前編
「オステルフィール嬢!僕はキミを愛することはないッ!!」
言った。言ってしまったぞ!
結婚式当日の夜、夫婦の寝室。
目の前には、ソファに座って、今にもワインを飲もうとしているオステルフィール嬢。
いや、結婚したのだから、アルメリーと名前で呼んだ方が良かったか?
しかし、僕はこの結婚を認めていないのだから、彼女の家名であるオステルフィールと呼ぶのが良いはずだ!うん!
内心ドキドキしながら言ってやった僕は、そんなことを高速で考えた後。
「イフナース様。あなた、今、ご自身が生死の境にいること、わかっています?」
「は?」
ワインをひとくち飲んだオステルフィール嬢にそう言われ、固まってしまった。
「な、なにを……僕は今、ここに、元気で立っているじゃないか」
「ええホント、早く天へ還ってほしいところなんですけれど」
「えっ」
さらにワインを飲むオステルフィール嬢。結構ぐいぐい飲んでいるな。
見た目的に、もっと大人しい子だと思っていたんだけれど。
「そうですね……。ご自身の名前などは、わかりますか?」
ちらりと、僕へ向けられる視線が冷たい。
彼女との仲の構築なんてしていなかったから、仕方のないことだけど。
こほん、と、僕はひとつ、咳を出し、色々なことを思い返しながら喋った。
「僕は、イフナース。イフナース・ヴェイナンディアだ」
「合っていますね」
ヴェイナンディア伯爵家の跡取りとして生まれた僕は、家族に愛されて育った。
しかし、その愛を疑うべきことが起きたのだ。
僕の愛した人を、家族は誰も認めてくれない。
それどころか、オステルフィール伯爵家の令嬢との結婚まで、勝手に決めてしまった。
何ということだろう。
僕は必死で家族を説得した。
だけど誰も、僕の愛する人を認めてはくれない。
しかも、オステルフィール伯爵家との結婚は、王家による命令だった。
これが神の与えた試練なのか。
何とかしようと僕は頑張った。
しかし、結婚式の日付は迫ってくる。
結婚式当日、逃げ出そうとする僕に迫りくる魔の手……!
「段々チカラが入ってきてますよ。そういうのいらないので」
「はっ!すまない、よく友人にも注意されてしまうんだ」
「あと、迫りくる魔の手っていうか、お義父様とお義母様ですよね」
「くっ!!僕はキミとの結婚なんて認めないからな!」
「いえ、もう結婚しているので」
言って、オステルフィール嬢は、のんびりとワインを嗜む。
そう、そして、不本意ながらも、結婚式は執り行われたのだ。
「覚えていますか?今日、結婚式に登場したイフナース様は、柱のような、大きめの金属の棒に縛り付けられていました」
「……ああ、たしかに、そうだ。あまりにも僕が逃げるから、棒に固定されて……」
僕を縛り付けるあの時の、屋敷の皆の動きは、すごかった。
人はこんなにも一致団結することが出来るのだと、僕は感動した。
ふう、と、息を吐いて、オステルフィール嬢はワインを置き、こちらを見た。
「イフナース様。その後あなたは、教会の階段を降りる際、金属の棒が重すぎて階段から落下。
頭を強く打ち付け、今現在、意識不明の重体として、病院にいます」
「…………は」
結婚式の、その後。
思い出そうとすると、何故か遠く、意識が揺れる。
「しかし、僕は、今ここに……」
「お疑いなら、どうぞ、私に触れてみてください」
そ、と、手を差し出される。
「いや!そんな!夜会でもないのに、令嬢に触れるなんてダメだろう!!」
はしたない!
令嬢の方から、触れてみて、だなんて!きゃあ!!
「結婚しているのに、今さら何を……」
「僕はこの結婚を認めていない!」
「えぇー……あーもう、面倒くさいですね」
立ち上がったオステルフィール嬢が、僕に近づいてくる。
そしてその手が、ゆっくりと、僕の肩に触れようとする。
「きゃー!いやー!えっち……あれ?」
「ほら、触ることが出来ないのです」
目を閉じようとした僕の目の前で、オステルフィール嬢の手が、僕の体をすり抜けていく。
「これは……そんな」
「わかりましたか?」
今度は、僕の方から、指一本だけ、オステルフィール嬢の手に触れようとしてみる。
が、伸ばした指は、オステルフィール嬢の手をすり抜けた。
「そんな……オステルフィール嬢、キミはもう、亡くなっていたのか……」
「幽体なのは、私じゃなくあなただって言ってるんですよ。さっきから。」
「そうか。幽霊が自分の死を認めないという話は、よく聞く」
「よく聞いてくださいよ。幽霊なのは、イフナース様、あなたです」
「そんな馬鹿な」
そうして、オステルフィール嬢に言われるまま、ソファやワインを触って、僕は知ってしまった。
「どういうことだ……僕が幽体になっているなんて……」
「聞きしに勝るおバカな方ですね。やっと理解してくれましたか」
まるで一仕事終えたように、オステルフィール嬢は、ソファに座り息を吐いた。
ちょっと二時間ほど経っただけなのに、酷い言い草だ。
「しかし、僕はまだ、生きているんだろう?」
通り抜けてしまい、ソファに座れないので、床に座って、僕は首を傾げる。
意識不明の重体。
オステルフィール嬢はたしか、僕の事をそう言っていた。
「はい。……イフナース様、オステルフィール家との婚姻の理由も、覚えていますか?」
「ああ、婚姻の理由は、オステルフィール伯爵家に由来する」
「チカラを込めずにお願いしますね」
「善処する」
オステルフィール伯爵家には、稀に、幽霊が見える子どもが誕生する。
その力を頼りにされ、古来より彼らは、地方で墓守を任されてきた。
心残りがあると現れる、といわれている幽霊たちに、彼らはそっと寄り添う。
大切な人の最期の願い。それがあるならば、叶えたい。
オステルフィール伯爵家は、その橋渡しとして、特殊な立場だが、あらゆる人々に尊重されてきた。
しかし、ああ、なんということだろう。
昨今の、働きに働き、心が疲れた人々の目に、それは訪れた。
王都のあらゆる場所で、幽霊が目撃されたのだ。
幽霊といえば、オステルフィール伯爵家。
だが、そう。
オステルフィール伯爵家に幽霊が見える子どもが誕生するのは、稀、なのだ。
悲しいことに、今現在、幽霊が見える者は少ない。
少ないからこそ、地方で墓守をしているオステルフィール伯爵家の者を、たびたび王都に呼ぶわけには、いかないのだ。
王家は探した。
オステルフィール伯爵家の、幽霊が見える令嬢と婚姻を結べる、王都に居を構える血筋を。
そして見つけたのは、ああ、なんと悲劇的!
愛する人との仲を認めてもらえない、同年代の、将来有望なヴェイナンディア伯爵家の令息だった!!
「チカラ入ってますよ」
「はっ!すまない」
気付けば僕は立ち上がって、舞台役者のように胸に手をあて声を出していた。
なかなか治らない悪癖だ。
「まあ、なんか色々アレですけど……意外と理解は、していたんですね」
「僕を何だと思っているんだ。理解はしている!だが、受け入れることは出来ない!」
またワインを飲んでいるオステルフィール嬢から、顔を背ける。
僕の両親は、喜んで立候補したらしい。
オステルフィール伯爵家の結婚相手として、この僕をと。
僕が、唯一、愛しているあの子との仲が、どうしても認められないからって!両親はあまりにも、理不尽すぎる。
「まあ、そのとおり私には幽体が見えます。その中でも生霊には、オーラというか、まとわりついている念があるんです」
「ふむ?」
急な言葉に、僕は再びオステルフィール嬢の方を見た。
オステルフィール嬢は、グラスに入ったワインを眺めている。
「人はたまに、どうしても成したいことがあると、生きたまま霊となって現れ、その成したいことを成そうとします。
そして私には、生霊にまとわりついている念が、その成したいことを言葉で表して纏っているように見えています」
「ほうほう」
「私に見えるその念によると、イフナース様は、
私に『キミを愛することはない』と言いたいが為に、ここに現れたということになっています」
あっ。
ちょっと恥ずかしい。
「つまりイフナース様は、意識を取り戻すよりも、何がなんでも、『キミを愛することはない』と言いたかったと」
「段々と声の音量を上げるのやめてもらえるかな!!恥ずかしい!」
「恥ずかしいことだとは思っていたんですね」
「生霊になってまで、って思われるとちょっと……」
「そして生霊なんですけれど」
「あっ、続けるんだね」
「成したいことが成せると、大体は消えてしまいます。自動的に体に戻るということですね」
「なるほど。事を成すために出て来たんだ。一理ある」
「何故、イフナース様は、体に戻らないのです?」
くぴ、と、ワインを飲んで、オステルフィール嬢は首を傾けた。
僕も、合わせて、首を傾けてみる。
「何故……?何故なんだろう……」
「天へ還ってくれるというのなら、有難いのですけれど」
オステルフィール嬢の言葉のナイフが鋭い。
「わかったことがある。霊体であっても、心に傷はつく」
「貴重なご意見を有難うございます」
自らの手を眺めてみる。
自分が霊体だと、理解してから、よくよく見れば。
たしかに、あちこちと、向こう側が透けて見えるのだ。
「成したいこと……成したいこと……」
僕が考えている間も、オステルフィール嬢は、ぐびぐびとワインを飲み、
「夜遅くまで起きていられるうえ、好きなだけ呑めるとか、ホント親元離れるってサイコ~~」なんて呟いている。
ちょっと静かにしてほしい。
これが、僕の愛しのあの子なら……
「はっ!わかった!!」
「あら、まだ生きていたのですね」
「僕の成したいこと、それは、愛しの彼女に謝ることだッ!!!」
「はあ」
そう。オステルフィール嬢と、不本意ながらも、僕は結婚してしまった。
僕のあの子は、そのことに、心を痛めているかもしれない。
もしかしたら、眠れぬ夜を送っているかも。
ああ、愛しのエンリーア!!不甲斐ない僕を許しておくれ!!!
「ということは、これからそのエンリーアさんとかいう方のところへ向かわれるんですかね?」
心の中ではもうエンリーアの手を握っていたが、ここはまだオステルフィール嬢の前だった。
「いや、こんな深夜に女性の部屋へ行くことなんて出来ないだろう」
もじもじとしていると、呆れたように息を吐かれた。
「幽体がいったい何を言っているんですか」
そのまま、オステルフィール嬢は言う。
「朝になったら、まだ両親は王都にいるので、あなたの現象を話してみます。
その間、あなたはエンリーアさんのところへ行き、成したいことを成して、体に戻れるか試してみてくださいな」
「わかった。だが!僕は結婚を認めたわけじゃない!この寝室をキミが使うことは」
「ベッドを突き抜ける幽体が何を言ってるんですか。私はもうちょっと一人の夜を満喫したいので、どっか行っててください」
たしかに、さっき試したとき、ベッドも突き抜けたけど。
というか、全然眠気もなければ疲れも感じないのは、僕が幽体だからなのだろうか。
今日結婚式があったなんて、この軽い身体では信じにくい。
うーん。寝ることも出来ないのなら、朝まで何をしていよう。
とりあえず僕は、朝まで、屋敷にカビが生えてたり脆くなっているところがないか、すり抜けて点検することにした。
もし途中、使用人の体をすり抜けて、人体の中身が見えたらどうしよう。怖い。
そもそも、幽霊って日中でも動けるんだろうか。朝日に当たって、消えたりしないのだろうか。
でも、僕が消えるということは、実際の僕の目が覚めるということだから、良いのか?
うーんむむむ。
悩みながら、屋敷を巡って。
メモも出来ないことに後から気づき、僕が必死で、屋敷の直した方が良い箇所を覚えているうちに、朝日が昇った。