1邂逅
「悩める少年よ、懺悔なさい。」
言われた少年は驚いていた。周りに人の気配はない、それでもその声ははっきりと届いていた。周囲を警戒しつつも少年は対話を心がける。
「わ、わたくしは今悩んでおります。」
「包み隠さず話すといい。さすれば道は開けよう。」
少年は思った。神だ。
続けて少年は尋ねる。
「も、もしやヘルメース様でいらっしゃいますか?」
ヘルメース様は少年の世界の神である。十二神の一人で旅人や商人の守護神とも言われ、商売繁盛を祈念するものは先ずはヘルメース様に祈るのである。
「それはいい。先ずは君の悩みとやらを伺おうか?」
おどおどしつつ少年は答え始めた。
少年の名前はエルド・ランシーカという。年齢は15歳。父トルネロ・ランシーカが創業したランス商会の2代目だという。父は買付で航海に出ている。しかし予定になっても父が戻らない。
月に一度の支払いが滞るのも時間の問題だ。少年は今まで父の言うとおりに減った商品を並べていくだけだった。しかし倉庫の在庫も尽きかけている。
もっともっと父に商売を教わり、商品を教わり勉強するべきだった。少年は遊んでいた過去を悔いている。今後どうすれば・・・。
「なるほど、なるほど」
男はエルドを助けてあげたいと思った。肩を落とすエルドの視界に入るように歩みを進めた。
黒ずくめの男は言う。
「エルド、おれが手伝うよ。」
口調は軽いものに変わっていた。男は緊張したこの場が和めばいいと思った。しかしそれは逆効果だった。エルドは神だと思っていた。それがへらへらとした軽口をたたく男だったのだ
馬鹿にされた。揶揄われた。カッと体が熱くなり、逡巡する。
「貴様は誰だ!ヘルメース様ではないのか!騙したのか!」
エルドは怒鳴っていた。思い描いた神とは違っていた。神は、真白いキトンを身に纏い、神々しいヒマティオンを召している、そういうものであった。かけ離れていた。
エルドから見た男は、星の無い夜のような漆黒色を身に纏い。その着衣は動作の妨げをなさない、そのような作りをしていた。全身にフィットしているのだ。まるで起こるであろう荒事を予想しているかのようだった。
エルドから見たその装束は盗賊であった。
一方、男はその服をジャージと呼んでいた。所謂、運動着、スポーツウエア、トレーニングウエアであった。男はジャージやスウェットの上下、セットアップを好んで着用していた。
エルドは行動を起こした。抜剣し、目標にめがけて走った。
「なぜうちの蔵にいる?押込み強盗か?」
黒のジャージはエルドに悪を連想させたのだ。
そして上段から斬りつけた。
ガッギーン!
男の目の前で火花が飛んだ。
ガッギーン!ガッギーン!
エルドは何度も斬りつける。しかしその剣が、男に届くことはなかった。そのことがエルドの神経を余計に逆撫でる。
ガッギーン!ガッギーン!
面妖な。と言いつつ見えない壁にイラついている。
そして何度も何度も斬りつける。
男は思った。「こんな、こんなはずじゃなかった」と。
何度も何度も剣戟は続く。男はその剣が届かないことが解ると、冷めてきた。
エルドの怒りに任せた稚拙な攻撃、新品と思える綺麗な剣、幼さの残る顔。しかし、それでも、他人の命を奪うまでの沸点が低い。
おもちゃ売り場で駄々をこねる子供が、人をも殺せる刃を振り回している。日本人ならこのくらいのことで剣を振り回すだろうか。
ありえない。
おれの名前は高山三太33歳。昨年の12月父が死んだ。東京での仕事にも自分の中で見切りをつけた。
大分になら父が残した実家がある。18歳までそこで住んでいたのだ。だが、・・・思っていた以上に田舎だった。
そんな実家に足を踏み入れる。住人のいない牛舎がある。キンモクセイの木もどことなく元気がない。母屋には土間がある、南から入って北の台所まで続いている土間なのだ。
色褪せていた。目に入る実家の姿は当時のものとは異なっていた。だが目新しいものもあった。風呂は温水器に新調され、コンロはガスから電気にとって代わり、トイレは水洗になっている。
この家にも文明は浸透するんだな。と変なことを考えた。
そして、今騒動の中にある納屋。悪さして閉じ込められた覚えのある納屋だ。
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冷めた目で見ていたおれは、激しく疲弊した少年に静かに言う。
「おれは盗みなどしない。落ち着いて、話を聞いてくれないか?」
おれの声は泣き入るような声だったろう。腰から力がへなへなと抜けている。相手の殺意から動くこともできなかった。俺の中には冷静に判断する脳みそと、恐れから情けなく動けないからだが共存していた。
そしてゆっくりと平常に戻るおれの脳と体。おれは予定していた行動に移った。台所から持ってきたものをエルドに見せる。
「これを見てくれ」
「商売の話だ」
「すこし冷静になってくれ」
おれは震える声でなんとかエルドを宥めようとした。
それでもエルドは警戒している。隙を見せないよう、じりじりと摺り足で歩み寄って遠目から見ている。
中身が見えたのだろう、ハッと我に返ったような仕草を見せ、食い入った。そして、ただ、ただ凝視している。
「右が砂糖で真ん中が塩、そして左が胡椒だ。それぞれ1キログラムづつある。お前ならいくらで買う?」
エルドは見ている。そして手に取ろうとしたのだが遮られる。
そう、おれとエルドの間には見えない壁があるのだ。初めて見た時はおれも驚くばかりだった。しかし剣でも斬れないなんて・・・。
この壁が、高山三太の世界と、エルド・ランシーカの世界の境なのだった。