第3話 遭遇と撤退
通りがかったパン屋の前で、ユリアに袖を引かれて、クリアは足を止める。
「クリアちゃんクリアちゃん! さすがにカメラとかに映っちゃうとまずいかもだから、あれかぶらない!?」
「あれって……」
ユリアが指さしたのは、パン屋の入り口に無造作に置かれている、どこにでもありそうな茶色い紙袋だった。
「あれかぶるの……?」
「うわ! すっごい嫌そうな顔!? 見つかっちゃまずいのは分かってるよね!?」
「分かってるけど、クソダサいなって」
「ああいうのかぶって泥棒ごっことかしてみたかったんだよね!」
「そっちが本音じゃん」
などと言い合いつつ、顔を隠す重要性は分かっているので、二人そろって紙袋をかぶった。
それから、目的地のノーブルヴァイオレットという名のホテルにたどり着くと、そこにはうじゃうじゃと兵士がうろついていた。軽く数えただけでも数十人はいる。しかも、そのほとんどがサイボーグ。
現在地はそのホテルにほど近いビルの屋上。腹ばいになるようにして身を隠しながら、目的地のホテルを二人で覗き込んでいる。
魔力探知で兵士が大量にいることを察知し、近くのビルに逃げ込んだ形だ。
鍵は魔法で壊した。
「どうなってるの? なんであんなに兵士がいるわけ?」
「分かんないけど、もしかしてあのホテルを現場本部的な感じで使ってるのかも! 確かパープルマスク系列のホテルのはずだし!」
「厄介だなー」
ホテルの周囲はドローンなども頻繁に行きかっていて、うかつに近づけない。
このビルの近くも安全とは言い難く、ドローンが通るたびに段ボールをかぶって身を隠している。
「あれだけ兵士がいたら気付かれずに中に入り込むのは、どう考えても無理じゃん」
「ね! あれだけ物々しい体制で何してるんだろうね! やっぱり黒腐がいつ発生してもいいようにってことなのかな!」
「……どうだろ」
今のところのクリアの七大企業に対する認識はすこぶる悪い。
そんな殊勝な心構えで行動するような組織には思えないというのが正直なところだ。
「黒腐が発生するときってさ、いつもこれだけ封鎖とかしてるの?」
「んーん、全っ然! 大抵一週間もして落ち着いたら終息宣言とかするんだけど、今回はすごい長引いてるみたい!」
「きなくさいなあ」
話を聞けば聞くほど、単純に黒腐のためだけに封鎖をしているわけではないように思えてくる。
何か別の目的があって、それを達成するためか、あるいは、別の問題に対処するために、封鎖を長引かせているのではないだろうか。
そう考えた方がクリアの中ではしっくりくる。
「クリアちゃん的にはどう思う!?」
「ん? なにが?」
「帰るか進むか!」
「んー、隙があれば入り込みたいけどね。ここで本当は何してるのかにも興味があるし」
「でも、ちょっとやそっとの隙じゃ無理だよね! あんなにいっぱいいるし!」
「まさしくそれ」
カルマ・スライドでホテルの中にいきなり移動するにしたって、中の構造が分からなければ着地点も見えない。
たとえそれができたとしても、クリアの感知する限り、ホテルの中にも動き回る人の気配はある。
そのすべてに悟られずに入り込むことはちょっとできそうにない。
「ごめんだけど、この辺りで引き上げ――」
「――動くな」
唐突に間近で、低い男の声がして、クリアは体を硬直させた。
横目でユリアを伺うと、同じように彼女も固まっている。
「動けば、貴様ら二人の腰から下は跡形もなく吹き飛ぶと思え」
クリアはなぜここまで接近されるまでこの男に気付かなかったのか疑問に思った。
魔力探知は常にしていて、周囲に近づく人の気配はないと確信していたはずなのに。
改めて背後にいる男の魔力を探知してみて、クリアは驚愕した。
男には魔力が欠片も感知できなかった。
人であるなら当然あるはずの魔力の流れも魔力の揺らぎも、何一つとして存在しない。
男の魔力量はそこらを闊歩している無人機械と完全に同一で、つまりはゼロ、人というより機械そのもの。
そう認識した瞬間、クリアには迷いがなかった。
「焼夷火球」
振り向かずに投射された火球は後ろの男に直撃した。
同時に男が手に持っていたらしい銃のようなものからも無形の何かが発射されたようだったが、それは同時にクリアが張った障壁によって阻まれた。
転がるようにして後ろを振り返ると、炎上した男の外形がゆっくりと溶けていくのが目に入った。
「跡形もなく溶けちゃったのは君の方だったね」
皮肉を言って笑ったクリアは、呆けているユリアの手をすぐに掴んだ。
「カルマ・スライド」
因果の滑落を発動させると、瞬時に二人の体はビルの屋上から消え、近くの民家の庭へと移動する。
こうなってはもう遺品の回収などということは言っていられない。
全力で逃げに徹するべきだと判断した。
カレン一人にもやられたクリアが、二十も三十もサイボーグを相手にしてどうにかできるわけがないのだ。
「カルマ・スライドはこういうときのための逃走手段なのだよ」
逃げ道を確保するのは基本。
でなければ、そもそもこんな場所にやってくることなどない。
そのまま連続してカルマ・スライドを発動させて、元来た道を凄まじいスピードで戻っていく。
消費魔力は軽微ゆえ、連続して使っても問題はない。
はたから見れば、クリアとユリアは一瞬、現れては消え、現れては消えを繰り返しているはずだ。
「魔力探知で周囲の安全確保も万全と」
人のいない場所を目指して飛び続ければ、着地直後の隙を狙われる心配もない。
無人機械がいればその限りではないが、幸い、遠目で見かけることはあっても、目の前で鉢合わせることはなく、最初に通った検問付近まで戻ってくる。
検問の辺りはそれなりに人数が集まっている気がしたが、それでも、満遍なく辺り一帯をカバーできるだけの人数はまだ確保できていない。
多少は時間がかかったものの、人のいない着地点を見つけ、検問を一気に飛び越えて移動する。
封鎖区域を出てしまえば、あとは容易い。
万が一にも封鎖区域に向かっている兵士などに見つからないようカルマ・スライドで移動を続け、十数分後、ようやく元いたリスデイルの駅の近くまで舞い戻ってきた。
「ここまで来れば安全なはず……!」
人気のない裏路地でようやく動きを止めたクリアは、発見されてからずっと黙ったままだったユリアの顔を伺う。
かぶっている紙袋を取り払うと、ユリアは顔面蒼白といった様子だった。
クリアは自身も紙袋を取り払うと、首をかしげる。
「もう逃げられたから、怖がらなくていいと思うよ」
「……く、クリアちゃん……、あの人は……?」
「あの人?」
「さっきわたしたちを捕まえようとした人!」
「うん。それが?」
「それが!? 燃えちゃったじゃん! クリアちゃんがやったんでしょ!」
責めるような色合いの声にクリアも少したじろぐ。
そうしたところで誤解に気付いた。
「ああ、あれは人じゃなくて、機械だと思うよ。本体は別にいるはず」
「……機械?」
「うん。人が燃えた匂いしなかったでしょ?」
「ひ、人が燃えた匂いなんて分かんないよ!」
「確かにそうだね。じゃあ、溶け方かな。人間はあんなぐんにゃりと曲がりくねるみたいに溶けないんじゃないかな、たぶん」
「た、たぶんって……、じゃあ、人かもしれないってこと!?」
「ないよ、人じゃない。それはない。魔力なかったもん」
「クリアちゃんがそう思ってるだけじゃなくて?」
「ううん。百パーセント、人じゃない。断言できる」
「……そっか。それなら……うん」
クリアが言い切ったことで、ユリアはようやく安堵した顔を見せた。
次に、ばつの悪そうな顔になって、クリアの頭に手を乗せる。
「ごめんね! 早とちりで責めるみたいなこと言って! 助けてくれてありがと!」
「ううん。ボクが誘ったんだから当然だし」
それから、頭を撫でられて、クリアは少し当惑する。
「今更だけどさ! クリアちゃんいくつなの!?」
「たぶん十五」
「たぶん!? ああそっか! 記憶喪失なんだったね!」
「そうだよ。そういうユリアはいくつなの?」
「十八だよ! 今年からぴっちぴっちの大学生だよ!」
「そうなんだ」
ならば子ども扱いされるのも仕方ないかとクリアはあきらめる。
ただしクリアはため口を利く。
よっぽどのことがない限り、クリアは年上相手でも言葉遣いを改める気はない。
「それよりごめん。結局、遺品とか回収できなかったね」
「いいよいいよ! 封鎖区域まで突っ込んでいっちゃうなんて、スリル満点わくわく万点で楽しかったし!」
「ならいいけど」
それを楽しかったで済ませられるのはなかなかに頭のねじが飛んでいるなあと、クリアは自分のことを棚に置いて考える。
一応、警戒はしながら裏路地を出ると、駅前の様子は何も変わらない。
クリアとユリアの存在は誰にも認知されていないはずだ。
十分かそこらで数十キロ単位の距離を移動しているから、認知されている方が異常なのだが。
それから、クリアはユリアとともに再び屋上鉄道に乗って、コーラスクレイス中央駅へと戻ってきた。
ユリアと別れる前に、シャープフォンの使い方を教えてもらって、カレンと連絡を取る。カレンの連絡先は既に登録されていたということだった。
ついでにユリアの連絡先も登録してもらう。
「クリアちゃんまたね! 今日は本当にありがとう!」
「うん。また」
手を振って雑踏に消えていくユリアを見送る。
しばらく駅前で人の流れを眺めていると、道路に止まった自動車の一台から、かっちりとしたスーツ姿のカレンが降りてくるのが目に入った。
大きく手を振って存在をアピールすると、苦笑を浮かべた彼女が近づいてくる。
「そんなに大げさに手を振らなくても分かりますよ」
「人が多いから埋もれちゃうかなって」
「姫様はそれなりに目立つ外見をしていますので、一目で分かりますよ」
「そうなの?」
確かに同類の白髪はご老人以外にそれほど見なかったので、クリアが目立つというのはそうなのかもしれない。
「しかし、どうせ外に出るとは思っていましたけど、まさか合鍵を忘れて出ていくとはね。できれば、そうしたかわいげは別の部分で発揮してほしかったものですね」
「ごめにょ」
「……時には口にしない方がましな謝罪もありますよ、姫様」
それから、仕事を早めに切り上げて帰ってきたというカレンと一緒に、クリアは彼女のマンションに帰った。
ちょっとした散歩だったが、いろいろと考えるところはあったと、その日クリアは満足して床についた。
※
※
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ウィンクイール近郊の山間部にある、とある軍事基地。
その中の豪奢な一室で、パープルマスク、ウィンクイール支部長アランドラン・ナイトゲイザーは、深くもたれていたオフィスチェアから軽く体を起こし、頭に着けていたヘッドマウントディスプレイを外した。
「ガキが……馬鹿にしやがって……」
低い声でつぶやくと、眉間に深いしわがよった。
たった今、子機との連絡が途切れる寸前に聞こえてきた少女の捨て台詞に、彼は無性に苛立ちを感じていた。
『跡形もなく溶けちゃったのは君の方だったね』
あざ笑うような響きの少女の声を脳裏に焼き付ける。
「次会ったら警告なしに腹から下を吹き飛ばしてやろう」
そして、動けなくなった頭蓋を踏み砕いてやる。
苛立ちを持て余して、拳を強く握り締めたところで、ようやく彼はこの部屋にいる自分以外の人の存在に気が付いた。
いつの間にか応接用ソファに一人の少女が座っていて、にやにやと笑ってこちらを見つめている。
「はあ……」
見慣れた顔にため息を吐くと、アランドランは呆れた声を上げた。
「……特別顧問、入室を許可した覚えはありませんが」
「えー? なんでぇ、許可がないと入っちゃいけないのぉー?」
馬鹿みたいに語尾を伸ばしてしゃべる少女に、アランドランは歯ぎしりをするほどの苛立ちを覚える。
たった今、子機を炎上させた少女への苛立ちなどどうでもよくなるほどの、それは怒りだ。
ただし、見知らぬ少女と違って、目の前の相手にその激情をぶつけることは、残念ながら彼にはできない。
立場の上でも、己の身の危険を考えた上でも、それは自殺行為に等しいからだ。
「日々の業務に差し障るからです。それぐらいはあなたにも分かるでしょう」
「えぇー? どうしてぇ? ミミ分かんなーい」
「……あなたの相手をしていては仕事にならないからです」
「えぇ~。でもぉ、ミミはここにいるだけだよぉ? ランランから話しかけてくるまで今まで黙ってたしぃ?」
「……ガキが」
「何か言った?」
「いえ、何も」
ミミ・ストミミス特別顧問。
少女の名前はそう言った。
特別顧問というのは立場を隠すための暗号のようなもので、実際にそのような役職はパープルマスクには存在しない。
実際の彼女の役割は、顧問や相談役といった仕事よりもむしろ秘密兵器に近い。
パープルマスクが抱える数多くのサイボーグの中で、彼女こそが紛れもなく頂点にいる。
長い黒髪に、たれ目がちな黒瞳に、すっと通った鼻梁に、淡い曲線を描く唇。
非の打ちどころのない美貌をしているが、アランドランがそれに心を動かされることはない。
造花を愛でる趣味は彼にはないからだ。
そして、それ以上に、目の前の少女の姿をした怪人を、もはや男や女などといった矮小な枠組みで捉えることができないからだ。
文字通り人の形をした怪物なのだ、この少女は。
「にしてもぉ、ランランが手こずるってどんな相手だったのぉ?」
「……すみませんが、せめてランランはやめていただけませんか。俺の威厳に関わりますので」
「やぁだよ~。そっちのほうがかわいいもぉ~ん」
「……くそが」
小声で悪態を吐くアランドランにミミが無機質な笑みを向けた。
底知れない不気味さをたたえた笑顔に身の危険を悟ったアランドランは、突っ込まれる前に話を逸らすことにした。
「……例の封鎖区域で紛失したBBを捜索中、こそこそと隠れてしゃべる二人の少女の音声を捉えまして。子機で捕らえようと警告を発したところ、一瞬で機体を破壊されました」
「ふぅ~ん。半年たってもまだ紛れ込むばかがいるんだぁ?」
「俺も少々意外ではありましたが」
「にしても、一瞬で破壊は情けなさすぎるんじゃない? それでも支部長なのぉ?」
あざけるように言うミミにアランドランは音が出るほど奥歯をかみしめた。
「……あの機体は遠隔操作と集音に重点を置いた機体ですから。そもそも探索用であって、戦闘用ではないんですよ」
「うわ~、言い訳だぁ~。いい年した大人がこんな女の子に言い訳してるぅ~。なっさけな~い!」
「――」
アランドランは思わず拳を振り上げそうになったが、一瞬で我に返り、振り上げた手の動きをカモフラージュするように額に手をやった。
天を仰ぐように上を向き、深呼吸をする。
「……ふー、はー、ふー、はー」
「大丈夫ぅ? 過呼吸?」
心配するような言葉をかけ、その実ミミの声音は確実に笑っている。
しばらく深呼吸をして、どうにか怒りを抑えたアランドランは目線をミミに戻した。
見下すような笑いが出迎えてきて、咳払いをすることで気持ちを切り替える。
「……とにかく、そのような侵入者があったわけです。周辺の捜索の指示は出しましたが、逃げ足の速い奴なら離脱は可能でしょう。現に十分ほどが経過した今になっても報告は上がってきていません」
「女の子にいいようにやられたよねぇ。ねぇねぇ、大の大人が女の子にいいように踊らされるのってどんな気持ちなのぉ? 悔しい? ねぇ、悔しい?」
「……特別顧問、そろそろ帰られてはいかがですか。次の仕事の予定もあるでしょう」
「え? なになになに? じゃま? もしかしてじゃま? ランランはミミのことがじゃまなの? もう顔も見たくないってことぉ?」
今度は唐突に目元を潤ませてミミが見上げてくる。
その表情が殴りたくなるほどにどうしようもなくむかついて、しかし、結局、アランドランは鷹揚に首を振るだけに留めた。
「とんでもありません。俺ごときにあなたの時間を取らせてしまっても申し訳ないと思いまして」
「ふぅ~ん。ま、そういうことにしてあげよっかなぁ~。いっぱいむかついた顔も見れたしぃ? 帰るね~。また来るからぁ!」
「……二度と来ないでください」
独り言のように言ったその言葉に笑みを深くして、意気揚々とミミはアランドランの執務室から出て行った。
「……はあー」
深々としたため息を吐くと、背もたれに体を預けた。
なぜかミミはアランドランのことを気に入っているらしく、仕事で近くに寄るたびに頻繁に顔を見せてくるのだ。
その癖、やることといえばアランドランを無駄に煽ってはイラつかせることだけ。
何がしたいのか分からないというのが彼の率直な気持ちだった。
「ガキに翻弄される日か今日は……。くそが……」
紙袋をかぶった舐めたガキと人を怒らせて楽しむいかれたガキ。
世の中には唾棄すべきガキが溢れている。
「今度会ったら覚えておけ」
鋭い目線を虚空に向けて、アランドランは誰に言うでもなく、独りそうつぶやいた。