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或るクリエイター未満の片恋

作者: あもと遊

 まぶたが開いた。

 クリーム色の天井が目に入る。隣には散々音を鳴らしたが、主人が起きなかった哀れな目覚まし時計が転がっている。

 鉄筋コンクリートの壁に覆われているから、部屋の中は時が止まってしまったかのように静かだ。このままずっとベットの上にいても、誰も何も言わないんじゃないか……みたいな気分。

 指一本動かすことも躊躇うような気だるさに抗って、スマホのホームボタンを押す。

 五月二八日(土)十三時三十分。

 スマホの画面は、貴重な休日の四分の一が既に失われてしまったことを示していた。あと四分の三しか休んでいられない。あまりにも短すぎる休日に、一瞬気が遠くなった。日曜日が終われば、決まった時間に目覚めなければいけない日々が再到来する。


 そこは目まぐるしく変化する舞台で、みんな一定のテンポに合わせて踊っている。俺は踊りに慣れてしなくって、隣の誰かの動きをなんとか真似ている。どう踊ればいいのかは誰も教えてくれない。そんなことを口で伝えなくったって、なんとかできるからに違いない。みんな、なんとなくリズムに合わせることができるのだ。なんとなく、適当に、いい塩梅で。

 俺はまだ踊り慣れていないだけだろうか、それとも壇上に上がるような人間じゃなかったのだろうか。そんな答えの出ない問いが、頭の中を反芻する。みんなは名前のあるキャラクター。俺には名前がない? 俺だけが褪せている? 

 どうしてここにいるんだろう? 舞台の上で、時々思う。

 決まった時間に帰れて、やるべきことは毎日ほとんど変わらなくて、終わった後に少し羽が伸ばせるような……そんな余裕のある暮らしに憧れるーーときがある。本当はそんな生活がいいんじゃないの? と囁く(そんな夢みたいな暮らしは、この世のどこにもないのかもしれないが)。

 決まった時間には帰れなくて、日々変わるやるべきことに胃が痛くなって、みんなが望む答えがどこにあるのか、日々ビビりながら試している。そんな今の暮らしとは正反対だ。天と地の差だ。

 アニメでも見て、飽きたら漫画を開いて、このままずっと横になっていられたら。どれだけ幸せなんだろう。ダメ人間の烙印を押されたとしても、そんな毎日を何の罪悪感もなく送れたらいいのに。

俺は。

 どうして、そうできないんだろう。


 今の生活のはじまり。

 自分の人生がどうにもならないということを、直視してしまったあのとき。

 SNSで1万リツイートされるぐらいの有名人にも。

 大切な誰かと二人で歩んでいけるような人にも。

 特定の集団で一目置かれるような存在にも。

 何にもなれない。なっているビジョンがどうにも描けなかった。

「ただ生きている、それだけで終わるのかもしれない」という漠然とした不安が、現実のものになろうとしている。そんな焦燥感が全身を包んでいた。

 大学三年生の秋という季節は、就活は夢というオブラートで包んできた将来を、ある日突然現実のものとして捉えろと訴えかける。誰しも、その言葉から逃れられないのかもしれない。

 俺は逃れられなかった。

 自己分析、他の人と違う強み、自分だけにしかない魅力。


 クリエイティブな才能を発揮して、一躍注目を集めて。

 どんなことでも許せるようなパートナーに出会った。

 留学経験。

 バイトリーダー。

 バラバラになりかけていたサークルのみんなと話し合って。

 就活に有利な資格を取ってます。

 ――俺は。

「これじゃ、朝起きるだけで一苦労でしょう。よく大学行ってますね」


 みんなの将来のレールは確実に敷かれていた。思っているよりも、大人になっていた。自分とは異なる場所に行こうとしていることに嫌でも気がつく。

 どこかに行ってしまう。ある人は才能を発揮して、ある人は愛を見つけて、ある人はその両方を得て。そして、多分俺にはどちらも難しい。

 部活の選抜メンバーになれなかったとき、授業がまともに受けられなくなったとき、就活準備でガクチカがないことに気がついたとき、よく一緒にいるメンバーの中で俺だけが恋愛経験がないと自虐的に笑ったとき。脳内に様々な場面がよぎって、思考のゴミが溜まっていった。きっと存在すると信じたい自分の誇れる場面に、ゴミが邪魔してたどり着けない。

 今の自分の手のひらにあるのは、きっと普通に生きられないという哀れな確信だった。いっそ、どこかでドロップアウトするべきだったのかもしれないが、その勇気もなかった。

 みんなが「飛び立とう」と努力を重ねる中、俺は虚構に目を向けることで、現実の悲惨さから目を逸らしていた。ベットに寝っ転がって、スマホで動画をダラダラ見るのが日課だった。暇さえあればこれからのことを考える脳に、余計な仕事をさせないことで必死だった。  

 無駄と思われるような作業を繰り返して、なんとか「普通」を取り繕う毎日。

 娯楽が無かったら、とっくの昔に人生をやめていたと思う。


 ポジティブとは言えない理由で見ていた娯楽で、ある日俺は衝撃を受けた。

 スマホの中では、自称女子高生がニッチなゲームをしていたり、狐娘のおじさんがポッキーゲームをしていたり、過去に行けない未来人の少女がなんとか初配信を試みたりしていた。追いきれないほどのファンアートが投稿されて、それに彼ら自身が影響を受けて、またファンアートが投稿されて。

 虚構と現実が交差していた。

 何これ、すげえ。

 それ以前も二次創作はよく見ていたし、大体過去の作品に影響を受けていないものなんて存在しない。だけど、その応酬にこんなに注目したのは初めてだった。

 なんの草木も生えていない枯れ果てた人生の下には、とんでもない金脈があった。

 他人との繋がりに飢えていた自分には、掘り返したものがあまりにも眩しく見えた。

 世の中にある全てのコンテンツには、信じられないぐらい多くの人が関わっている。影響を受けたり、与えたり。その化学反応は、今も至る場所で行われている。


 面白いアニメを見て、長文語り。

 憧れのアイドルが髭を生やして、ファンは阿鼻叫喚。

 いつも使ってるSNSのUIがまた改悪された。

 今日投稿したイラストは、思ったより反応が少ないな。

 俺、あの子を見ていると辛いことが忘れられるんだ。

 ファンの反応を見ていると、辛いことが忘れられる。


 コンテンツが花開いて、化学反応が起こる瞬間は奇跡だ。世の中のほとんどのものが情報の海に溺れていく中、見つけてもらうことができたのだから。

 その奇跡を、少しでも支えられたらどれほどの幸せなのだろう。俺が味わった快感を、誰かに与えることができるとしたら。その化学反応を一番近くで眺められたとしたら。

 それはなんて刺激的で、面白くて、甘美な香りがするんだろう。


 そこからだった。

 俺の人生のハンドルが強引に切られたのは。

 本来の人生設計とは遠く離れた場所にむけて出発してしまった。

 安定した生活とか、人並みの幸せとか、そういったものが頭から飛んでしまって。俺はおかしくなってしまったとしか思えない。本来の自分が意思決定の座から蹴り落とされて、知らない自分がふんぞり返ってそこにいる。

「歯車の一部に過ぎなくても。ゴミのように打ち捨てられることになっても。結局何者にもなれなくても。無様でも、醜くても、劣等感に苛まれる人生になったとしても。何かあの光のためになることをしろ」と常に叫んでいる。

 ひどく盲目的で、衝動的で、理性なんかそこにはない。

そんな叫びがコンテンツに触れるたびに溢れるのだ。

 これはなんだろう。どうして俺はここまで自分を捧げたいんだろう。結局、何にもならないかもしれないのに。うーん。なんだって、そこまで……考える、考える。


 相変わらず静寂を保ち続けていた部屋の中で、俺は小さく声をあげた。

 ああ、分かった。

 これは恋だ、一方通行の。

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