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第11話 カレンとクリア

 カレン・リスリルは、魔法王国においてもっとも忠実な王の臣下として名高いリスリル公爵家に生まれ、今代当主、その娘として厳しく育てられた。

 世継ぎが一人しか生まれないという奇縁に呪われた王家にとって、臣下の家系から伴侶を募ることは慣例のようなものだった。

 その中で、歴代の王に対してもっとも高い忠誠心を示し、数多くの王妃あるいは夫君を輩出した家がリスリル家だった。

 そんな公爵家の一員として、カレンも次代の王の妃となるべく、幼少期からさまざまな教育を受けた。自衛のための格闘技術、魔法技術、政治経済の知識、淑女としての嗜み、等々。

 だが、カレンが六歳になったころ、女王の娘が生まれたことで状況は一変する。

 生まれたのが娘では、妃として嫁がせることもできないからだ。

 王の伴侶としての期待は、もっとも優秀だったカレンから分家筋の十代の少年へと移ろうことになる。

 当時のカレンの心境としては、拍子抜けも甚だしいというものだった。

 物心がついてまだ間もない時分だったが、あれだけ厳しかった毎日の修練が十分の一ほどの楽さに軽減され、ほとんどなかった自由時間が驚くほどたくさん与えられた。

 クリアが生まれた日を境に、カレンの日常は天と地ほどに逆転し、それゆえ子どもながらにカレンはクリアにひどく感謝したのだった。

 カレンが最初にクリアに抱いた感情はそんなものであり、クリアが生まれてしばらくして、彼女と引き合わされたところからまた変遷していくことになる。


「クリアクレイド・ウィートゲーターだよ。クリアって呼んで」

「カレン・リスリルと言います。カレンでいいです」


 カレンが十二歳、クリアが六歳のころ、二人は出会った。

 王城での晩餐会にリスリル家当主が娘を連れてきて、カレンとクリアを引き合わせたところから始まる。


「ねえ、カレン。わかる? あのおじさんたち」

「え?」


 世継ぎとしての顔見せを粗方終え、会場を一周して戻ってきたクリアが開口一番、カレンにかけた言葉がそれだった。

 カレンの裾を引き、彼女を見上げるクリアの表情は純真無垢なものだったが、それ以上に、年齢不相応に落ち着いた態度がカレンの興味を引いた。

 クリアが指し示しているのは会場の一角に固まってやや不機嫌そうな顔を浮かべている男たちの集団。


「あの人たちがどうかしたんですか?」

「アヌリア家の人たち。なんかわかんないけど、ボクのことが嫌いみたい。挨拶したとき、じろって睨みつけられちゃった」

「……それはかわいそうに」


 明け透けなクリアの言い方に、カレンは上手く言葉を選ぶことができず、小さくそうつぶやくに留めた。

 そんなカレンに頓着せず、クリアはなぜかテンション高めに続ける。


「ねえ、なんでボクのこと嫌いなのって、聞いてきたらダメかなっ!?」

「……やめた方がいいと思いますよ。たぶん、面倒なことになると思いますし」

「そうかなぁ」


 言いながらクリアは女王の下に歩み寄っていき、いくつか言葉を交わした後、またカレンの下に戻ってきた。


「お母さまに聞いてきた。アヌリア家の人たちは代々王家に仕えてきて、その歴史も古いんだけど、ここ百年ぐらいは、けんせい? の中心に入ることができずにいたんだって。それでも、どうにかして入り込もうと、ようしたんれい? で頭の回る娘を育てて、王妃に据えようと画策していたんだけど、ボクが女だったからその計画も頓挫して、悔し紛れに恨んでいるんだろうってさ」

「……」


 平然とそんなことを王に尋ねるクリアもクリアなら、六歳の娘にそんな生々しい大人の事情を教える王も王だと思う。

 やっていることはリスリル家と同じだが、無理に妃を据えずとも重用されているリスリル家と違って、アヌリア家にとっては死活問題だったのだろう。だとしても、それを表に出す時点で、臣下としては失格だが。


「カレンも同じなんだよね?」

「……え?」

「リスリル家も同じように、王妃を育てようとしていたって聞いたよ。それが誰かまではお母さまは言わなかったけど、どう考えてもカレンだよね」

「……」

「ごめんね。ボクのせいで。カレンにも、迷惑かけた?」


 クリアの表情はほとんど変わらない。

 年齢不相応どころか、大人よりも落ち着いているとさえカレンは感じた。

 だが、その裏で数々の感情が渦巻いているのだろうことは容易に想像できた。この年にして、権謀渦巻く王宮の中を生きていくのは気楽なことではないだろう。

 幼い頃から――今でも十分幼いが――、カレンの経験した地獄の日々を凌ぐような厳しい日課を課せられていても不思議ではない。

 その上で出てくるのが、こうしてカレンを慮る言葉なのだから、どこまでクリアは強いのだろう。

 少なくとも、クリアが生まれてから好き勝手遊んでいたカレンとは、比べようもない。


「そんなことはありません。私はあなたに感謝しています。だって、あなたが生まれてきてくれたおかげで、私は日々の苦しい修練から解放されたんですから」

「……ほんとう?」


 子犬のように見上げるクリアに、カレンは力強く頷いた。


「ええ、本当ですよ。アヌリア家のその子だって同じなんじゃないですか。権勢を握りたいのは大人だけです。私もその子も家の事情に振り回されていただけで、むしろ解放されて喜ばしいくらいですよ」

「そう。それならよかった」


 そう言って見せたクリアの笑顔は、人並みの子供らしい無邪気なものだった。六歳という年齢相応の純粋な表情。

 それを見て、何とはなしにカレンは思う。

 この笑顔がもっと見たい、と。

 たったそれだけの些細なことだったが、彼女にとってはそれで十分だった。

 当主の強い反対を押し切り、カレンはクリアに仕える従者となることを決める。

 それはカレン十四歳、クリア八歳のときのことだった。

 メイドとしての教育を一通り受け、実際の仕事に就かせても大丈夫だと判断されたカレンは、すぐにクリアの下に配属された。

 それは、一人娘に気兼ねなく接することのできる友人を与えてあげたいという女王の配慮の結果でもあった。


「今日からあなたの身の回りのお世話をさせていただくことになりました。カレン・リスリルです。よろしくお願いいたします」

「あ、カレン。久しぶり」


 クリアと初めて会った時点から二年が経過しており、その間メイドとしての教育期間中でもあったため、それ以降、一度もクリアと顔を合わせることのなかったカレンだったが、それでも、クリアは彼女を覚えていた。


「よく覚えていましたね。あれから結構経ちますけど」

「あ、うん。ボク、一度会った人の顔は忘れないから。記憶力だけはいいの」

「……そうですか」


 自分だけが特別なのかと少しだけ浮かれていたカレンは、その言葉に少しだけ意気を減じる。

 わずかに俯いたカレンの顔をまだ身長の伸び切っていないクリアが下から覗き込んできて、思わず身を引いた。


「どうしてカレンはメイドさんになろうと思ったの? リスリル家ってこの国じゃ、かなり位の高い貴族のはずだよね。わざわざメイドに志願して、こうして人のお世話をしようとする理由って何?」

「……それは」


 馬鹿正直に、あなたの笑顔が見たいからです、などと口にするのをカレンはためらった。

 突き詰めていくとそれが本心な気もしていたが、それと同時に別の考えも頭の中に浮かんでいた。


「あなたという人間に興味が湧いて……。あなたを近くで見ていたいと、そう思ったんです」

「ボクを?」


 心底意外だと言わんばかりにクリアは目を見開いて、それから自嘲するようにつぶやく。


「ボクが陰でなんて言われてるか知ってて言ってる?」

「え?」

「知らないのなら教えてあげるけど、『言葉遣いもまともに学ぶことのできない王族としての気品に欠けたうつけ娘』だよ」

「……」


 それを言ったのがどこの家のものなのか、カレンにはわかる気がした。

 ここ数年、クリアへの反発を続けるアヌリア家やそれに同調する家の者たち。

 それらの家に共通して言えるのが、等しく権力を求めていること。何とかしてクリアの継承する支配構造の一角に入り込み、私腹を肥やそうとしているということ。


「そんな評判をあなたは鵜呑みにしているんですか?」


 カレンがたじろがずにそう聞き返すと、クリアはぱちぱちと瞬きを繰り返した。


「……全然。むしろ当たり前だと思ってるよ。あの人たちにあるのは権力欲だけだから。そんな人たちに対して言葉遣いを正そうなんてボクも思わない。見かけだけでも相手が誠実に振る舞うのなら、ボクも同じように返すけど、表情や態度だけじゃなく、言葉にまで不満を表す相手に見せる敬意なんてないから」

「……ですよね」


 整然としたクリアの理屈にカレンは深い納得を覚える。

 そしてそれ以上に、八歳の少女が周囲に流されることなく、自らの考えで己の言動を制御していることに心底驚嘆した。

 この小さな体躯を目の前にしていなければ、大人の理屈かと勘違いしてしまいそうになるほどに。


「王族ってさ、めっちゃ責任とかあるじゃん?」

「……ありますね」


 フランクに投げられた言葉の内容に面食らいながらも相槌を打つ。


「ボクも一介の王族に生まれて、王になることを運命づけられた以上、その責任を果たしたいと思うんだけど、ただそれだけだと息が詰まるんだよね。息が詰まるとどうなるかって言えば、毎日が楽しくなくなる。毎日が楽しくなくなれば、生きる気力がなくなってきて、責任を果たすどころか、ただ無意味に日々を過ごすことしかできなくなる」


 クリアは肩をすくめて小さく微笑んだ。


「そんなのはつまらないからさ。ボクはボクであることを楽しんだまま、責任を果たしていきたいと思う。だって、そうでなければボクがここに生まれた意味がないから。ここにボクが生まれたのだから、ボクの好き勝手にやらせてもらう。そこに異論は挟ませない」

「――」


 時として、敵を多く作る考えだと思う。

 ステレオタイプな公人の在り方しか受け入れらない人間にとってみれば、とても頷くことのできない内容だろう。

 けれど、カレンは共感した。

 決して、その考えが正しいと思ったからではない。

 その考えが好きだと思ったから、カレンはクリアに共感した。


「なら、わたしがわたしの思うままに、あなたにお仕えすることも自由ですよね」

「……え?」

「今、決めました。このカレン・リスリル、生涯を以て、あなたにお仕えしたいとそう思います。わたしがわたしであるままに、あなたのそばに永遠に控え続けることを誓います」

「……えー」


 クリアの反応はかなり鈍いものではあったのだが、それでもそのとき、カレンは決めたのだ。

 永遠に仕える、と。


 ――王国が滅んだあの日。


 カレンは最後の砦だった。

 迫りくる侵入者を撃退し、クリアの籠った儀式の間への通路を塞ぐたった一人の番人。

 賊は見たこともない武器を使った。小型で軽量化された、火薬の炸裂によって金属の塊を放つ武器。

 王国が周辺諸国を支配し、魔法が一般化された時代において、まったく馴染みのない未知の武器。

 人間の認識を遥かに超える速度で放たれるそれは、一般の兵士の魔法展開速度では対抗するに足りなかった。

 瞬く間に王国の国土は攻め落とされていく。

 その武器の存在を王国が知りえなかったのは、海に囲まれているという地理的な問題もある。

 家臣の間に裏切り者がいて、情報の分断を図っていたというのもある。

 何より百年ほど戦争を経験していなかった王国上層部の弛緩した空気が他国への警戒を疎かにした。

 積み重なる王国の歴史に付随した、各所に存在する歯車の不和。それらが一様に王国の力の循環を妨げ、内部分裂と外敵からの奇襲を招いた。

 結果として、王国は敗れ、数百年の支配に終止符を打つことになった。

 ただ一人、クリアだけはその滅びを認めなかったが。


「ッ! 姫様……!」


 膨大な魔力の反応を感知し、カレンは相手をしていた最後の刺客を焼き殺す。

 男の断末魔を最後に、その場には静寂が訪れた。

 第何波になるかも分からなかった刺客たちをすべて滅ぼし、残ったのはカレンだけ。

 近衛兵も侍従もメイドもそのほとんどが、轟音と共に鉄の塊に体を穴だらけにされた。

 日ごろからクリアのもっとも近くにいて、主に寝起きのクリアに誤って魔法を放たれることが多かったために、もっとも障壁の展開速度に長けたカレンだけがその戦闘を生き残った。

 何度も髪や衣服を焦がされ、同僚のメイドたちに笑い者にされたことを思い出し、皮肉気にカレンは笑う。

 しかし、すぐに笑みを消し、クリアのもとへ向かうべきかどうか迷う。

 今なお増大する魔力反応は、クリアのものに間違いない。

 本来なら、従者として傍に付き従うべきところだったが、儀式の間は王以外の立ち入りを禁じられており、刺客が迫っていたこともあって、クリア一人を行かせたのだ。

 叶うならば、最後の瞬間は自分の主とともに迎えたかったが、クリアへの忠誠心がカレンの足を鈍らせていた。

 そんなとき、増大する魔力反応が頂点に達し、天秤の力が発動する。


「なにこれッ……!」


 儀式の間を中心とした膨大な白い光に包まれて、ようやくカレンは悟った。

 自分の主人はまだ、欠片たりとも王国の敗北を認めていなかったのだと。


「クリアッ……」


 クリアが何をしようとしているかは分からない。

 カレンには分からない超常の力で以て、この地獄を変えようとしている。

 ならばせめて、そのそばに自分がいてあげたかった。


 だが、そんな想いも虚しく、白い光の中で己の意識が遠のいていくのを感じる。

 それどころか、これまでの自分を構成するすべてが崩壊し、まったく別の新しいものへ置き換わっていく実感がした。


 わたしのすべてが、消える――。


 今まで感じたことのない類いの恐怖を感じ、カレンは必死に願う。

 何があっても、姫様とともにあれますように、と。

 そして、己の内にあるすべての魔力を放出し、あらゆる種類の防御魔法を張り巡らせ、三重の魔法障壁を展開し、それらが何一つとして効果がないことを知って――、それでも彼女は諦めなかった。

 自らの主人が最後まで諦めることをしなかったのなら、自分一人だけ安穏とすべてを投げ出していいはずがないと。

 それに少しだけ、悔しかったのもある。

 クリアのメイドとして勤めるようになってから頻繁に、三日に一度ほどのペースでクリアとの魔法模擬戦を行っていたカレンだったが、その勝率は百パーセントだった。

 魔力総量以外の面で、カレンがクリアに負けたことは一度もなく、クリアが歴代随一と言われる魔法の才能で何かをやらかしたとしても、自分ならばそれを止められるという自負をカレンはずっと持っていた。

 なのに、いざこうした危急の場面になれば、自分ではクリアを止められない。

 その事実が六歳年上の身として非常に悔しく、そして、とてもむかついた。

 自分が消えるなどという恐怖がいつの間にか消え去ってしまうほどに。


「まだわたしはあなたには負けませんから!」


 そうしてカレンが行ったのは自殺行為にも等しい行為。

 己の体そのものを魔力に変換し、全く別の物に創り変えるという常軌を逸した行い。

 カレン・リスリルという存在そのものが消えるのならば、カレンという人間そのものをまったく別の存在に変換してしまえば、この力の影響から逃れられるのではないかという推測の下。

 その試みは誰が見ても成功しない、百回やったら百回失敗する類いの無知無謀でしかなかったが、カレンは気にも留めなかった。

 クリアに負けず劣らず、カレンも負けず嫌いなのだ。

 カレンにもまた、己の意志を叶えるためにすべてを投げ出す覚悟があった。

 その覚悟を至上の天秤が汲み取ったのか。

 はたまた、単純にカレンもまた、天秤の力を行使したのか。

 それとも、カレン自身の自殺行為に似た魔力変換が作用したのか。

 あるいはそのすべてだったのか。


 結果として、クリアの魔法が効果を発揮するまでの短時間にカレンに可能だったのは、己の体の一部分を別の物に変換することだった。

 全身にエネルギーを循環させる、魔力の根源と言ってもいい臓器――心臓を別の物に。


 分かたれたカレンの一部分は、何の因果か、小さな子犬へと変わり、残りの体は新たな因果へと取り込まれる。


 王国の因果は消失し、それでもなお、忠誠に尽くした少女の想いだけは、すべてが消えてしまっても、変わることはなかった。


 こうして、カレン・リスリルは、ただの子犬のカレンと、大切な何かの欠けた桐華レンへと生まれ変わった。

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