第14話 仮面と対面
魔力を風に変換し、クリアはひた走る。
迫り来るカレンの拳を障壁で受け止め、お返しのように放った『疾檄雷球』はカレンにひらりと身をかわされる。
代わりにあらぬ方向に飛んでいった雷球はちょうどそこにいた警備員に直撃し、彼の意識を奪った。
「姫様! あまり威力を上げないでくださいよっ! 殺すと面倒なことになりますからねっ!」
「よっ!」と「ねっ!」のタイミングでクリアの障壁を続けざまに殴りつけたカレンが言う。
「分かってるって! 手加減はしてるっ!」
「るっ!」のタイミングで今度はクリアが圧縮した空気の塊をカレンにぶつける。
意表を突かれたカレンが一直線に吹き飛んでいき、また一人廊下の角から現れた警備員にぶつかり、その意識を奪い取った。
「あの! 人を砲弾代わりに吹き飛ばすのやめてくれますか!?」
「そっちこそ! 頑丈だからって、障壁をサンドバッグにしないでくれない!?」
不可抗力的にクリアが警備員を二人攻撃してしまった以上、当初予定していた、アイアンドールを暴走させて、施設内をかく乱するという計画はおじゃんになった。
代わりにクリアたちが取ったのは、二人が戦っているように見せながら、流れ弾で警備員を無力化していこう作戦だ。
大雑把極まりない作戦だが、魔力を感知できるクリアは警備員の位置が分かるため、効率的に無力化を遂行していくことができる。
魔法の実践的な使い方の訓練にもなって、一石二鳥だとクリアは感じていた。
「特に空気を圧縮して解放するだけで体ごと吹き飛んで移動できるのは発見だったよね。危うく壁にぶつかりかけるのが玉に瑕だけど」
魔力で風を生成し、圧縮、体の近くで解放させることで、自身を人間砲弾のようにして移動するというやり方を、戦闘を始めてからすぐにクリアは編み出していた。
「サイボーグでもないのに、生身で高速移動するの正直ショックなんですが!」
「まあまあ、そんなかっかしないでよう。加減を間違えると、壁にぶつかって潰れたカエル状態になるんだから、今のところ走るよりちょっと速い程度の速度しか出ないわけだし」
「ええ! 何せわたしがさっき受け止めましたからね!」
軽口を叩きながらも、戦闘の振りは継続している。
移動しながら警備員の意識を奪い続けて早十数分。
クリアが感知できる警備員の最後の一人にまでたどり着くと、偶然ながらその相手はグレイスという名のカレンの応対をした中年だった。
「どうしてお前らここに――うおっ!」
コントロールルームにいたグレイスに雷球を投げつけると、床に身を投げ出すようにしてかわされる。
クリアは露骨に舌打ちした。
火球も雷球もあくまでボールを投げた程度の速度なので、注意していれば避けることは可能なのだ。
「ま、待ってくれ! 殺さないでくれ! 何でも言われた通りにする!」
今度は避けられないように三つの雷球を同時生成し、三方から囲い込むようにグレイスに向かって放とうとすると、カレンがそれを止めた。
「待ってください、姫様。どうせなら彼に手伝ってもらうのはどうですか?」
「手伝うって何を?」
聞き返したところで、グレイスが動こうとしたので、雷球を放つ。
息を呑んだグレイスに着弾する寸前で雷球は周囲に散らばり、彼を取り囲むような形で雷の檻を作った。
「動くとどうなるか、分かるよね?」
「わ、分かった! 動かねえ! 動かねえから!」
それから改めてカレンに目を向ける。
「先ほど説明した通り、囚人方の死亡判定を偽装する必要があります。この施設の方に手伝っていただいた方が手っ取り早いのではないかと」
「あー、なるほどね!」
クリアは元気よく頷くと、手のひらをグレイスに向けた。
それをゆっくりと握り込んでいくと、雷の檻も徐々に彼との間隔を狭めていく。
「お、おい! 待てって! 無言で何しようとしてんだ、おい!」
「おじさん! 体がビリビリに痺れちゃう前に答えて! 協力する気はある?」
「あ、ある! だから殺さないでくれ!」
「あ、そうなんだ。ありがとう」
クリアが一気に拳を握り込むと、グレイスは「やめてくれえ!」と情けない声で叫んで、目を瞑った。
衝撃がやってこないことに困惑し、恐る恐るグレイスが目を開くと、雷の檻は跡形もなく消えていた。
「と、解くなら解くって言ってくれよ!」
「なんで? ちゃんとありがとうって言ったじゃん。ありがとうって言って、攻撃する人いる?」
「い、いねえかもしれねえが、お前はやりそうだよ!」
「失礼だな! おじさん! 死なない程度に痺れさせていい?」
「やめてくれ! 俺が悪かった!」
雷球を一つ出そうとすると、カレンにぽこんと頭を叩かれる。
「今はグレイスさんをからかってる場合じゃありません」
「ごめんなさーい!」
「すみません、グレイスさん。うちの姫様が」
カレンが謝罪すると、今思い出したようにグレイスはカレンを見た。
「ていうか、なんであんたがそいつと協力し合ってんだ!?」
「話すと長いですから、取りあえず言うことを聞いてくれますか」
「そうだそうだ! とっとと動けー!」
「な、なにをすりゃいいんだよ……」
ぶつくさ言うグレイスを促し、コントロールパネルの前に連れていく。
「こちらで囚人たちの位置情報も管理しているんですよね?」
「ああ。協賛企業の要望に従って実験機を向かわせられるようにな」
「生死の判定も?」
「ああ、そうだよ。基本的にはAI任せだが、こっちで操作することもできる」
「では、わたしが今から読み上げる囚人の方々を死亡済みに変えていただけますか?」
「……なんでそんなことする必要があるんだ?」
訝し気に振り返ったグレイスの鼻先にクリアが小さな雷球を生成する。
「黙ってやって」
「はい! 口答えしてすいませんでした!」
従順になったグレイスがカレンの指示に従っててきぱきと作業を始める。
幸い彼はここの操作に慣れているらしく、数分で作業は完了した。
「姫様!」
「りょか!」
廊下に出たクリアは窓から庭内に向けて特大の火球を放つ。
森の上空に到達した火球をさらに後から放った風球で爆発させる。
空に派手な火花が上がった。
「これでバルクセスさんたちも逃げられるはず」
警備員はすべて無力化した。
出口も開錠済み。
どこへなりとでも彼らは逃げていけるはずだ。
コントロールルームに戻ると、なぜかカレンがグレイスの胸倉を掴んでいるところだった。
「どうしたの?」
「……どうやら彼はわたしたちが来る前に所長に応援を求めていたらしく、もっと早く言えと苛立ちをぶつけていたところです」
「あらら~」
クリアが冷たい目を向けると、カレンに胸倉を掴まれて体が宙に浮いているグレイスが苦しそうに首を振った。
「しょうがねえだろ! ああも暴れられたら、応援ぐらい呼ぶわ! 早く言えっつっても、あんだけ脅されたら、そこまで頭が回らねえよ!」
「まあ、一理ありますね」
「で、応援が来るってこと? もしかしてサイボーグ?」
「それは分かりませんが、可能性はあるでしょうね。アイアンガーデンは七大企業にとってそこまで重要な施設ではないでしょうが、それでもサイボーグの一人や二人は常駐していても不思議ではありません」
「どうする? 逃げる?」
クリアが問いかけると、カレンは掴んでいたグレイスを下ろし、ゆっくりと首を振った。
「現状、警備員が意識を失っているというのは、わたしと姫様の戦いに巻き込まれただけという言い訳が利きますし、囚人方の逃走さえ隠し通せれば、向こうに致命的な被害は出ていません。姫様の身柄をどうするかという問題は残りますが、まだ交渉の余地はあるかと」
「俺が黙ってればの話だがな」
床に座り込んでふてくされた様子のグレイスがぼそりとそう言った。
クリアとカレンが見下ろすと、グレイスは卑屈な笑みを浮かべた。
「ばらされたくなかったら俺を――」
「分かっていないようなので忠告しますが、そんなことをすればあなたも道連れですよ」
「は? いや、俺は……」
「脅されたとしても、あなたは既にわたしたちの偽装工作に手を貸してしまった。その時点で一蓮托生です。あなたが本当に脅されてやったのか、それとも買収されてやったのか、七大企業は一々調べたりはしないでしょう。疑わしければ、不祥事の隠蔽のために、口封じがてら殺されるかもしれませんよ」
「……悪かった! 俺はあんたらを二度と裏切らない! だから……、命だけは助けてくれ……」
最後はほとんど消え入りそうな声でグレイスが言った。
非常に分かりやすい態度であり、クリアは分かりやすいものは嫌いではないので、彼をどうこうしようという気は起きなかった。
「それでは聞きますが、あなたが呼んだ応援というのは、具体的にどんな人員が来ると思われますか?」
「……分からねえ」
「さっき無線連絡したんですよね?」
「ああ。だが、返答は加工された音声で『準備が済み次第向かう』とだけ返ってきたんだ。だから、何人来るのかも知らねえ」
「加工された音声ですか。そういえばわたしが所長と話したときもそうでしたね。てっきりわたしが外部の人間だからとばかり思っていましたが、業務連絡でもわざわざそんなものを使っているんですか」
「理由は知らんが、いつもそうだな。だから、相手がどんな奴かも分からねえ」
「本部にはいつも何人ぐらい詰めているんですか?」
「それも知らねえ。行ったことないからな」
「……」
カレンが押し黙ると、代わりにクリアがカレンが思ったであろうことを口に出した。
「おじさん、使えないねえ……」
「うるせえ! 雇われの警備員つったのはそっちだろ! そんな詳しい事情知るわけねえんだって!」
それにしたってあまりにも内情を知らなさ過ぎた。
カレンもそう判断したらしく、グレイスから視線を切ると、コントロールルームの外へと足を向けた。
「取りあえず、囚人方の様子を確認しに行きましょうか。応援が来るのであれば、彼らに早く安全な場所まで逃げてもらわないと」
「そうだね」
カレンと連れ立って廊下に出ると、後ろからグレイスも付いてきた。
「俺はどうすればいいんだ?」
「偽装工作が終わった時点でグレイスさんにこれ以上求めることはありませんし、警備員の皆さんが目覚めるまで死んだふりでもしていてはいかがですか?」
「こ、ここまで来て放置かよ」
「あら、まだ何かこき使われたいんですか?」
「そうは言ってねえけど、なんか釈然としねえというか……」
ぶつくさ言うグレイスを残し、クリアはカレンとともにアイアンガーデンの出口の方に急いだ。
先ほど囚人たちがこの施設内に入ってきたのはクリアも感知している。
こういうときに魔力を認識できるのは都合がいい。
囚人たちの魔力の反応を追って行くと、ちょうど施設の外に出たところで合流することができた。
クリアの姿を認めると、バルクセスは嬉しそうに手を振ってきた。
「おう、嬢ちゃん。すげえな、一人でこの収容区を制圧しちまうなんてな」
「一人じゃないよ、カレンもいる。それに多分ここって襲撃される想定とかしてないんだと思うし」
「まあ、海を挟んだ向こう側まで犯罪者を助けに走る酔狂な奴もそういないだろうしな」
「それより本部から応援が来るらしいから、バルクセスさんたちは早く逃げて」
「おっと、そいつはまずいな! 立ち話してる暇なんてなかったか。行くぞお前ら!」
囚人たちを連れてバルクセスがすぐ近くの森の中に入っていく。
この周辺は基本的に自然が豊からしく、庭の中も外も森だらけなようだ。
彼らが森に消えるのを見届けてすぐ、クリアは自分の探知範囲に歪な魔力の反応が入ってきたのを感じた。
「姫様?」
「来たよ。サイボーグ」
「……何人ですか」
「一人」
クリアが魔力を感知できるのは大体数百メートルといった範囲だが、その中に感知できるのは一人のサイボーグのみだった。
普通の人間も付いてきていない。
ただクリアが感知できるのは魔力だけなので、自動機械の類いを伴っていたとしても認識することはできない。
「よほど自信があるのか、それとも、この島にサイボーグは一人しか配備されていないのか、あるいは自動機械の群れを伴っているか、といったところでしょうか」
「何にしても、初めは交渉するんだよね?」
「ええ。記憶喪失のあなたを保護したという体でいきましょう。あなたを説得する際にちょっとした戦闘になり、ここの施設の警備員が巻き込まれてしまったという筋書きで」
「りょーかい」
堂々と施設の入口に立ったクリアとカレンは件のサイボーグが訪れるのを待った。
数分して現れたのはカレンと同じく作業着姿に、顔全体を覆うようなガスマスクを被った体格のいい男。
警備員と連絡が取れなくなったことは分かっているだろうに、焦ったところはなく、ゆっくりとした歩みでこちらに近づいてくる。
施設の前に待っているクリアとカレンの姿を認めると、その数メートル前で足を止めた。
「私はアイアンガーデン所長のトーマス・グリアスだ。ひとまず君たちの名前を聞かせてもらえるかな」
その声はひどく歪な声だった。
人間らしい抑揚から外れ、拍子外れに平坦で、不気味なほどに人間味がない。
「桐華レンです」
「クリアだよ」
クリアとカレンが答えると、トーマスはまた不気味な声で話し始めた。
「グレーラビットの社長秘書と報告にあった正体不明の謎の少女だな。なぜ君たちは一緒にいるのかね」
「庭内で記憶喪失で混乱していた彼女をわたしが保護しました」
「ほう、言うに事欠いて保護とはね。よしんばその理屈を信じるとしても、なぜこちらに先に報告しない。君がどこぞの山奥で捨て子を拾ったところで誰も文句は言わないだろうが、ここは私有地だ。アイアンガーデンで拾った記憶喪失の子どもをなぜ君が勝手に保護できる?」
「彼女から話を聞いた後、報告しようと思っていました。ですが、施設内で説得に及ぼうとしたところ、混乱状態だった彼女は暴れ出し、戦闘になりました。幸い今は落ち着いて、状況を受け入れてくれていますが、何分警備員の方がその戦闘の余波で意識を失ってしまいまして、そちらと連絡が取れなかったのですよ。ですので、どなたか応援の方が来られるのを待っていたというわけです」
「ふむ……」
トーマスがガスマスクに手を当てて少しだけ考える仕草をすると、その隙にカレンが疑問を差し挟む。
「ではこちらからも質問してよろしいでしょうか。なぜ所長自らがここにお一人で来られたのでしょうか」
「……アイアンガーデンは少数精鋭で運営しているからねえ。事務員や雇われの警備員はいるが、わたしのように荒事にも対処できる人員は少ないのだよ。こんな何もない僻地の島に誰も好んで赴任してこようとは思わないのでねえ」
「なるほど。要は人手不足ということですか」
「まあ、そういう言い方もできる」
クリアは話の決着が付くまで黙っていようかと思っていたが、先ほどから気になっていたことが引っかかって仕方がないので、何となく口を開くことにした。
「ねえ、トーマスさん」
「……何かな。記憶喪失のクリア君」
「どうしてあなたの声はそんなにも人間味がないの?」
「……」
「ちょっと! ひめさ……、クリア!」
のっけから礼を欠いた質問をしたクリアにカレンが引きつった声を上げる。
しかし、クリアは意に介さない。
なぜなら普通の人間ともサイボーグとも違う歪な感触をトーマスの魔力に感じていたから。
「人間味がない……か。面と向かってそうしたことを言われると存外心にくるものがあるな。とうに諦めたこととはいえ」
「――ねえ、そのマスク取って、顔を見せてくれない?」
「……」
先ほどからずっとしている顔を覆うマスクの先に答えがあると直感したクリアは、ただ愚直にそう突っ込む。
カレンももはや口を挟めずにいた。
「いいだろう。どうせ隠したところで事実は変わらない」
トーマスがマスクを取って顔を見せると、カレンは表情を失い、クリアも目を見開いて息を呑んだ。
「声に人間味がないと言ったね。なら、この顔に人間味は感じるかな」
言うなれば彼の顔は鉄仮面だった。
鉄でできた仮面でも被っているような有様。
しかし、それは仮面でも、ましてやメイクアップの類いでもない。
正真正銘、彼自身の顔が鉄でできていた。
その顔に目はない。鼻もない。口もない。耳もない。
目の代わりに小さなガラス玉のような塊がはまっており、耳の代わりに小さな空洞が空いているだけ。鼻に至っては影も形もない。口に至っては均等に並んだ小さな穴がいくつか空いているだけ。
はっきり言って、それは人間の顔ではなかった。機械の顔だ。
「どうしてそんな顔をしているの?」
「ふむ……。子どもは残酷だね。聞かれたくないことにもずけずけと踏み込んでくる。どうしてかと言えば、うだうだと言い訳を連ねることはできても、突き詰めれば答えは一つだ。私が取り返しの付かないミスを犯したからだ」
「サイボーグ施術に失敗したという意味ですか?」
カレンが血の気の失せた顔でそう聞いて、トーマスはゆっくりとかぶりを振る。
「仕事上のミスに対する懲罰。こう言えば分かりやすいかな」
「……ミスをしただけでそんな顔に変えられたというんですか!」
「その通りだ。私はイエローコートでサイボーグ開発を担当していてね、とあるサイボーグの施術の際にちょっとしたミスをしでかした。その結果がこの鉄仮面だというわけだ。人里離れたアイアンガーデンに左遷されたのは、まだしも救いだったな。この顔ではろくに人前を歩くこともできない」
淡々と語るトーマスの中でどれだけの感情が渦巻いているのか、クリアには分からなかった。
ミスをした結果、人としてのアイデンティティを失うというのはどれほどの苦痛だろう。
「ボクには全然分からないんだけどさ、そのミスっていうのはあなたの今の現状に釣り合うものなの?」
「……。釣り合うか釣り合わないかは問題ではないのだよ。罪には罰を。責任は誰かが取らなくてはならない。それが組織というものなのだよ」
「でも、それは人間のやることじゃない」
「――そうだね。少なくともその意見には同意しよう。だからといって、一組織の一歯車にしかない私には君たちを許す権利もない」
トーマスがどこか悲し気にそう言うと、今さっきバルクセスたちが逃げ込んでいった森の中から十数体ほどの自動機械が姿を現した。
狼のような姿かたちをしたものが十体近く。象のような姿かたちをしたものが三体ほど。
その象の背中にはバルクセスたち囚人らが意識を失った状態で乗せられていた。
「――さて、私が意味もなく身の上話をしていたとでも思ったかな。その間にこれ以上ない物的証拠を捕らえたわけだが。君たちはどう言い訳する? まだ記憶喪失の少女を保護しただけだと、取り留めもない言い訳を続けるかな?」