2納屋のお宝
高山三太の世界と、エルド・ランシーカの世界の間にある壁。
昨年12月3日父は他界した。「忌引き休暇は7日です」総務課の誰かに言われた事務的な言葉は、退職をきめるきっかけになった。
いろいろあったのだ。4日は通夜で、5日は葬儀である。喪主は叔父にお願いした。通夜には戻れそうにない日程であったのだ。決定権者を増やしたことが更に煩雑さを増したのかもしれなかった。
数分おきに大分弁のメールが届いた。語尾は大抵「どうすりゃええの?」であった。決めることが多かった、葬儀社はどこにする?誰に連絡すればいい?墓はあるのか?家で葬儀しないのか?仕出し弁当は『寿司吉』にしといて!
家も古いし斎場ですることにした。祭壇は30万50万100万とかあるがどうすりゃええの?なんだそれテレビ番組の『がっちり買いましょう!』かよっ!と内心でつっこんだ。
「三太、家はどうすんだ?」「おれが地元に戻って住むかな・・・。」そんな会話を叔父と冗談で交わした。そんな事があった後の総務課の一言だったのだ。
往復で2日、葬儀納骨で2日、あいさつ回りや公的な手続きで2日、実家のこと、相続のこと、親戚との話し合いを残り1日か。やりきれなかった。最後の家族、父親の死に心無い「7日です」という言葉。
ゆっくり話し合えばきっと、大分の田舎までの距離を考えれば、実家の家屋について話し合う時間も、ご心労も多いでしょうから、この際十分な休暇を有給で消化すれば・・・。という話にもなったのかもしれなかった。
しかし多忙煩雑なこともありカッチーン!きてプッチーンと切れたおれは。
「じゃあ辞めます。」
そして退職届、忌引き届、有給届のフォーマットを総務に出してもらい、提出した。
残されたのはぽかんとした総務の女性社員と隣で慌てている総務の課長っぽい男性社員であった。
---
東京のアパートも引き払い、実家で一人になったのは12月も半ばだった。
おれは昔を懐かしんでいた。爺さんがいた頃はこの家も賑やかだった。叔父さん叔母さん孫も集まると20人以上にはなっていた。
時折集まっては餅をついたり、節句には花見や海水浴に苺狩り、ホテルのビュッフェスタイルの食事に行った時には多いやら五月蠅いやらで恥ずかしかった。いい思い出である。
これから住む我が家である。傷んでいる場所がないか懐かしみつつ歩いてみる。道路は北と西にある角地だ。石垣を積みその上に白い壁が北と西に延びている。高さは3メートル近くもあり道路を圧迫している。
母屋の玄関は南を向いていて、そこまでに駐車場と門がある。門には牛舎や納屋があってかなり古い。牛舎に牛は居ない。今は三輪車や自転車におれの愛車パッソルに爺さんのスーパーカブなど放置されている。
奥の壁にはいろんな種類の鋤や鍬、鎌が何本もあり、スコップにとんかち、用途不明な西遊記の武器っぽいもの。蜜柑の段ボールには、ソフトビニールのウルトラマン怪獣各種、ブリキのロボットに、当時流行ったスーパーヨーヨーに筋消し・・・。
なんじゃこれ当時流行ったものブースかな、と思うほどフラフープにゲイラカイト、ぶら下がり健康器具、高枝切りばさみ。おっクラシックギター「お父さんギター弾けるの?弾いて弾いて」それが父いじりの始まりだった。
渋っていた父が弾いたのは「禁じられた遊び」それも数小節であった。それをきっかけに映画を観たり、オルゴールを買ったりした。しばらくして「愛のロマンス」という曲名だと知った・・・。家族のいい思い出である。
門にある最後の場所は納屋である、2階には3月3日になると出番が来る雛人形、5月5日の兜や五月人形に鯉のぼり、漆塗りのお重に年末に陰干ししていた掛け軸。
そういえば今、年末だなと。祖母に教えてもらったように掛け軸の結びを解き、ひっかけ棒で掛けていく。正月と書かれた箱にあるのは、日の出の絵の掛け軸、宝船、文字だけのもの。山水の箱に花鳥と書いた箱、縁起、その外。
掛け軸のひとつにおれの目がとまった。その箱にはその外とあり、『遠見』と題された掛け軸が入っていた。それは縦に長い掛け軸に、半紙くらいの大きさで描かれていた。
それが目を引いた、掛け軸の大きさに対して描かれたものがあまりに小さいのである。絵の描かれた部分はスマホくらいで、その絵の周りは文字のような記号が隙間なく書かれていた。
その文字は象形文字や甲骨文字、楔形文字を組み合わせたようなものだった。それらは中心の絵から年輪のように刻まれている。目の検査表のようにだんだん小さく書いてあった。
中心に描かれた絵は霞がかっている。何を書いているという被描体は無く、左右に棚があり右奥には古びた木の机があった。素人目にもわかる、構図も採光もひどい。ただ写実的ではあった。
この絵に表題をつけるなら『棚越しの机』とか『倉庫にある机』になるのだろうか。
この絵の評価が変わったのは夕方だった。15年ほど離れてた実家をゆっくり堪能し、価値の分からないおれは、掛け軸を雑に丸めて縛り上げ、各箱に投げ入れる。
そうして目に留まった絵の中には、茜色のほの暗さが描かれていた・・・。
「いやまてまてまて」そう呟きつつ、光の入らない納屋の1階に降り裸電球に近づけそれを見る。
どう見ても夕暮れ時の倉庫内の絵であった。絵は納屋の壁の釘にひっかけた。どう見ても昼には無かった朱の色が、絵に入っている。
「むむむ」と唸りつつ、足で器用に、蜜柑箱のコンテナケースをひっくり返し椅子にする。親父の部屋にあったショートホープと無骨な銀のジッポを、左胸のポケットから左手で取り出す。
ジェームスディーンのそんな何気ない仕草に憧れた子供の自分に赤面する。口元だけでふかした煙草は、やけに体に悪そうな苦い味がした。そんなことをしているうちにその絵は夜を迎えていた。
その日おれが理解したことは、この絵は、時を刻んでいる、という事実だ。そして次の日おれは更なる出来事を目にするのだった。