第18話 突き刺さる悪意
辺境伯の帰城により歓喜に沸いたファーウェル城は、にわかに活気づいていた。使用人たちは、辺境伯の近くで仕える喜びを噛み締めている。
あれから、ローザマリアと辺境伯は毎日一緒に夕食を摂っていた。
話す内容は、その日あったことや領地に関することがほとんどで、婚約者同士でする話ではないかもしれないが、それでもローザマリアは満足していた。
また、辺境伯が戻ったことで領地の仕事も分担できるようになり、少しローザマリアにも余裕ができるようになった。今日も夕方前には、粗方の仕事が片付いたところであった。
「せっかくですから、閣下と一緒にお茶をするのはいかがですか?」
それは、手紙を届けにたまたまローザマリアの元に訪れた、オーウェンからの提案であった。
「お茶…?でも、閣下の邪魔になるんじゃないかしら?」
「そんなことございません。閣下にも休憩が必要でしょうから、きっと喜ばれますよ」
「そうかしら?…じゃあ、お持ちしてみようかしら」
少々不安はあるものの、魅力的な提案にローザマリアは抗えなかった。ラーラにお茶の用意をしてもらい、一緒に辺境伯の部屋に向かう。そうして階段を上りきったところで、廊下の向こうからやってくるジュリアンと遭遇した。
ジュリアンは辺境伯の唯一の従者であり、常に後ろに控えているため、こうして一人でいるところを見たのは初めてであった。いつものように人当たりの良さそうな笑顔を浮かべて、こちらを見た。
「こんにちは、ジュリアン」
「はい、ローザマリア様、ご機嫌麗しゅう。何か閣下にご用事ですか?」
「ええ。お部屋にいらっしゃるかしら?少し休憩をと思って、お茶をお持ちしたのだけど」
ラーラが持ってきたお茶に目を向けながら、ジュリアンに問うた。
「集中されてるようなので、今はおやめください。閣下のお邪魔になります」
「あら、タイミングが悪かったみたいね、ごめんなさい」
「いえ。お茶は私の方でお預かりして、折を見て、閣下にお渡しします」
「…そうね、お願いできるかしら?」
ジュリアンはラーラからお茶を受け取ると、そそくさと元来た道を引き返していった。
「なんか、ジュリアンさんって、ローザマリア様に冷たくないですか?」
「…そんなことないわ。ラーラの気のせいよ。ジュリアンは閣下のスケジュールも管理してるから、本当に今は余裕がないということなのよ」
「でも…。閣下と一緒にいる時は何も思わないですけど、時々、笑ってるのに笑ってないように見えるんです…」
ローザマリアにも心当たりがあり、思わず黙り込んだ。ラーラもそう感じているということは、やはり、ローザマリアの思い過ごしではなさそうである。
ーーこの前感じた視線も、ジュリアンだったのかしら…?
ローザマリアは、漠然とした不安を感じていた。
翌日は、朝早くからユディタとリタが訪れてきた。興奮冷めやらない様子のユディタが、早速持ってきたものを見せた。
「初めてのことなので、少々時間はかかりましたが、やっと納得のいく物ができたんです!ぜひ見ていただきたいと、急いでお持ちしましたが、いかがでしょう?」
それは、以前ローザマリアが頼んだ、クズ石を使ったドレスである。
胸元には、肌が少し透けるくらいの薄い生地が使われており、その一面に青色の糸で細やかな草花の模様が刺繍されている。足元はひらひらとしたレースが何重にも重ねられており、そのレースの端々にはたくさんのクズ石がつけられおり、キラキラと輝いていた。
「胸元は、コルデラの技法を用いて刺繍しています。ローザマリア様に言われて初めて思いつきましたが、なぜ今まで取り入れなかったのか不思議に思うほど、ドレスにマッチしました!むしろコルデラより広い範囲に刺繍できるので、模様のアイディアが尽きませんでしたよ!足元のクズ石は、白や青を主に使っています。歩くたびにレースがひらりと揺れて、それに合わせてクズ石も煌めくようになっているんです!」
誇らしそうに、ユディタが早口で説明した。
ローザマリアと一緒にいたリタもロエナも、そのドレスに見惚れていた。今までの流行のドレスとは全く違う形で、大きな宝石も付いていないのに、見るものを圧倒させるような繊細な美しさを放っていた。想像よりも素晴らしい出来のドレスに、ローザマリアはひどく感動した。
「なんて綺麗なの!!本当に素晴らしいわ、ユディタ!想像以上よ!!」
「良かったです!自分でも自信作なんで!特に足元のレースに苦戦しました…。でも、納得のいくものができたと思ってます!」
「最高よ!リタもロエナもそう思うでしょう?」
「はい!これは素晴らしいですよ、ローザマリア様!絶対売れます!!」
「今まで見たドレスと全く違いますが、むしろこっちの方が綺麗だと思いました。ドレス本来の美しさを感じます」
「そうでしょう!あんたたちも、見る目あるね!」
リタも興奮しながら、すでにどう効果的に売るかを考えている。ロエナはドレスに見惚れながら、まじまじと観察していた。全員から褒められて、ユディタは自慢げに鼻を鳴らした。
「やっぱり、あなたに頼んで正解だったわ」
「ありがとうございます!…本当に、こんな大役を任せて下さって、感謝しています。どうかこれからも、よろしくお願いします!」
感謝の言葉と共に、ユディタは深く頭を下げた。
最初は、ただのわがままお嬢様だと思っていたのに、今やそんな思いは消し飛んでいた。ユディタのことを信じ、ここまで任せてくれたローザマリアのことを、心から信頼し、その思いを少しでも伝えたかったのだ。
そんなユディタに近づき、ローザマリアは優しく声をかける。
「頭を上げて、ユディタ。まだまだこれからよ。これからもっと忙しくなるわ!これからも、頼んだわよ!」
「はい!お任せください!!」
大きな声で、ユディタは答えた。
ローザマリアが撒いた種の一つが、芽吹いた瞬間であった。これからこの芽は次第に大きくなり、大輪の花を咲かせることだろう。美しいドレスを前に、四人の勢いは留まることを知らず、興奮した雰囲気に包まれながら、次の作戦を立てるのであった。
ユディタが帰った後も、興奮冷めやらぬ様子でローザマリアは廊下を歩いていた。今後の準備のために、ロエナはリタと共に商会に向かわせたので、ローザマリアの足音だけがコツコツと廊下に響いていた。自室を目指して歩いていると、たまたまジュリアンが階段から降りてくるところだった。
先ほどのドレスのことを、辺境伯にも知らせようと、ローザマリアはジュリアンに問いかけた。
「こんにちは、ジュリアン。今閣下はいらっしゃるかしら?やっとドレスができたから、閣下にも早く見ていただきたいの!」
「…閣下はお忙しいので、そのような時間はございません」
先ほどまでの興奮が冷めるような、温度のない声でジュリアンは淡々と返答した。
ローザマリアは、はしゃいでいた自分が恥ずかしくなった。とはいえ、あのドレスは今後、辺境の目玉になってくるものだ。辺境伯にもその経過報告をしないといけないため、昂る気持ちを押さえて、改めてジュリアンに話しかける。
「ごめんなさい、少し興奮していたわ。ただ、閣下に報告しないといけないことだから、どこかで時間をいただきたいのだけど、空いてる時間はあるかしら?」
「ございません。ドレスなど、パーティーもないこの地では不要です。それに、この領地の状況をご存知でしょう?散財している余裕などありません。贅沢な暮らしをしたいなら、王都に戻ったらどうですか?」
にこやかな顔をしながらも、その目は鋭くローザマリアを睨みつけていた。明らかに悪意を含んだ目線である。
やはりあの時感じた視線は、ジュリアンからのものだったようだ。どうしてこんな目を向けられるか分からないが、少なくとも今回の件はジュリアンが誤解しているようだった。ローザマリアがドレスと言ったので、自分用のドレスを勝手に買ったと誤解されたのだろう。
「少し誤解しているみたいね、ジュリアン。詳しく話したいのだけど…」
「話すことなどありません。くれぐれも、閣下に迷惑をかけないでください」
とりつく島もなくそう言い捨てると、ジュリアンは廊下を歩いて行ってしまった。