第6話 欠落と忠誠心
「レン君、これを見てどう思う?」
桐華レンが社長から見せられた写真は穴だらけになったアイアンドールのものだった。
「どうしたんです、これ。ついにこの鉄くず、戦車の的当てにでも使われたんですか」
アイアンドールはレンの所属するグレーラビットテクノロジーが製造した自動機械の一体だ。
社内の人間からは大体、鉄くずといった蔑称で呼ばれている。
動きが鈍重ですっとろく、武装も大したものはなく、頑丈さにしか取り柄がないためそう呼ばれている。
逆に言えば、その頑丈さはなかなかのもので、ここまで破壊された姿をレンも見たことがない。
「いや、これはアイアンガーデンに出していたうちの一体だよ。この写真は、昨夜遅くにうち宛に送られてきたんだ」
「……アイアンガーデンってあの悪趣味な監獄ですよね。あそこで試し撃ちの的にでもされたってことですか?」
「そういうわけでもなくてだね。これは収容区内に出されていたもののうちの一体なんだ」
「おっしゃっている意味が理解できませんが、つまり、囚人がこれをやったと?」
「囚人かどうかも実は曖昧らしくてね。回収に出た警備員の主張では、近くで寝ていた一人の少女がやったに違いないということなんだが」
「その話、眉唾では? アイアンガーデンに少女がいるはずありませんし」
「君もそう思うよねえ」
社長は不可解だと言わんばかりにこめかみに手をやり、首を振った。
「本来、故障した自動機械の回収は向こうの管理会社の仕事だが、回収の際に警備員が一人死亡したらしく、その収容区の警備員は誰も機体に近づこうとはしないということだ」
「なるほど。つまり、社長はこうおっしゃりたいわけですか。わたしに行って回収してこいと」
「平たく言えばそういうことになる。このまま向こうに任せていても、またぞろ少女が何だという与太話を聞かされるだけだろう。いくらアイアンドールが鉄くずとは言ってもね、あれはれっきとした我が社の製品だ。耐久テストに出したあれが壊れたとあれば、調査しないわけにはいかない」
「そして、アイアンガーデンという危険地帯に送り込むにはサイボーグのわたしが都合がいいと」
「そういうことになる」
尊大に頷いた社長にレンは胡乱な目つきを向けた。
桐華レンがサイボーグとなったのは三カ月前のことだった。
零細企業たるグレーラビットテクノロジーが初めて生み出したサイボーグ、それがレン。
アルコ・イーリス企業連合において、サイボーグは一般的だ。
七大企業には腐るほどいて、中小企業にもそれなりにいる。零細企業にもちらほらと。
サイボーグを所有することが一種のステータスとなっており、サイボーグの数がそのままその企業の力を表していると言っていい。
グレーラビットは零細だが、社長はその立場に甘んじていない。
常に上を目指している。
だから、入社二年目の社長秘書たるレンにある日言ったのだ。
「レン君、君が我が社で最初のサイボーグになってくれないか」
レンはその提案を受けた。
サイボーグ施術自体は外部に経験も技術も蓄積した専門の機関がある。
だから、安全性は問題ない。
ただ安全性さえ確保されていれば、誰もがサイボーグになるかというとそういうわけでもない。
レンが同僚や先輩に聞いてみたところ、八割がたが首を振った。
だが、レンはなぜか施術を受けることに前向きだった。
会社に対する忠誠心など存在しない。
社長の上を目指す野心も正直、空回りしていると思っていた。
それでも、レンがサイボーグになったのは、心の奥底にずっとある欠落感が理由だった。
いつからそれがあるのかをレンは覚えていないが、物心がついた頃から、彼女の心の中には常に何かが欠けているという感覚があった。
普段はそれほど意識しないが、何かや誰かの下に付くとき、その欠落感は明確になった。
学校でグループを組むとき、大学で教授の補佐に付くとき、そして、グレーラビットで社長秘書となったとき、心はいつも欠落を訴えた。
『わたしが仕えるべき主はこんな奴じゃない!』
それは悲鳴のような感情だった。
どれだけレンが頭で納得しようとしても、心はそれを拒絶する。
学生時代、レンはあらゆる分野で優秀だったが、ある一点、誰かの下に付いて動くことができないという点において、教員から落第を押されていた。
そんな自分をどうにかしたいと思ったからこそ、レンは社長の提案を受けたのだろう。
サイボーグになれば、そんな自分を変えられると思ったのかもしれない。
体が機械になれば、心も道理を取り戻すと信じたのかもしれない。
サイボーグ化の施術を終え、三カ月のリハビリを経て、こうして出社し、社長から命令を受け、そして、失望した。
『こんな奴の言うことなんて聞かなくていい!』
レンの心は相変わらずそう叫んでいた。
サイボーグになっても、タンパク質が金属質に変わっても、レンの心は何も変わらなかった。
「それでどうだい? 行ってくれるかな、レン君」
返事をしようとしないレンに苛立ったように、社長が口元を歪ませながら問うてくる。
レンは心を殺し、ただゆっくりと見目麗しい微笑みを浮かべた。
「もちろんです。つまり、これがわたしのサイボーグとしての初仕事というわけですね」
「助かるよ! 先方には話を通しておく。サイボーグとしての実力を遺憾なく発揮し、実地での調査を完遂してくれ」
「了解いたしました」
これは一種の示威行為なのだろうとレンは理解する。
グレーラビットもようやくサイボーグを持ったのだぞと世間にアピールするための宣伝行為。
本当のところ、アイアンドールの故障も、向こうの会社の煮え切らない対応もどうでもよく、社長はグレーラビットのサイボーグの存在をアピールするためにこの機会を利用しただけなのだ。
その判断をレンの理性の部分は肯定する。
何にせよ、内外へのそうしたアピールは重要だ。
虚飾でも何でも、名を売るのは会社として有益。
だが、レンの心はその合理的な判断に唾を吐いていた。
『面白くも何ともない理にかなった判断!』
なぜ自分の心がそんなにも憤るのか理解できないまま、レンはアイアンガーデンに向かった。
埋まらない心の欠落を仕事への責任で覆い隠すように。