葉も徐々に色が変わり始めてきた。
ぱちりと目を覚ましたローザマリアは、体を起こすと、爽やかな朝の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。カーテンを開くと、青く澄んだ空にくっきりと雲が見える。そのまま目線を下に下げると、訓練場に人が集まっているのが見えた。
そこに、コンコンコンとノックの音が響く。
「失礼します。あれ、ローザマリア様。もうお目覚めですか?」
朝の仕度に来たラーラが、驚きの声を上げる。
「おはよう、ラーラ。自然に目が覚めてしまったの。今日は気持ちのいい朝ね」
「そうですね!今日は日も差していて、風が気持ちいいです!」
「訓練場に人がいるみたいだけど、何か知っているかしら?」
「ああ、閣下が稽古をつけてるみたいですよ?朝早くから、警備の兵が張り切ってました!」
「まあ、そうなの?」
これまで、ファーウェル城の兵は少数精鋭で、腕の立つ者が交代で警備に当たっていた。バルドヴィーノが城に戻ったことで、直々に指導に当たっているらしい。
「ローザマリア様も、見に行ってみますか?」
「え?でも…」
「閣下も、ローザマリア様がいらしたら喜ばれますよ!それに、そろそろ朝食の時間ですから、閣下を呼びに行ってもらえれば、オーウェンさんも助かると思います!」
「そうかしら…?そうね、少し覗いてみようかしら?」
「はい!急いでお仕度しますね!」
先日、バルドヴィーノと思いが通じ合ってから、二人は一緒に朝食を摂るようになっていた。バルドヴィーノを思ってか、少し顔の赤いローザマリアを鏡の前に座らせて、ラーラは急いで支度に取り掛かった。
祭りから帰ってきた二人は、出かけた時とは打って変わって、甘い雰囲気が漂っており、思いが通じ合ったことを使用人たちは瞬時に悟った。その夜は、使用人たちだけで祝杯を上げ、皆で喜びを分かち合ったのだった。
シドが飲み比べを始めたくらいから収拾がつかなくなり、皆で一緒にオーウェンに怒られたことを思い出して思わず笑みが漏れたラーラであったが、誤魔化すようにテキパキと手を動かしたのであった。
訓練所に着くと、円を囲むように、兵と使用人たちが見守る中、バルドヴィーノとジュリアンが戦っていた。
二人は、木でできた訓練用の剣を用いているものの、その迫力はすさまじく、周りを圧倒していた。やはり、常に前線で戦い続けてきた二人の技量は、桁違いのようだ。
バルドヴィーノは、たくましい体格を活かして力強い攻撃を放つ。一方ジュリアンは、素早い動きでその攻撃を躱している。しかしやはり体力の差か、次第にジュリアンが押されていき、隙ができた瞬間、すかさずバルドヴィーノが剣を弾き飛ばした。
決着は着いた。一拍遅れて、おおーーと歓声が響き渡った。
ローザマリアも、一緒になって拍手を送っていると、それに気づいたバルドヴィーノが、こちらに向かってきた。
「来てたのか?」
「ええ、今来たところです」
「悪いな、思った以上に盛り上がっちまった。…こんなむさ苦しいところ、楽しくもないだろう?」
「いいえ!あの、…戦っている閣下も、素敵でしたわ…」
「…おう、そうか」
おずおずとバルドヴィーノを見上げながら、小さな声で言うローザマリアに、バルドヴィーノは気恥ずかしそうに答えた。そんな初々しい二人の様子を、使用人たちは生暖かい目で見守っていた。
「そろそろ朝食の時間ですが、まだなさいますか?」
「…いや、キリがいいし、今日はこれで終わりだ。…すぐに行くから、先に食堂で待っててくれるか?」
「はい!ゆっくりで大丈夫ですので、お待ちしておりますね」
穏やかな笑顔を残して、ローザマリアは去って行った。
その日は、久しぶりにローランドが訪ねてきた。アーヴァイン侯爵領にあった店の移転も完了し、王都での仕事もようやく落ち着いたようで、久しぶりに娘の様子を伺いに来たという。
バルドヴィーノもローランドに会いたいとのことで、二人で一緒にローランドが待つ応接室に向かった。部屋に入ると、ローランドは立ち上がり、礼儀正しくお辞儀をした。
「お初にお目にかかります、辺境伯閣下。ローランド商会の会長を務めております、ローランドと申します」
「ああ、顔を上げてくれ。これまで色々と世話になったようだな。俺からも礼を言わせてくれ」
「滅相もございません!こちらこそ、いつも娘がお世話になっております。ローザマリア様のおかげで、こちらのファーウェル領にある支店も賑わっており、いつも感謝しております」
「お前の娘も優秀のようだな。これからもよろしく頼むぜ?」
「はい、もちろんでございます」
バルドヴィーノとローランドの挨拶がひと段落したところで、ローランドが最近の王都の様子を語った。
「王都は相変わらずです。社交シーズンも無事終わり、大半の貴族は領地に戻られました。一部の貴族は、いつものように王都で過ごされているようです」
ローザマリアの実家の様に、領地に関心を持たず、王都に留まる貴族は少なくない。王城で仕事を行なっている者は別としても、領地に何年も戻っていない貴族すらいる現状だ。
「西部では、今年は雨が続いて作物の育ちが良くなかったようです」
「西部で長雨か…。珍しいな」
「はい、普段は天候が良い土地なのですが…。その影響で、王都でも少々値段が上がってきているものもありますね」
「…西部というと、アーヴァイン領も影響が出たのかしら?」
「はい…。今年は、大きく収穫量が減ったようです」
「まあ、そうなの…」
「ですが、一過性のことかと。今年のうちにきちんと対策さえすれば、来年は元の収穫量に戻るでしょう。ローザマリア様がご心配になることはありません」
「そうね…。ありがとう、ローランド」
バルドヴィーノが気遣うようにローザマリアの肩に手を置くも、ローザマリアは笑顔でそれに応え、大丈夫だと言うように首を横に振った。
「それと、リタを通してファーウェル領で調達した品々ですが、王都でかなり人気になっています。コルデラは女性を中心に人気を博していますし、こちらで作られた武器なども、品質の良さが注目されています」
暗い雰囲気を払拭するように、ローランドは明るい話題を繰り出した。
「そんなに人気なのか?」
「はい、もちろんです!特に武器は、王都以外からも注文が絶えませんので、こちらの鍛冶屋にも、直接交渉させていただいています」
「上手く行ってるようで良かったわ」
「はい!これからも、我が商会をご贔屓いただければ幸いです」
「ええ、よろしくお願いね!」
おどけたようにお辞儀をするローランドに、ローザマリアも笑いながら言葉を返した。
「それと、王都からも色々と品をお持ちしましたので、よろしければぜひご覧ください」
「まあ、楽しみだわ!」
「そろそろ結婚式のご準備もあると思いますので、必要なものがあれば、別途お申し付けくだされば、またお持ちいたします」
「…結婚…式…?」
ローザマリアがあまりにも辺境に馴染みすぎていて、本人さえ忘れかけていたが、来年の春には、ローザマリアとバルドヴィーノの結婚式を挙げることになっているのだ。本来なら一年をかけて準備をするところであるが、もうすでに半分ほど過ぎてしまっている。
「式は、こちらの辺境で挙げられますか?それとも王都で?」
「あー…、あんたはどうしたい?俺はできたら、この辺境で挙げられたらと思うんだが…?」
「は、はい。私も、こちらで挙げたいですわ。ファーウェル領の皆に、見てほしいです」
「そうか。じゃあ、王都から呼ぶ人も考えねーとな。久々に家族にも会えるし、嬉しいんじゃないか?」
家族。何気なく言ったバルドヴィーノのその言葉に、ローザマリアは顔を少し曇らせた。しかしそれを誤魔化すように微笑むと、何事もなかったように話しだす。
「はい。王太子殿下もお呼びになりますよね?」
「ああ、まあそうだな。呼ばなきゃ、一生ぐちぐち言われそうだ」
「ふふふ。ローランド、色々見たいから、後で運んでくれるかしら?」
「はい、すぐにお持ちいたします!」
そこからは、ラーラとロエナ、オーウェンも交じって、皆でワイワイと盛り上がることになった。当事者であるローザマリアとバルドヴィーノよりも、使用人たちの方が相当気合いが入っており、二人で圧倒されてしまったことは、ここだけの秘密である。




