幕間 バルドヴィーノ視点
「アーヴァイン侯爵令嬢より、お手紙が届きました」
ライン砦にある執務室で、書類を確認していたバルドヴィーノは、ジュリアンの言葉に手を止めた。すぐさま手紙を受け取ると、封を開けて中を見る。
窓から差し込む光で、鮮やかな赤い髪が煌めいている。褐色の鋭い目がゆっくりと手紙をなぞっていると、不意にその凛々しいかんばせをほころばせた。滅多に見ない辺境伯の笑みに、ジュリアンは固まった。バルドヴィーノは、そんなジュリアンに気づかず手紙を読み終わると、楽しそうに声を出して笑った。
「何が書かれてたんですか…?」
思わず問いかけたジュリアンに、バルドヴィーノはついと目をやった。
「ああ。なんでも、我が婚約者はクズ石を手に入れたいらしい」
「クズ石…ですか?あんなもの、何に使うんですか?」
「聞いたら、お前も驚くぞ。…まさか高価なドレスや宝石ではなく、クズ石を強請られるなんてな…」
クズ石など、この砦にいくらでも転がっている。そんなものを欲しがるとは、やはり変わった女だと思いながら、初めて会った時の、あの薄紫色の瞳を思い出した。緊張を隠しながらも、凛として堂々と自分を見つめていたあの瞳を。
ーーまさか、あんな女がいるなんてな…。
王命による政略結婚。バルドヴィーノにとっては、煩わしい以外の何ものでもなかった。
数年前に父親である前辺境伯が亡くなり、その穴を埋めるようにバルドヴィーノが後を継いだ。父親の死で混乱する兵士たちを取りまとめ、指揮を執り、魔物に襲われる国境を、そしてファーウェル領を、常に最前線で守り続けてきた。倒しても倒しても、魔物は湧いて襲ってくる。領内に目を向けたくとも、そんな余裕もなかった。
この地を守るのが、我が家の役目であり義務である。それは分かっているのだが、いくら倒しても、魔物は湧いてくるため、キリがなかった。それに、こんなに身を削って戦おうとも、国はそれが当然とばかりに何の支援もしてはくれない。
魔石と引き換えに、食料や物資を支給してくれることには感謝している。しかし、それも当然といえば当然のことである。国境を守ることはファーウェル家の義務ではあるが、その国境の防衛費全てをファーウェル家で負担するのは、到底無理な話である。
そもそも、領地の男手は全て前線で戦っており、農地や鉱山など、領地の収入となるべきものに人を割く余裕がない状況で、どうやって防衛費を賄うというのだろうか。まあそもそも、この辺境の土地は荒れ果てていて、鉱山も何もあるわけではないのだが。
自分たちは、毎日苦労して戦い、何とかやりくりして費用を賄っているというのに、国はそれを当然のことのように受け入れ、感謝もせず、しかも食料や物資を与えてやっているという感覚である。バルドヴィーノはそれが無性に気に食わなかった。
闘う苦しさや辛さを知ろうともせず、王都でのうのうと暮らし、己のちっぽけなプライドのために大金を使う貴族たちのことを、好きになることなどできなかった。特に王都の女性は、宝石やドレス、噂話にしか興味がなく、政治も戦いも何も知らないくせに、相手にしないとギャーギャーと喚き散らす面倒な相手でしかなかった。
「いつか、君に相応しい人が見つかるさ」
昔、王都で王太子であるリオネルに、そう言われたことがある。まだ父親が生きている頃で、父親の代わりに王都のパーティーに参加した時のことだ。王太子とは、幼少の頃から交流がありちょくちょく話をしていた。その時は、何をふざけたことを言ってるのかと思ったが、まさか、今こうしてそんな相手が見つかるとは…。
当時はまだ若く、婚約や結婚など考えられなかった。従者であるジュリアンは、「閣下の魅力がわからないような女、僕が寄せ付けません」などと戯言を言っていたが、そもそもこんな辺境で、しかも魔物に脅かされるような土地に、嫁ぎたい物好きがいるわけもなかった。辺境伯を継いでからは、どうやら王都に恐ろしいと噂が広がったようで、ますます相手もいなくなった。むしろそんな暇もないのでちょうど良いとさえ思っていた。
そうした中、急に決まった王命による婚約。あまりにも突然の話で、バルドヴィーノは耳を疑った。王家からの事前連絡なども一切なく、決定事項として伝えられたのだった。密かに王太子に連絡をとってみると、どうやら国王の仕業のようであった。
前国王は、頭が切れて先を見通す、まさに賢王であったのだが、息子の現国王は、残念ながらその才を引き継ぎはしなかったようで、目先の金につられ、後先考えずに命令を下していた。おそらく、国境の防衛に出している僅かな金さえも惜しくなり、こんな王命を下したのであろう。思わぬとばっちりを受けて、バルドヴィーノは頭が痛くなった。
しかし王命で決まった以上、覆すことはできない。たとえどれだけ気が進まなくとも、責任を持って添い遂げなければならないだろう。そんな鬱々とした気持ちで、ローザマリアと対面したバルドヴィーノは、いい意味で面食らった。
艶やかな黒髪で、淑やかな紺色の服を着て現れたローザマリアは、バルドヴィーノが知る女性の誰とも違っていた。そして、自分をしっかりと見つめるラベンダー色の瞳に、ぞわりと背筋が粟立つのを感じた。
美しいカーテシーに、気品ある所作、そして出迎えもしなかったバルドヴィーノに対し、むしろ感謝し、挙げ句の果てには自ら率先して手伝いを申し出るなどと、バルドヴィーノの女性に対する認識は全て吹っ飛んだ。
好きなことをさせてみると、本当に領地のために奮闘しているようで、また驚いた。オーウェンからもローザマリアの素晴らしさを綴る、長い手紙が届いている。今回のクズ石も、どんな結果をもたらすのか楽しみでしょうがなかった。久しぶりに、あの瞳を近くで見たいと思っても、すぐ動けない自分の立場が恨めしかった。
そうしてローザマリアのことを考えながら手紙を書くバルドヴィーノは、また自分の口角が上がっていることに気づいてはいなかった。