幕間 夢7 夢の終わり
夜が迫ってきている。まだ菊太郎さんは帰ってこない・・・。
嫌な予感しかしない。
あたしは何もできない・・・。
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このままだと死んでしまう。
隊長の言う通りなら、地震が来て火事が起こる。
間違いなくそうなるのだろうな。
思えば、あの日加助に連れられてきたこの屋敷で隊長にあったその時から、とっても長い夢を見ていた。
何者でもない僕たちが、歴史の内に入り込んだかのような。僕の話を聞いて顔が変わっていく人たちを見て、僕も興奮していた。僕でも人を動かすことができる。
でも、そもそもが間違っていた。そんなうまい話などなかったのだ。
隊長の話をどう考えたらいいのか。
未来の不幸が見える能力。
自分の人生を捨てて京都で新しい人生。
情報が多すぎて処理しきれないというのが本当のところだが。
かといって今までの自分を捨てるなんてことできるはずがない。
歩く音が近づいてきた。扉がすっと開く。
隊長だ。
「菊太郎、これでお別れだ。俺たちはこの屋敷を捨てる」
「そうですか・・・」
「どうだ?」
「え?」
「心変わりはないか?」
「・・・ないです」
「はっ、本当に頑固だな、お前は」
隊長の顔が笑顔になる。
「もしあの世で会えたら、今度は分かり合えたらいいな」
「え?」
「輪廻転生ってやつだな」
振り返って隊長は部屋を出ていく。
「輪廻転生・・・」
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「隊長、このあとは?」
「ああ、もうすぐ地震だ。揺れが収まったらさっさと決めていた経路で江戸を抜けるぞ」
「はっ」
「火事も起こる。あの経路なら問題ないからみんなに慌てるなといっておけ」
「はっ」
部下に指示を出すと、歩き出す。
もうここにいる理由もない。
菊太郎は不思議な奴だった。なぜか気になる存在というのか。惜しかったな、翻意してくれれば。
「揺れるぞ・・・」
ドカンと地面が突きあがる。そのあと気味の悪い横揺れが続き、屋敷がミシミシと音を立てる。遠くから聞こえてくる音は地鳴りなのか、なにかが壊れているのか。
来るとわかっていてもこれは・・・。
「手筈通りに!」
怯えた顔を見せる部下たちに声をかけ、外に出る。
「火をかけろ!」
誰かが声を出して用意してあった火が屋敷に移る。
真っ暗な夜に光が映える。
江戸の町を振り返るともうすでにそこかしこで火が出ている。こんな夜でも誰かが明かりのためか暖のためか火を使っているのだ。少しずつ広がりだす火。
「行くぞ」
江戸の町での憂国隊の活動は今日で終わり。この後は京都で、もっとうまくやってやる。
「じゃあな、菊太郎」
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それはものすごい揺れだった。自分が上下に揺れているのか左右に揺れているのかもわからない。
屋敷全体がきしむ音だけじゃなく、壊れる音が聞こえる。この部屋も目が回る勢いだ。
揺れになすがままだったが、突然縛られていた柱が天井から外れて折れた。その勢いに横倒しになるが、なんとか柱の下敷きになるのだけは防いだ。
体を縛っていた縄がちぎれた。
これは、逃げられる?
揺れも少し落ち着いてきたか。もはや用をなさなくなった戸の隙間を抜けると、屋敷内も大変なことになっている。あちこちの壁が崩れ、見る影もない。
「誰か、誰かいないのか!?」
返事はない。
と、前方から熱気が吹き付けてきた。
火事になると隊長も言っていた。早く外に出ないと。
何度も来ていた屋敷だ、内部の配置を頭の中に浮かべ、ここからどう逃げるか考える。
ガラガラ!!
天井が崩れてきた。突然のことに体の反応が遅い。頭に何かが当たって、意識が落ちる。
「おはな・・・」
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夜遅くの大きな地震、菊太郎さんのことが心配で寝付けなかったあたしはすぐに外に出た。
逃げ惑う人々、泣き叫ぶ声、遠くから半鐘の音。火事も起きている。
「菊太郎さん・・・」
祈り。
のちに安政の大地震と呼ばれたこの地震は、死者1万人以上とも言われ、有名なところでは小石川の水戸藩邸が倒壊し、戸田忠太夫、藤田東湖らが亡くなった。庶民は地震の後の大火で多く死んだ。幕府の多額の出費が討幕を早めたともいわれる。
菊太郎は、見つからなかった。
おはなは菊太郎の家族とともに多くの死体を捜し歩いたが、見つかるものではなかった。
夢は終わった・・・。