第5話 セーフティと条件
眼下でうごめく黒腐の発生。
ブラックボックス内の魔力が尽きたとき、その魔力を補充するために黒腐が発生し、黒腐に触れた人間の魔力を奪う。
そして、三等級なら1000人、二等級なら50000人分という規定量に達したとき、魔力の満たされたブラックボックスが現れる。
それがクリアが聞いているところのブラックボックスの仕組みだが、今現在の状況にはそぐわない。
一人や二人ならば、もしかしたら箱内の魔力が尽きることはあるかもしれないが、五人同時はありえない。
しかも、全員が全員クリアの魔法を受けた後にだ。
同じことがウィンクイールでの一件でも起こっている。
あのときもクリアに凍らされたアランドランのブラックボックスからは黒腐が噴き出した。
再現性はある。
「まあ、とりあえずこのまま放っておいたら間違いなく周辺住民が犠牲になるんで……」
封鎖されたウィンクイールと違ってここは街中。
三十分と経たずに最初の犠牲者が現れるだろう。
地上に倒れている一般サイボーグはもう何人か巻き込まれたかもしれないが、正直、彼らのことまで気にかけてあげる優しさはクリアにはない。
気にするのは一般市民の犠牲だけ。
「はあ……魔力温存しときたかったけど、仕方ないかぁ……」
この現状を引き起こしたのは恐らく八割がたクリアが原因なのだろうから、そうも言っていられない。
「位置の上書き」
アイアンガーデンに保管しているクリアボックスをクリアは手元に引き寄せる。
さすがに生配信を行うのにクリアボックスは持ち歩いていなかった。
因果を断絶すべき対象は三等級のブラックボックス五つなのだから、5000人分の魔力で十分。
クリアの手のひらの上に瞬時に5000人分の魔力が詰まったクリアボックスが現れた。
人間一人をここまで引き寄せるにはクリアの体の中の魔力では足りないが、クリアボックスはあくまで魔力が詰まっただけの物品なので、そこまでの魔力は必要ない。
人と物で対価が異なるのは、たぶん物の因果というものは人に比べて薄いからだろう。
物品それ自体には運命を変えるだけの力はなく、あくまでそれを用いる人間がいてこそ現実に影響を及ぼす。
どんな危険な銃火器であろうと、使う人間のいない山奥に移動させたところで運命にさしたる変化はない。
それと同じことだろうとクリアは思っている。
「全く面倒ばっかりかけてくれちゃって!」
まずは最初に気絶させたサイボーグから対処を開始する。
倒したのは数分前だけあって、黒腐も結構な数が辺りに広がり始めている。
深夜でなければ市民の犠牲者は避けられなかったろう。
「カルマ・ディバイド」
黒い煤に覆われ、横たわるサイボーグの体に因果干渉をかけると、クリアボックスから一気に1000人分の魔力が損なわれる。
その体から黒い煤が消え去り、周囲に充満していた黒い影たちも潮が引くように一斉に消えていった。
根本を断てば、その結果も消え去る。
黒腐を生み出すブラックボックスが消えれば、その副産物である黒腐も消える。
当然の帰結だ。
惜しむらくは浪費する魔力だけ。
後には意識を失っているらしいサイボーグだけが残された。
「これ、まだ生きてるっぽいかも? びっくり仰天……でもないか、因果断絶使ったし」
断絶した因果はその連続性を失い、本来あるべき姿に戻る。
要するに、ブラックボックスの影響は消え去るということだ。
黒い煤に覆われる前の姿に戻るのだから、生きていること自体に不思議はない。
そして、クリアは順繰りに残る四人のサイボーグにも同じように因果干渉を行っていった。
その際、『道』の力が消えたことで、空中で倒れていた一般サイボーグが地上に落下したりもしたが、もちろんクリアは受け止めたりはしなかった。
魔力探知でその場に黒腐が残っていないことを確かめると、今度こそ飛び立った。
※
自宅マンションまで戻ってくると、その屋上に降り立つ。
深夜なので、当然人気はない。
「ヨークさん、いるー?」
付近にはヨークの姿は影も形もない。
しかし、クリアは虚空に向かってそう呼びかけた。
彼の連絡先をクリアは知らないし、知りたくもないので、実際上、連絡を取る手段はないのだが、何となくこれで伝わるという確信だけはあった。
しばらく屋上のベンチに座って待っていると、いつものようににやついたヨークの姿が現れる。
実際に肉体の位置自体をここに飛ばしているのか、それとも、視覚情報だけを飛ばしていたりするのかは知らないが、触って確かめてみたいとも思わない。
もし触覚情報まで付随させているとしたら、触ったところで確かめられるとも限らないが。
「珍しいね。君から僕を呼ぶなんて。どんな心境の変化だい?」
「仕方なくだよ。誰が好き好んでヨークさんみたいな人を呼ぶもんか」
「ひどい言われようだ。全く心には響かないけど。それで、用件は?」
「ブラックボックスについて改めて聞きたいんだけど」
あの不自然な黒腐の湧出について答えられる人間がいるとすれば、クリアと同じく世界の外側にいて、外部電池と称してそれを集めているらしいヨーク以外にありえない。
「今さっきね、三等級サイボーグ五人に襲われた」
「それはそれは。まあ、あんな目立つ形で衆目の前に自らを晒したりすれば、そうなってしかるべきだろうね」
「もしかしてみてたの?」
「あの生配信かい? 一応はね。君がまた突拍子もないことをやらかさないかと、戦々恐々としていたよ。余計なことをされて、こっちの計画に支障が出ても困るからね」
「あっそ。それで、ボクの魔法を受けたサイボーグ五人全員から黒腐が噴き出したんだけど」
「……」
「これってどういうこと? 推測だけど、もしかしてボクの魔法はブラックボックスのセーフティに誤作動を起こさせたりするの?」
以前トーマスに聞いた話では、全てのブラックボックスにはセーフティがかけられていて、それを作動させることで黒腐が噴き出すという話だった。
だから、クリアはその誤作動がクリアの魔法によって起こったのではないかと推測を立てた。
「誤作動ね……残念だけど、それは誤作動じゃない。むしろ正常な動作を行った結果、黒腐が発生したと言える」
「……どういうこと?」
「はあ……あまり君に与えたい情報でもなかったんだけど、どうせ遅かれ早かれの話だろうし、構わないか……」
ヨークは一人で勝手に納得すると、滔々と語り出す。
「ブラックボックスにはセーフティがかけられている。七大企業に反逆した者がその力を使うことがないようにね。企業側がセーフティを起動すれば、反逆者のブラックボックスから黒腐が噴き出す。ここまではいいね?」
「うん。カイモスさんはそのセーフティをかけられる前に脱出したんだよね」
「その通り。だから、彼は逃げ出した後も自由に活動することができた。このセーフティだけど、これは遠隔でスイッチ一つで起動させるような代物じゃない。そもそもブラックボックスという超常の産物にそんな物理的な機構は埋め込むことができない。このセーフティはとある条件によってのみ起動する」
「条件って?」
ヨークはクリアを指差し、無表情に言った。
「それは『クリア』の魔力を注入されることだ」
「……は?」
寝耳に水とはこのことだと思った。
なぜそこでクリア自身の名前が出てくるのか。
「ヨークさんは何を言ってるの?」
「理解しがたいのも無理はない。けれど、これは事実だ。ほとんどのブラックボックスにはこの機構が埋め込まれる。君の言うところのカルマ・クラフトによってね」
「たとえそれが事実だったとしても、なんでボクの魔力なの? この世界にとっては異物のはずのボクがなんでブラックボックスのセーフティに組み込まれているわけ?」
「それはむしろ異物だからこそというのが正しいだろうね。あくまで君は例外なんだよ。君という人間自体を組み込んだのではなく、『クリア』を組み込んだ結果、君もまた必然的に組み込まれることになってしまったというだけの話さ」
ヨークの言っている言葉の意味がクリアには理解しかねた。
それではまるでクリア以外に『クリア』がいるような言い方だ。
「忘れたのかい? 君が最初に出会った『カレン』は今君が知っているカレンだったかな」
「……」
「君がこの首都に来て知った『ヨーク』という人間は、今君の目の前にいるヨークだったかな」
「……そっか」
「そして、今僕の目の前にいるクリアとは別にこの世界の『クリア』がいる可能性を君は考えたことがあるのかな」
「ああ、そういうことね」
つまりは、並行世界からやってきたクリア自身とは別に、もともとこの世界に存在していた『クリア』という人間がいるとヨークは言いたいのだろう。
そして、その『クリア』はどうやら七大企業の中枢にいて、その『クリア』こそが恐らくはブラックボックスにセーフティを仕込んだ張本人。
その『クリア』によって『クリアの魔力』がセーフティのトリガーになったからこそ、並行世界から来たクリアの魔法によってもセーフティは起動することになった。
魔力の質は世界を超えたところで変わらないということだ。
どちらも同じクリアなのだから、セーフティは同様に起動する。
「もしかしてヨークさんがボクに目を付けたのはそれが理由なの?」
「……まあ、そういうことだ。僕の探し物は七大企業が持っている。そして、その中枢には君がいる。――正確には、この世界の君だけど。そして、『クリア』に対抗するには『クリア』しかない。目には目を、簡単な理屈だろう?」
「……はあ」
どうしてヨークがクリアを助けたのか、人を駒扱いするわりにはクリアをやけに気にかけていたような素振りがあったのはそういうことだったのだろう。
この世界のクリアに対抗するための駒として、クリアは欠かせないピースだということだ。
「じゃあ、ミミのブラックボックスにはセーフティが利かなかったのはどうして?」
「それについては推測になるけど、一等級のブラックボックスにはセーフティがかけられていないのかもしれない。一等級ブラックボックスに込められた魔力は膨大だ。その対価となる黒腐がひとたび放たれれば都市一つを壊滅させるまで止まらないだろう。さすがに七大企業としてもそんなリスクは冒せないと判断したのかもしれない」
ヨークのその推測はクリアとしても納得できる。
ミミのブラックボックスには100万人分の魔力が込められていた。
単純に100万人襲うまで黒腐が消えないのだとすれば、安易にセーフティをかけることもできないだろう。
「どうだい? これで君の疑問は解消されたかな」
「……まあ、大体は」
「それは重畳。用件が済んだのなら僕は帰るよ」
「うん。ありがと」
クリアの返事を聞く前にヨークは既に消え去っていた。
彼の姿が消えた地点をぼんやりと見つめ、クリアはぽつりとつぶやく。
「……この世界のボクは随分とまた非道な真似に手を染めてるんだね」
この国の体制を破壊しようというクリアにとってみれば、それは小さくない衝撃だった。
何せ敵は自分だったのだから。
最終的に目的を達成しようとすれば、必ずどこかで『彼女』とはかち合うことになるのだろう。
それを思えば、気分が重く――は全然ならなかった。
「逆に考えれば、相手が自分なら容赦をする必要もないってことだよね」
クリアは別に自分に甘いタイプの人間ではない。
むしろ相手が自分なら、誰よりも厳しくなれるタイプの人間だ。
「ここまで人倫を度外視した真似をやってるんだから、正義はボクにあると言っていいよね」
人の命をパーツのように、道具のように弄んでいる。
そんな『クリア』に対して手心を加える必要があるだろうか、いや、ない。
全ての元凶がもう一人の自分だったというのなら、構図としては分かりやすい。
悪のクリアを打倒して、正義のクリアが取って代わるのだ。
クリアは自分自身が100パーセントの正義などと言うつもりはないが、少なくともこの世界のクリアよりはましな人間であると断言できる。
「徹底的にたたきのめしてあげるからね」
クリアの中で沸々とこの世界のクリアに対する敵意が燃え上がってきた。




