第13話 計画と無計画
「そういえば、ヨークさんはどこに行ったの?」
カレンとの話の決着が付き、改めて囚人たちの方を見たクリアは、その中にヨークの姿がないのを見て取り、そう尋ねた。
「ヨーク? 誰のことだ?」
「……あー」
けれど、困惑顔のバルクセスから先ほど聞いたのと似たような返事が返ってきて、クリアはなぜか納得したような気持ちになった。
他の囚人たちに聞いても、同じように誰のことか分かっていない様子。
では、カレンはと顔を向けると、
「わたしはそもそもそのヨークという方を存じませんし、姫様と戦っている間、囚人の方々に注意も向けていませんでしたので、覚えている覚えていないの判断も付きません」
という答えが先んじて返ってきた。
「子犬のカレンがみんなの中から消えたのと同時に、ヨークさんのことも消える、ね」
こうなった以上この二つの事象をつなげて考えないのは無理というものだろう。
カレン一人では無理だった、あの状況からクリアの命を救うという無理難題。
あるいは誰かの助力があれば、それは可能だったということなのか。
カレンが言うところの『何か』を起こしたのはヨークだったのかもしれないという推測。
思えば、クリアが目を覚ますときに聞いた声、あれはヨークの声だったのではないだろうか。
ぼんやりしていたのでよく覚えていないが、手を貸すだのなんだのと言われた気がする。
「だとしても、あの人は何者で、なんでそれができるんだろうか……」
「それは分かりませんが、そろそろ脱出の計画を練りませんか。既にいない人のことを考えたところで何の生産性もありませんよ」
「そだねー」
ということで、クリアはカレンや囚人たちとともに改めて脱出の段取りを話し合うことにした。
ヨークに関することは謎が残るが、本人が痕跡もろとも消えた以上、考える材料もない。
クリアの命を助けてくれたというのなら、いずれどこかで出会うこともあるだろう。少なくともお人好しには見えなかった彼が、何の見返りもなくクリアを助けてくれたとは考えにくい。
「ま、いずれ借りは返そうっと! 今は脱出計画!」
本来の予定では、日が沈んだ後しばらくして、囚人たちと合わせてアイアンガーデンから出るべく夜襲をしかけるつもりだった。
しかし、そこにアンアンガーデン協賛企業の社長秘書であるカレンという立場の人間が仲間になると、途端に話は変わってくる。
囚人たちはカレンに対する多少の警戒心はありつつも、彼女に敵意がなく、協力する意思があるということをある程度は汲み取ってくれたようで、彼女を交えて話し合うことにも同意してくれた。
「私から提案するのは、言ってしまえば、死んだふり作戦です」
カレンはそう切り出した。
「死んだふり? まあ、作戦としては分からなくもないが、それは可能なのか?」
バルクセスの疑問に、カレンが力強く頷く。
「可能か不可能かで言えば、可能でしょう。みなさんとしては、ほぼほぼ死ぬ気で戦いを挑んで、運が良ければここを抜けられるかもしれない。そんな風に安易に考えていたのかもしれませんが、私としてはそんな玉砕覚悟の作戦に頷くことはできません。成功する可能性が低いというのもそうですが、何より姫様の安全のためにも」
「そうです! ボクの安全のためにもっ!」
口ではそう言いつつも、クリアが考えていたのは囚人たちにも死んでほしくないということだった。
クリアを生かすためには命も惜しくないとまで言ってくれた彼らにはクリアも死んでほしくない。
「そりゃ死なずに済むなら俺達もその方がいいが……。死んだふりをするにしたって、解決しなきゃいけない問題はいくらもあるだろう」
「ええ、私もここに来て詳細は初めて知ったのですが、あなた方囚人たちの胸には位置を特定するための機器が埋め込まれている」
「IDチップだな」
「はい。まずはそれをどうにかしなければ、死んだふり作戦などできるはずがありません」
そういえば、バルクセスからそんな話を聞かされていたかとクリアは思い出す。
「でも、そんなものをどうやって取り出すの? 心臓に近いとかっていう話だったよね。それは自分たちで取り外せるような類いのものなの?」
「無理でしょうね。ですが、別に取り出す必要はないと思いませんか。アイアンガーデンでは死体の処理すらまともに行われている様子はない。なら、囚人が死んだかどうかの線引きはどうやって行われているのか」
うーんと少し考えて、何も分からなかったクリアは素直に聞いた。
「どうやって行われてるの?」
「……おそらくですが、位置情報が変化しなくなったりだとか、あるいは単純に心臓が停止したことを感知してか、そうした囚人たちから死亡判定が為される仕組みになっているはずです」
「へー、そんな便利な仕組みがあるんだー」
「ええ。ですから、わざわざチップを取り出すなどという面倒なことをしなくても、死亡を偽装することは可能です。死亡判定が自動で行われているのか、手動で行われているのかは分かりませんが、どちらにせよその仕組みに割り込んで、あなた方の生存判定を死亡判定に切り替えてしまえばいいんです」
カレンの言葉に納得するように何人かが軽く頷いた。
「それにこの案には少なくとも、もっとも大きな利点が一つ、存在します」
「……えー! なになにー! なんだろうー!」
クリアがおどけて大げさに反応すると、カレンは軽くため息をついて、呆れた顔を浮かべた。
「姫様……、茶化すのはやめてくれませんか? 真面目に話してるわたしが馬鹿みたいじゃないですか」
「茶化してないって。絵本に熱中する幼児みたいに真剣だったよ」
「幼児の振りをする時点で茶化してるんですよ……」
はあ、ともう一度ため息を吐くと、気を取り直してカレンが続ける。
「この案の利点は七大企業に目を付けられる可能性を減らせることです」
「すっごーい!」
ぱちぱちぱちとクリアがまた大げさに拍手してみせると、今度はカレンも冷たい一瞥をくれただけで、それについては何も反応しなかった。
「この姫様はともかくとして、みなさんは七大企業のやり口はよくご存じのはずでしょう」
「……うぅ、カレンが冷たい……、しくしくしく……」
「……彼らが自分たちに反逆する意思を持った者を野放しにしておくはずがない。ここを力任せに突破することができたとしても、その次はありません。彼らはあなた方の命を刈り取るまで、追跡することをやめないでしょう。下手をすれば、私のようなサイボーグがあなた方を殺しにやってくることさえ考えられる」
「確かにな。何の力もないしがないパン屋の俺でさえ、こんな地獄にぶち込むクソ野郎どもだからな。逃げ出した囚人をはい、そうですかと見逃してくれるはずがねえ」
「ねえ、あなたの姫様が泣いてるよ。心の底から悲哀に満ちて、滂沱の涙を流しているよ?」
「その通りです! バルクセスさん!」
あえてクリアの発言を遮るように、カレンが声を上げる。
クリアは仕方なく、「その通りだよ! バルクセスさん!」と異口同音に続けた。
そんなクリアを孫でも見るような微笑ましい目で見て、バルクセスは力強く頷いた。
「俺としても姉ちゃんの意見には賛成だ。嬢ちゃんのこれからを考えるなら、いきなり特攻仕掛けんのは考えなしだったと言わざるを得ないだろう。死んだふりでいけるのなら、そっちの方がいいわな」
「ご理解いただけて助かります。実を言うと、私としては姫様だけを連れて密かにここを脱出する案を考えていたんですが、みなさんと姫様との様子を見ていると、そういう雰囲気でもありませんしね。どうせならと、みなさんもついでに脱出させることにしたんです」
「……正直だな、おい」
若干の苦笑いを浮かべて呆れたようにバルクセスが言い、カレンはそれに素知らぬ顔。
考えてみれば、とクリアもようやくそこに思い至った。
そもそもカレンがこの場にやってきたのはアイアンドールが破壊されたからであり、それを為したのはクリアだ。
彼女がクリアだけを連れて、会社に対して都合のいい報告、例えばクリアを始末したとでも言ってしまえば、それだけでどうにかなる話でもあったわけだ。囚人たちの安否を度外視すれば。
もちろんあれだけ親身になってもらった彼らを見捨てようという気はクリアにはない。
彼らが明らかに法を犯したような犯罪者だったとしたら話は違ったかもしれないが、彼らはある意味被害者だ。
独裁を敷く大企業からの弾圧に遭った哀れな虜囚。
そんな彼らを見捨てることなど、クリアにできようはずもない。クリアは決して博愛主義者ではないが、恩には恩を、優しさには優しさで返すタイプだ。
「それで具体的には、俺らはどう動きゃいいんだ?」
バルクセスの問いに対し、打てば響くように明朗にカレンが答える。
「基本的な動きとしては、私と姫様で内部に入って向こうの動きをかく乱し、みなさんにはその間に逃げてもらうという流れになります。関係者用の出入り口を私が内から開けておきますので、合図を確認したらそこから脱出をお願いします」
「なるほど。分かった。しかし、済まねえな。結局こっちが一方的に助けてもらうだけになっちまって」
「構いませんよ。姫様があなた方を助けたがっているようでしたので、わたしはそれに従うだけです。ですが、脱出した後の面倒まではこちらも見切れませんので、ご自分で何とかしていただくしかありません」
「ああ、そいつは分かってるさ。嬢ちゃんと姉ちゃんのおかげで、この地獄から出られるかもしれねえ機会が得られたんだ。それ以上を求めるのは欲張りすぎってもんよ」
カレンの捉えようによっては冷たい発言に、バルクセスは力強く首を振る。他の囚人たちもそれに異論はないようだ。
そんな彼らに何か一言でも声をかけたいと思って、クリアは口を開いた。
「当てはあるの?」
心配そうに眉根を寄せたクリアを見て、バルクセスは朗らかに笑う。
「さあな。だが、曲がりなりにもこの鉄庭の中で生きてきた俺達だ。どんな環境でも、ある程度は生き残れるだろうよ。幸い、この島はアイアンガーデンの他には七大企業の秘密施設があるらしいってぐらいで、手つかずの自然が多い。人目を忍んで生きていくぐらいの土地は十分すぎるほどにあるだろうよ」
「そう。がんばってね」
「ああ、嬢ちゃんもありがとな」
どうにかしたいような気持ちはあるが、クリアにできることには限りがある。
つい先ほども、相手がカレンでなければ危うく命を落としてしまうほどの敗北を喫したばかりだ。
できないことをできるなどと、不遜にも驕ることはできない。
クリアはそれを痛いほど知っているはずなのだ。
彼らがここから脱出する手助けができるならそれで満足するべきだと彼女は自分に言い聞かせた。
「姫様。彼らへの合図はお任せしますね」
「ん? ああ、そうだね。それはボクがやるよ。どでかい炎を打ち上げるから見ておいてね」
せめて彼らのためにできることをやろうとクリアは気持ちを引き締めた。
※
※
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カレンが施設内に戻ると、ぎょっとした顔をしてグレイスが声を上げた。
「お、おい……、その女……!」
「はい、あなたの言っていたのはこの子で間違いありませんよね。寝ている間に近寄って、燃やされかけたという」
カレンが抱えるクリアの顔をおっかなびっくり見つめて、彼は喉を震わせるように返答した。
「間違いねえ……ありません。だが、そいつをどうやって……」
「言いましたよね、私はサイボーグだと。多少の抵抗は受けましたが、割合、簡単に無力化することができました」
「……」
淡泊に口にしたカレンに、信じられないものを見るような目でグレイスが言葉を失う。
簡単に無力化と口にした辺りで、腕に抱えたクリアの体がぴくりと震えたのがカレンには分かった。
悔しいのか気に入らないのかむかつくのかなんなのか知らないが、嘘を信じ込ませるために多少の誇張は必要だと理解してもらうしかない。
「これから私は社の方に戻って、この子から事情を聞くつもりです。凶暴なのは確かかもしれませんが、私がいれば抑えられるということは分かりましたので、問題はありませんし」
「……それはまあ、構いませんが。俺としてもそんな危ない奴が庭の中にいるってんじゃ、おちおち警備もできませんし。医務室でうめいてるフレイルの二の舞になるのはごめんですからね」
カレンはグレイスの怯えた態度に苦笑を浮かべかけ、けれど、その言葉の内容にふと違和感を覚えた。
「……フレイルさん、ですか? わたしの記憶が正しければ、その方は焼け死んだはずでは?」
「何をおっしゃいますか。全身にやけどこそ負いましたが、ぴんぴんしてますよ!」
「……」
カレンは整合性のつかない矛盾に一瞬思考が空白に染まったが、子犬としての記憶の一場面を思い出し、その子犬が消えたことで因果はそのように落ち着いたのかと理解した。
何せフレイルという警備員を焼き殺したのは、実のところ子犬のカレンだ。クリアはあくまで初弾を命中させただけ。追撃したのはカレンなのだ。
そして、その子犬がいなかったことになれば、死んだはずの人間も生き返る。ある意味、当然の帰結ではあった。
「とにかく、俺としちゃ、その女を連れていってくれるってんなら、もろ手を挙げて歓迎するところです」
「ありがとうございます。あ、念のため、アインアンドールに関するデータも回収しておきたいのですが、よろしいですか?」
「ああ、それならゲスト用のコントロールルームがありますんで、案内します」
「お願いします」
「分かってるとは思いますが、自社データ以外へのアクセスは禁じられてますし、ロックもかかってます。この機に乗じてデータを盗もうなんて、よからぬことは考えないでくださいよ。絶対に面倒なことになる」
「はい、もちろんです」
頷くと、カレンはグレイスの後に続いた。
「ここに来たときに話したと思いますが、コントロールルームを使うには所長の許可を取る必要があるんで、少し待っててもらえますか」
応接室に案内されると、グレイスはそう言い残して出て行く。代わりに警備の兵が二人、室内に入ってきた。
さて、とカレンは頭を巡らせる。
ここからいかにしてこの施設内をかく乱し、囚人たちが逃走する隙を作るか、カレンの腕の見せ所だ。
アイアンガーデンには一辺四十キロの正方形でできた収容区が十個あり、カレンたちが今いるのはその内のセクション5。島の中央に位置した収容区の一つだ。
それぞれの収容区には十人ほどの警備員が詰めているが、彼らは雇われた一般人で、戦力自体は大したものではない。
ここに来る際に確認したところ、収容区の周囲にも大した防衛設備は見受けられなかった。
となれば、自動機械などの防衛設備は収容区ではなく、それらを管轄する本部棟に存在していると考えられる。
本部棟はイーリス本土に近い海辺に存在していて、カレンも入島の際には、そこで所長と無線越しに言葉を交わした。
現状、クリアが実験機を破壊した件は本部棟に伝わっているだろうが、それだけで彼らは動かないだろう。
七大企業にとっては、クリアの所業も所詮他社の実験機が壊れた程度の認識でしかない。あくまで他人事なのだ。こと現在に至るまで戦力を一つも送ってこないことからもそれは分かる。
だが、囚人たちの脱走は別だ。それはアイアンガーデンの存在目的に関わることであり、彼らはそれを絶対に許容しないだろう。
だから、最低でも彼らの脱走だけは決して外に漏らしてはいけない。
「すみません。ちょっといいですか?」
カレンは壁際に立つ二人の男の内の一人に声をかける。
「はい?」
「聞いているかもしれませんが、わたしはサイボーグで、先ほどこの子を抑えつけるときにその機能を使ったんですが、何分、手術を受けたばかりなもので、どこか無理をしたのか、体の動きがちょっとぎこちないんですよ。セルフメンテナンスをしたいんですが、構いませんか?」
「それは問題ありませんが」
「できれば外していただけませんか?」
「それはなぜでしょうか?」
「分かりませんか? サイボーグでもわたしは女性なのですが。それともこちらに出資しているはずの協賛企業から来た訪問者であっても、絶対に一瞬たりとも目を離してはいけないという規則でもありますか?」
「……いえ、さすがにそこまでは。というよりも、私たちがいるのはそこの娘がいつ暴れ出すかも分からないとグレイスさんから忠告を受けたからで、規則ではないんですよ」
「なるほど。じゃあ、この子は部屋の外で見張っていてもらえませんか。その間に私は用を済ませますので」
「……わ、分かりました」
返答にやや動揺した調子が混ざったのは、グレイスから寝ている間に火球を飛ばしたという報告を受けているからだろうか。
実際、彼女は今起きているので、辺り構わず火球をまき散らしたりはしないのだが。
見せかけだけだが、クリアには一応手錠はしている。年端もいかない拘束された少女にそこまで怯えるものかといった態度で男はクリアを受け取り、部屋を出て行った。
「……」
一瞬のち、部屋の外から何かが壁にぶつかりでもしたような鈍い音が聞こえた。
とてつもなく嫌な予感を覚え、カレンはおそるおそる扉を開く。
「あ、ごめん。こいつ、変なとこ触るから、つい反射的にやっちゃった」
「……はあ」
笑顔でこちらを振り返るクリアと、全身に電撃を喰らったのかぴくぴくと何度も体を痙攣させる男が二人。
これで少なくとも、何の痕跡もなく、とはいかなくなったわけだが。
「分かってますか、姫様。私はあなたのためにこんな、しち面倒くさい工作なんかやろうとしているんですよ。なのに、そのあなたが私のプランを妨げようとするのはどういう了見なんですか。別に私はあの囚人方を見捨ててもいいんですよ」
「ごめんって。ボクもやった瞬間、頭を抱える思いだったんだよ? でも、無理なものは無理だったんだもん」
「……」
呆れた顔を作ってはみても、カレンの中には人知れぬ高揚がある。
――ああ、そうだ。私の姫様はこうでなくては面白くない、と。
抑えきれない喜びがカレンの唇を歪ませる。