第16話 結界
(バルドヴィーノ視点)
「どうか、お気をつけて」
そう言って見送ってくれたローザマリアの姿が、頭から離れない。
バルドヴィーノが王太子とともに、朝早く出発しようとすると、ローザマリアがやってきた。まさかこんな朝早くに起きてくるとは思わず、バルドヴィーノはかなり驚いた。どうやら、前回砦に戻った時も、同じように朝早くであったため、今回もそうであろうと予測していたらしい。しかも朝食代わりの軽食まで準備しており、またも驚かされることになった。
馬を走らせながら、ずっとローザマリアのことを考えていた。
ーーいや、だめだろ!!殿下もいるんだ、気を引き締めろ!
万が一何かあった時、王太子を守らなければならないのだ。緩んだ気持ちに喝を入れていると、不審に思った王太子が話しかけてきた。
「バルド、どうかしたのかい?」
「いえ。何でもありません」
「さては、ローザマリア嬢のこと考えてる?分かるよ!俺もこっちに来る時は、エヴァンジェリーナと離れたくなかったからね。朝から…」
「殿下の話は結構です!」
「なんだよ、ちょっとくらいいいじゃないか!」
ブーブー文句を垂れる王太子を無視して、周りの警戒に努めることにする。
ライン砦までは、馬を飛ばして1時間ほどかかる。砦までは、荒地ばかりが続いていた。少し前は、この景色が城下町まで続いていたというのに、最近は、町の近くには畑が整備され、徐々に作物が実り始めている。これも、ローザマリアのおかげである。
段々と今までの辺境と姿が変わり、領民たちの笑顔が増えていると思うと、領主として喜びを感じる一方で、戸惑いもある。なぜローザマリアは、ここまでしてくれるのだろうか。日々届く手紙からは、献身的に辺境に尽くしてくれているのを感じるし、今回会った時も、文句も言わず丁寧に対応してくれた。ただ婚約したからといって、そこまでできるものだろうか。
そうして考え込んでるうちに、大きくそびえ立つ砦が見えてきた。
砦の入口は、ファーウェル城と同じように頑丈な石でできており、奥の方に見える大きな城壁は、国境線をなぞるように作られている。入口を抜けると、中から兵士たちの威勢のいい声が響いてきた。
待ち構えていたかのように、砦を任せていた隊長が走ってくる。
「閣下。お戻りをお待ちしていました」
「ああ、ご苦労だったな。変わったことはなかったか?魔物は?」
「はい、特に問題ありません。魔物も、小さい物だけでしたので、すぐに対処できました」
「そうか」
「久しぶりだね、ヘルムート」
「はい、殿下!殿下もご健勝のようでなによりです。お待ち申し上げておりました。…例のものは?」
「ああ、持ってきたよ。行こう」
バルドヴィーノを先頭に、城壁に向かう。城壁の上は登れるようになっており、見張り台も付いていた。上まで上ると、近くにある魔の森が良く見える。何の変哲もない森のように見えるのに、ここからおぞましい魔物たちが定期的に発生するのだ。どういう原理で魔物が発生するのかは、いまだ謎に包まれており、日夜研究が進められてる。魔物への対処法はなく、いつ襲ってくるか分からない魔物をただ待ち構え、撃退するしかなかった。そう、今までは。
「バルド、例のものは?」
「あちらに」
バルドヴィーノが指さした先には、城壁の上に建てられた小さな部屋があった。中に入ると、部屋の中央には、人と同じくらいの大きさの巨大な魔石が置かれており、その周りをごつごつとした鉄のようなものが覆い、部屋の大半を占めていた。これは、魔道具であった。
「各地点には、すでに魔石を設置しました。魔物に壊されないように厳重に箱で覆い、地面に埋めてあります」
「そうか、ご苦労だったね。国境といってもかなりの距離だっただろう?」
「おまけに魔物が襲ってきますからね。少々時間はかかりましたが、予定の分はなんとかできました」
「良くやってくれた。じゃあ、始めようか」
王太子は、連れてきた従者の一人に目を向ける。深くフードを被ったその人物は、魔石の前に進み出ると、おもむろに懐から白く輝く魔石を取り出した。拳くらいの大きさのそれを、魔道具の一部にはめ込む。すると次の瞬間、中央にあった巨大な魔石が妖しく光り出した。
「…できたかい?」
「はい殿下、問題ないかと。外を見てみてください」
全員で外に出ると、白いベールのようなものが、国境線上を覆っているのが確認できた。
ーーやっと、完成した…
バルドヴィーノは、やっといままでの苦労が報われた気がした。隣にいるヘルムートなど、涙目になっている。城壁の下を見ると、様子を窺いに集まっている、部下の姿が見えた。それに向かって成功の合図を送る。
「うおーーーーー!!!」
その途端、砦からは大きな歓声が上がったのであった。
あの白いベールのようなものは、特殊な魔石を使った結界である。長年の研究で、魔石によって、宿っているエネルギーの種類や量が違うことが発見されており、様々な研究の末、魔道具を改良しながらできたのが、この結界であった。
この結界は、ある程度の魔物は入ってこれないようになっている。これで魔物の討伐はかなり楽になるだろう。やってきた魔物を退治しないといけないことに変わりはないが、結界で時間が稼げるのであれば、いくらでも対処ができる。
結界を作るためには、一定区間ごとに魔石と魔道具を置いておかねばならない。その魔石も、小さいものではなく、かなりの大きさが必要だ。辺境の魔物から取れた魔石は、国に納める決まりになっているが、バルドヴィーノと王太子は結託し、国王には内密に、結界に必要な分の魔石を、国に納めず国境沿いの各地点に設置したのであった。
これは、国王への反乱と取られても、何らおかしくない行為である。なぜなら、魔石一つで城を吹っ飛ばすことができるほど、ものすごいエネルギーが宿っているからだ。しかし、バルドヴィーノも王太子も、それは覚悟の上であった。たとえどんな謗りを受けようとも、領民を、シーラン国の民を守れるのであれば、そんなこと些末なことに過ぎなかった。
現在の国王は、自らの欲望を満たすばかりで、いくら辺境が大変だと訴えても聞く耳を持たない。自身の子である王太子が、権力を持つことすらも恐れており、王太子が助け舟を出すことも難しかった。いずれ、王太子が王になった暁には、と二人は時を待っていた。
しかし、バルドヴィーノの父である前辺境伯が亡くなった時、それでは遅すぎると二人は思い知ったのだ。今やらなければ、また大勢の人が、自分の大切な人が死んでしまう。それに、この状態がいつまでも続けば、いずれこの国は疲弊し、国ごと滅びかねないであろう。
王太子として、貴族として、成すべきことを成さねばならない。
そう決めてから、バルドヴィーノは魔石の設置、王太子は王都で、結界の研究を秘密裏に進めてきた。今回の王太子の訪問を大々的に行わなかったのも、余計なことがばれるのを防ぐためだ。どうせ、王都にいる貴族や国王は、辺境のことなど気にもしていないだろうが、念には念を入れてこっそりと行った。
あの決意をした日、つまり前辺境伯が亡くなってから、約五年もの歳月が流れていた。
色々と変わったものはあるが、変わらないものもある。
バルドヴィーノが横を向くと、王太子もこちらを見つめていた。その瞳はギラギラと熱を持ち、力強く先を見据えていた。この目に、民を一番に考えるその心に、バルドヴィーノはずっと忠誠を誓ってきたのだ。今でもそれは変わらない。
この結界は、バルドヴィーノにとっては、自身の領地のことであるため、感動もひとしおではあるものの、これは終わりではないのだ。ここからが、始まりなのである。
バルドヴィーノは、こちらを見る王太子をまっすぐと見つめ、変わらぬ忠誠を胸に敬礼したのであった。