たとえばこんな『やり直し』
「直子。俺は『やり直す』チャンスを得たんだ」
あいつはそう言った。
あいつ――前田慶太は保育園来の幼馴染。
私――金江直子が言うのもなんだけど、小学生時代はそりゃもう不真面目な奴でさ。
不良とか悪い事をするわけじゃないんだけど、なんて言えばいいのかな。
「やる気がない」とか「無気力」な奴だったって言えばいいのかな。
勉強でも運動でも、少しでも「やりたくない」と感じたことは必要以上に頑張ろうとしなかった。宿題みたいなやらなきゃいけないことはやるけど予習や復習はしない、みたいな感じ。
それでいて平均を下回るほど勉強や運動が出来なかった訳でもないのほんとずるい。
趣味方面も、漫画や小説を読んだりゲームをするのは好きだったけど、作品の熱心なファンになったりゲームをやり込んだりみたいに「楽しい」と感じられることに一生懸命になることも無くて。
普通に同級生とも遊んでいたけど親友と呼べるような深い親しさを持つ友人もいなかったみたいだったなあ。
あいつと家が近くてよく遊んでいたこともあって、そんな姿を見続けていた。
当時は面倒事に関わらないし大した苦労もしないしで要領のいいやつだなーって思っていたけど、今思うと小学生だったことを加味してもずいぶん無為に過ごしてたんだなあって思う。
そんなあいつより成績が悪かった上、別に何かに熱心になってる訳でもない私がどの口で言うんだよって話だけど。
……ちょっと悲しくなってきた。
そんなあいつが変わったのは中学校に上がってすぐの頃。
新しい学校に、着慣れない制服に、難しい勉強。
目も回るような環境の変化にようやく慣れてきたと思い始めた矢先のことだったっけ。
今日も大変だったなーなんて思いながら帰り支度をしていた私にあいつが駆け寄って来て、興奮したように発したのが冒頭の言葉だった。
「やり直すって何を? 宿題? テスト?」
「全部だよ全部。勉強も運動も全部」
「……? ちょっとよく分かんないから一から話してくれる?」
「あー、ごめん。ちょっと興奮してた。……そうだな、『逆行転生』って知ってるか? 過去に戻って人生をやり直す、みたいなやつ」
「ああ、あれね……って、まさか慶太がそうなったって言うんじゃないわよね?」
「そのまさか。どうも俺は未来から戻って来たらしい」
こいつマジか。
「いやいやいや。じゃあ40歳だか50歳だかわからないけど今の慶太の中身はオッサンってこと? 引くわー」
「いやいや。俺は俺だよ。未来の記憶なんて無いし、これから何が起きるとかも全然わからないし」
「……え? そういう知識でズル……もとい色々するのが『やり直し』なんじゃないの? というかそもそもなんで『やり直し』だって分かるの?」
「分からん」
分からんてお前。
「何か心残りがあったのか? とか何かを変えたかったのか? とか何かを成し遂げたかったのか? とか、そういうのは全くわからないんだけどさ。今朝起きたらなぜか『やり直さなきゃいけない』って強く思ってたんだ。
だからこれから頑張ってやり直そう! って思うんだよ」
「う、うーん……? まあ頑張るって言うんなら頑張ったら良いんじゃない? やる気があるのは悪いことではないんだし。多分」
「そうだよな。とりあえずこれから色々やってみることにするよ。じゃ!」
そう言ってあいつは嵐のように去っていった。
あんなに必死な顔見たこと無いなーなんて思いながら、どうせすぐ飽きるなり諦めるなりするんだろうなと思ってたんだよね。
この時は。
あいつはあのあとすぐに塾に通いだした。しかも自分から親に頼み込んで。
今やってる所のさらに先の応用問題みたいなのもやっていたりして、私なんかはまだ全然考えてないような高校受験とか「将来」みたいなものを見据えているように思えて、なんか感心しちゃった。
一回あいつがやってる問題集をチラ見したことがあるけど私にとっては意味不明だったね。あはは……はあ。
そしてスポーツ……というか部活にも熱心に取り組み始めた。しかも水泳部と陸上部を掛け持ちして。
体を鍛えられれば何でも良かったとは言ってたけど、その競技を選んだ理由が「人と合わせるチームプレイが苦手だから一人で出来るスポーツの方が気が楽」だったのがあいつらしくて笑っちゃった。
そんなこんなで時は過ぎ。
私もあいつももう中三。
あの日以来「趣味は勉強と運動」と言わんばかりに熱心に取り組み続けてきたあいつは、今や押しも押されぬ学校一の文武両道な模範生徒。
なぜか人付き合いに関してはあまり熱心じゃなかったから集団の中心になるみたいな感じではないけど、それが逆に「孤高の貴公子」みたいな扱いで女子にも人気だとか。
貴公子……プッ。いや失敬失敬。
まあもともと顔自体は悪くない方だし、スポーツに打ち込んでるおかげで今はスタイルもすごいことになってるし。
でも少し前まで「あいつらしい」って思っていたところがどんどん無くなっているような気がして、私としてはちょっと寂しいって気もするかな。
今の姿はあいつの努力の成果だし、それで悪くなった部分なんて一切無いんだから、そんな風に思うなんて何様だよって話だけどさ。
無気力だった頃から大きく変わったあいつだけど、私にはあの頃と同じように変わらず接してくれている。
「今も幼馴染として特別な対応をしてくれている」なんて思うと少し嬉しい気もするけど、あの頃から変わった部分が引き立つようで、複雑な気分にはなっちゃうかな。
そうしていよいよ進路を決める時期。
私もあいつも高校進学の予定。
頑張るあいつの姿に刺激を受けて、私も少し受験勉強を頑張ろうかな!
……なんて思ったこともあったけど、すぐに音を上げちゃって、結局今の学力に見合ったそこそこの高校に進学予定。
あいつがすぐ諦める飽きるだろうなんて、本当にどの口で言ってたんだろうね。
あいつはこの辺りで一番偏差値の高いところへ行くのかな? と思いつつ、ひょっとしたらもっと上を目指して遠くへ行くかもしれないとも思っている。今のあいつならどこへでも余裕で行けるだろうし。
別の高校になれば家が近くてもあいつと一緒にいられる時間は減るだろうし、仮に遠くの高校で寮入りや一人暮らしをするんなら輪をかけて疎遠になるんだろうなあ。
いずれにしても、長らく続いてきた幼馴染としての腐れ縁もここで一旦終わりかな。
そんな風に少し寂しさを感じていた秋口のことだった。
あいつが久しぶりに家に来たのは。
あいつが急に一緒に受験勉強しようって言いだして、ついでに勉強も教えてくれるってことだから久しぶりに私の家で二人きりの勉強会を開くことになったんだ。
学力差を考えると「教えてくれる」形になるのは事実なんだけど、未だに昔のあいつの印象を捨てきれない私としてはなんか釈然としない! ……と思っていたけど、実際に勉強を教えてもらうとすごく分かりやすくて愕然としてしまった。
頭の良い人というか、教えるのが上手い人から教えてもらうとこんなに分かりやすいんだ。
自分の頭も良くなったような気分になりちょっとテンションが上がって勉強に夢中になり始めた所で、あいつが口を開いた。
「こうして二人で一緒に何かするのは久しぶりだな。
昔はよく家で遊んだりもしてたんだけどな」
「うーん、そうだっけ? まあもう三年だし、お互い忙しかったしね」
半分嘘。年頃の男女が一つの空間で一緒に何かをするみたいなのが照れくさくて、避けはしないけど積極的に誘うようなことはしてこなかったかな。
「俺も部活関連の引継ぎとかあったし、そんなもんか。
ところで直子はどこの高校に行くか決めたのか?」
「うん。〇〇高校。私の成績で無理なく行けそうだし、家から通えるし」
「そっか。ていうか成績とか家から通えるとか、将来何かしたいからそこを選ぶみたいなのは無いのか?」
「ぜーんぜん。そういうのまだ早いかなって」
夢が無ければさしあたっての目標も無い。
あいつにそんなつもりはないんだろうけど、そんな事実を突きつけられたようで、内心ちょっとたじろぎながら答える。
「そういう慶太はどうなのよ。行くところ決めたの? 成績良いし、やっぱり△△高校とか□□高校?」
「ああ、〇〇高校だ」
んん???!?!?
「え、いやいや。慶太の成績で行くところじゃないでしょ。
……あ、慶太には何か将来の夢があるから、そのために行くとかそういう?」
「いや全然」
「え、じゃあ、え。何で?」
続けざまに想定外な返答が続いて思考が追い付かない。
「お前が行くって言うから」
「え……でも、慶太は『やり直す』んでしょ? だから今までこんなに頑張って……」
「あ、それ覚えててくれてたんだな。まあ直子にしか言ってなかったからなあ」
苦笑交じりにそう言い、戸惑ってる私が落ち着くのを待ってからあいつは話し始めた。
「俺、今でも『やり直さなきゃいけない』とは思ってるし、そのためにずっと努力してきたんだよ」
「知ってる。初めて聞いた時はすぐ止めるだろうって思ってたのに、本当によく続けられたよね」
「俺もそう思う。で、『やり直すには何もかも足りない』って思って遮二無二頑張ってきたおかげで、自分で言うのもなんだけど勉強も運動も結構いい線行ってると思うんだ」
「そうだね。だからこそさっき同じ高校に行くって言われて大混乱したのよ」
「あはは。ごめんな。
……それで、いよいよ『やり直し』の準備が出来たってところで気付いたんだよね。『俺は何をやり直せばいいんだろう?』ってさ」
「そのタイミングで!? 一番最初に考えることじゃないの!? それに向けて今まで頑張って来たんじゃないの!?」
思わず盛大にツッコんでしまった。
「いや本当にな。我ながら目的も無いのによく今まで頑張って来れたもんだよ」
「はー……。
やっぱり慶太は慶太だわ。逆に安心したわよ」
「安心?」
「何でもない。
……あれ? それと私と同じ高校に行くのがどう繋がるの?」
何気無く尋ねると、あいつは私の目を真っ直ぐ見ながら話し始めた。
「……『やり直したい』と思うってことは、未来の俺に何か後悔があったと思うんだよ。この俺がこんなに一生懸命になるほどのさ」
「そうね」
「だからそういう後悔をしないために何をすればいいか考えたんだよ。いい学校に行くとか、お金を稼ぐとか、偉くなるとか。でもどれも今一つピンと来なくてさ」
「ふむふむ」
「将来何をするか。どういう道を進むか。そのためにどうすべきか。そんなことを色々と考えていた時に、たとえどんな道を選ぶにしろ絶対やっちゃいけないってことに気づいたんだ。
それが直子、お前と離れることだった」
「うんうん……うん!?」
「いい学校に入って、いい仕事に就いて、充実した人生ってやつを送って。でもその結果お前と今までみたいに一緒に居られなくなっていたら、俺はきっと後悔する」
「……」
「直子と一緒の高校に行きたいっていうのは、それが理由。
まあ今まで頑張ってきたおかげで俺が〇〇高校に行く分には問題無さそうなんだけど……直子お前、落ちるなよ?」
「はあ!? この時期になんてこと言うのよ! さすがに大丈夫よ多分!」
突然の侮辱(?)に思わず反論しちゃったけど……ヤバい。
鏡見なくても分かる。今わたし顔真っ赤だわ。
「成績的には安全圏だろうけど油断は禁物だぞ。
……そうだ。万全を期すためにこれから俺が定期的に勉強教えてやるよ。俺だけ受かってお前が落ちたりなんてことになるのは本当に勘弁だからな?」
「あんた本当に……! いやでも、うーん……よろしくお願いします……」
「素直でよろしい」
慶太のやつ、気づいてるのかな?
好きって言葉は使わなかったけど、『人生をやり直すほど私に執着してる』って言ってるも同然だってことに。
「まあ私のことはともかく、せっかく頑張ってきたんだから慶太自身の将来のことも真面目に考えたらいいんじゃないの?」
「うーん、まあそこはおいおいとな」
「なんか突然いい加減になったわね……」
ただの幼馴染だったはずなのに、そんなこと言われたらこっちも意識しちゃうじゃない。
……いや、私もずっと意識はしてたのかもしれないわね。
『やり直し』とやらに一生懸命な姿に引け目を感じたり、邪魔したくなかったり。
別人のようにカッコよくなっちゃったあいつに戸惑ったり。それでもあの時と同じように接してくれるあいつに安心したり。
色んな気持ちがごちゃごちゃになっていて、気づかないフリをしていたけど。
「直子」
「何よ?」
「受験、頑張ろうな」
「……うん」
でもまあ、『好きです』とか『付き合って欲しい』とか直接言われた訳じゃないし。
私がここで『私もあんたを好きかもしれないことに気づいた』って言いだすのもなんか癪だし。
このまま順調にいけば同じ高校に通うことになるんだろうし、結論を出すのはその後でも良いのかもしれないわね。
……私も先延ばしだなあ。
結局『やり直し』が本当のことなのかとか、仮に本当だとしてこの先あいつが『やり直す』ことができるのかとか。
色々気になることや心配なことはあるけど、それは今の時点で考えすぎても……というか悩んでもしょうがないことかもしれないわね。
どんなに悩んでも、先が分からない以上結局今できることは目の前の問題に取り組むことだけだし。
だからまあ。
まずは来週の勉強会、よろしくね。慶太。