11th.刃と銃と少女と
「……待ってた」
開けた荒野の道。路肩は緑に茂みを見せているが、そこは荒野だった。黒い装束を纏い、腰に日本刀を差すサクラが佇んでいる。乱れる白髪を結い上げることなく、風に吹かす。凍てつくように不動にて道を封ずる憮然たる姿。セフィアの黒髪は艶を帯びているが、サクラの白髪は纏まりを得ていない。
「どうりでいなかったんだ?」
「……ボクは、契約の名の下に、ここにいる……」
対峙する二人に、レクスは身の丈の差して変わりない二人の少女に違和感を感じる。
「言わなくても、私も同じ。私の邪魔をするの?」
「……セフィアは、ボクの……邪魔、を、する?」
双方の契約と言う言葉。それを果たすことに執着を見せる。だからこそ、険悪ではなく、殺伐とした殺気が漂う。レクスは動けずにいる。
「セグレアがこんなことするなんて思わなかったけど、状況は、分かってるでしょ?」
「……ここは、戦場。障害は、斬り払う……」
「なら、私は撃ち抜くだけだよ」
無表情のサクラと、笑顔のセフィア。敵対する二人が同志だと解しているレクスは、飛び出そうと足に力が入る。戦争で仲間の少女が殺し合おうとする。そんなものを肯定するほど、レクスは悪を持ち合わせていない。だが、その足は止められる。
「レクス。ここでしばらくお別れだね。町の敵は暫くは様子見に動かないはずだから、今のうちに部隊と合流して、治療してあげて」
「え? セフィアは?」
一人で行けということに、セフィアを案じる。振り返るセフィアは苦笑を浮かべていた。この状況を見て理解しろ。そう語っている。足止めをするから、先へ抜けて任務を果たせ。それが契約の達成になる。何も言わずとも理解しないではいられない。
「サクラはそこいらの兵士じゃ比にならないの。レクスなんて一瞬で首を取られるよ。良い? 三カウントで私の左から走って」
「で、でも」
「良いからやるの。そして、契約を果たしてきて。レクスなら出来るからっ」
セフィアが強く言うとカウントを取る。
「……それがワクチン……やっぱり、持ってた……」
サクラの視線が冷徹にレクスを射抜く。竦みそうになる足をセフィアが庇うように前に立つ。
「悪いけどサクラ。レクスの邪魔はさせないよ。私が契約を未遂にしたことなんてないんだから」
銃のスライドを引く。カウントは一を切った。
「レクスッ! 何があっても死んじゃダメだからねっ!」
ゴーッ! とセフィアが銃を構え、発砲した。町へ続く道を明けるようにセフィアがサクラへ回り込み、その後ろを半ば自棄になったようにワクチンのケースを抱きかかえながらレクスも駆けた。
「……行かせ、ない」
だが、サクラも動く。銃弾を身体を傾け交わし、セフィアの背中を狙いに刀を抜く。斬りに行くのではなく、貫き。切先が峰を地に反らし、上体が捻られる。セフィアはレクスを背に、銃を撃つ。乾発する銃奏が風を切る。だが、当たらない。
「レクスッ! そのまま町まで突っ走って。すぐに追いつくからっ」
「は、はいっ」
急ぐ他は無い。呑気に話している暇も無い。立ち位置が逆転したとは言え、間合いはサクラに味方している。
「……ワクチン、渡す」
サクラの日本刀が大気を薙ぐ。セフィアは横に流れる刃に身を屈め、足元に銃を撃つ。そこに二本の足は既に無い。
「させないって言ってるでしょっ」
影は二つが重なる。セフィアが小銃にまで変化したマスタライズを空へ向け、連射する。
「……これじゃ、ボクは……倒せない」
射程内に収まるサクラは舞い散る花びらのように軽やかに長刃を操り、刃を地に振り下ろす。セフィアの放つ銃弾が日本刀に火花を散らし、弾ける弾がサクラの上着を切り裂く。刃はそれでもぶれを見せない。
「っ……ん。……ほんとにぶった切っちゃうんだ、信じらんない」
攻撃から防御へ移行するセフィアは、振り下ろされる刃に地に伏す。背中の盾の剣がその刃を受け止める。
「……日本刀は、追随を、許さない……」
意気込む声など発しない。うつ伏せのセフィアに、振り下ろした刀を突き刺しにかかる。セフィアは再び眼前にあるサクラの足に銃を撃つ。サクラは刀を上げ、後方へ飛ぶ。銃弾が追い、地に等間隔に野うさぎの巣のように穴が開く。
弾倉の弾がつき、セフィアが腿のホルスターにすばやく手をかける。だが、サクラは速い。地を蹴り、砂塵をわずかに蹴り上げ、セフィアには刃の長さを見失わせる程に曲線を描く刃を地に平行に射抜きにかかる。片手はマスタライズ、片手は弾倉。いくら銃の扱いに長けたセフィアとは言え、弾倉を装着し、スライドを引き、銃口を差し向け、引き金を引く。この動作には遅れが生じる。
「少し、くらい、待とうって気、ないの……?」
剣を抜く暇はなく、マスタライズでその剣を受け止める。切先が銃鋼鉄に金切音を漏らす。
「ない」
セフィアの体が後方へ強く押される。サクラの力は異常なほどにセフィアを滑らせる。
「ほんと……厄介、だよね……仲間同士、って」
その瞬間、サクラの体が前のめりに力の作用点を失う。惰性により刃の軌道が乱れる。
「でも、力じゃ、私も負けてないんだよっ」
「っ」
そこへセフィアの剣が風に鈍音を交えて、強く横に払われる。足元にはマスタライズがあった。浮いた足を一瞬地に着け、後方へ飛ぶが勢いが足りない。そこはまだセフィアの剣の間合いだった。横に振る太剣をサクラが日本刀を地に突き刺し。滑る。
「はあぁぁああっ!」
だがセフィアの剣は止まらない。日本刀の峰が剣の刃を受け止め、一瞬の光が散る。
「……弱い、力」
サクラの前には三つの線が走っている。それだけ滑らされた。だが、日本刀もサクラも平然と構えを取り戻す。
「さすがに、片手じゃ無理だね、サクラには」
剣を握る腕はか細い一本。もう片腕に握る力は無い。マスタライズの弾倉を持つのが精々のように垂れる。足元に無造作に転がる重鉄鋼物は、裁断されている。鉄さえも切り裂いている日本刀に、セフィアは剣を見合わせる。
「……ぼろぼろ。剣が泣いてる」
「色々あったの。私のせいじゃないんだからね」
単調な会話はそれだけで場を和ませる効力を持つ。しかし、この場においては間合いを計るための道具に過ぎない。
「……ボクの、用は、セフィアにない。……退けば、斬ら、ない」
サクラの契約。それは明確に言葉にせずとも、セフィアと敵対にある以上、ワクチン輸送の阻止。兵士の殺戮を優先すれば戦況は収まる。だが、それをしないのは、その価値が無い。敵兵を殺したところでワクチンの存在がある以上、町の人間の生き残りの情報が広まれば、虐殺を国が負う。ならば何もせずにワクチンさえ町へ入れなければ、死を待つのみ。町での戦闘は残存兵の殲滅だけではないのだろう。
「私もサクラに用はないよ。撃たないで済むなら、それが一番、でしょ?」
セフィアのマスタライズは使用不能。あとは戦後の子供の玩具になるか、人類の産物遺物になるか。
「……狙撃手は、剣術手には、勝て、ない」
その武器が銃でない狙撃手なら。
「でも、負けてないよ、まだ」
セフィアが太剣を斜め上空に振り上げる。サクラはそれを振り下ろす刀で受け止める。双方の力に震える刃は、削れ、高音を響かせる。サクラの日本刀が強く太剣に上圧を掛け、切先を地に植える。サクラの両腕に、セフィアの片腕は持たない。剣の防御力を以ってしても、その代償の重量には長時間のスタミナはない。セフィアは切先を地に植えたまま柄を前へ押し出す。サクラが振り下ろした刃を手首を捻り、上空へ振り上げ、太剣に刃を走る。耳を劈く音はやがて太剣を超える。
「……ツーハンドソードは、動きが遅い……」
セフィアの盾の剣は、基本は両手剣。それを片手で扱うリスクは通常の倍を超える。力と素早さの衝突は、素早さに比が出てしまうものだ。その上に日本刀の切れ味は神の作り出す娯楽のものではない。神が生み出し、人間が天を目指さぬ為に互いに容易に殺しあう為の鋭刃を有する万能の逸品。振り上げた刀を受け止める為に持ち上げようとするセフィアの腕が、血管筋を浮き立たせる。だがサクラは早い。踏ん張りを利かせ、力で押すセフィアだが、サクラはまるで踏ん張ることをしない。流れる水面を滑る木漏れ日の葉のように、動きの延長上に流すように振る。
「……日本刀は、力を入れずとも、触れれば、裂く。それじゃ、勝てない……」
降伏するなら擁護する。敗戦を受け入れろ。刀の軌道は無尽に向きを変え、隙を突く。対応するセフィアの表情の中に、遅れが生じ始め、額の横から一筋の汗が垂れる。速度を上げる切先についていくには両手が必要だ。それを無理して使役する負傷した腕には、止まった血流が熱を帯び、滲み出す。
「怪我……珍しい」
「でしょ? 私もそう」
会話を剣音が劈く。遠くに響く再開の銃発が観客のように状況を急かせる。
「時間、無いかもしれないね。急がないと」
「……勝て、る?」
サクラには、セフィアはこの剣岳で突破するしかないと見ている。セフィアもそのために疲労する腕を上げ続ける。
「私は、契約失敗だなんて、汚点は残さないよ。背中の傷は、恥、でしょ?」
追い越すに至らない、ついていくだけのセフィアの剣。元来が狙撃手だけに狙いは良いが、剣術を基本にするサクラには見切られる。そこを突くことは嫌味であり、勝利への鍵。押していた足元の大地を滑る線は、セフィアに状況を変貌させる。
「剣士も……同じ。だから……」
サクラが間合いに距離を置く。セフィアも体制を整え直す。わずかの間を風が吹く。審判の鐘の音を待つ、腹を空かせ、勝者にのみ与えられるわずかな食事を得る為に、仲間であろうと、誰であろうと狩る。その欲望に支配される愚かな奴隷のように、町から一際響く銃弾の鐘の音が遥かに高い、平和の空へ響いた。
「契約の為に……」
「……斬るっ」
一蹴りに全ての力を注ぎ、圧縮された脚力を解放するサクラ。その腕は刀を滑走する車輪が持ち上がるように、切先から持ち上げられる。セフィアはそれを阻止する空気の抵抗のように、太剣を、いつかの戦場で掲げた勝利の輝きのように、陽光を綺羅星のごとく片手で輝かせ、振り下ろす。
その一瞬で、決する為に、契約を完遂させる為に、サクラは町へレクスを殺しに。セフィアは町へレクスを殺させない為に。
衝突する波動は水の冠を生まず、砂塵を風に溶かすこともなかった。
「……え?」
振り上げたサクラの日本刀が、想像以上に重量感の無い障害を薙ぎ払う。セフィアの姿は、そこにはなかった。振り下ろされた太剣が無人に落ちる。サクラの刀はそれを上空へ弾く。甲高くは無い、鈍る金音が大気に波のように拡散し、剣は弾き飛ばされるボールのごとく飛ぶ。風を切り放物線を辿る剣に、サクラは瞬時に腰に巻いていた紅い帯に隠し差していた短刀を抜き、抜け切らない力の惰性に、前に出る脚を後方へ向き直すように飛び、捻る体の勢いを利用し、左腕の短刀を上空で投げた。
「……っ」
サクラの体が飛び跳ねた勢いではなく、衝撃に太刀を手にしていた腕が背中に弾かれる。揺れる身体で着地するサクラは着地の衝撃に、水を張ったグラスを落としたように、荒野に血が流れる。鈴鐘のように日本刀の太刀が綺麗な音色を発し、転がる。
「いったぁ……」
攻撃の激動が静粛を宿す。
「……卑怯」
サクラが腕を庇うように押さえる。ノースリーブの上着の肩から垂れる血液は、脈動に合わせ、勢いが上下する。セフィアの銃弾が肩を撃ち抜いていた。サクラは一対一の剣による決着を望み、力を圧縮し、放った。だが、セフィアはそれをしなかった。素振りだけを見せ、サクラが太刀筋に着眼していた際に、ホルスターに隠していた拳銃を抜き、放たれる惰性に即座に対応出来ないサクラの隙を突き、発砲した。戦場だから、義ある闘いは存在しない。
「策略、よ。……良い結果じゃ、なかったけどね」
セフィアが、未熟の果実をかじった様に表情を崩しながら、負傷していた腕に手を掛ける。そこには包帯を赤に染める銀の刃。セフィアの手の甲を射抜いている。刀を抜くことは剣に比べ、難しい。曲線を描く刃は独特に損撃を与える。セフィアの手は小さい。そこに刃が手の甲と平に姿を見せている。瞬時の攻撃に完全にセフィアの片腕は機能を失い、ワンピースには血飛沫が模様を描き出す。抜かれた箇所の出血は著しい。セフィアはワンピースの裾を血の付いた短刀で切り裂き、とっさに止血する。サクラの短刀を投げ捨て、それをサクラが血を腿の生地で拭う。
「これで条件は、そろったんじゃ、ない?」
双方片腕負傷。武器はセフィアが腿のホルスターに装着していた拳銃が一丁。ホルスターには弾倉が一つ。拳銃の残弾と合わせても五十はない。一方のサクラは隠し持っていた短刀が一本。落ちる太刀を瞬間的に見るが、セフィアが拳銃を発砲し、太刀が二人の間合いから消える。銃弾は減り、対するは短刀一本。太刀を拾いに下がれば、サクラは蜂の巣にされる可能性が高まる。一方のサクラの剣術の腕は確かであり、距離をとろうにもセフィアは、サクラの短刀は攻撃用ではなく、主に防御、もしくは投擲による武器だと把握していて、安易な行動は腕の損傷を彷彿させる。同じセグレアから派遣された契約少女であり、知らないはずが無いのだ、互いに。
煌めく太陽に照らされる、光と影を成す風体の少女二人。対を成す腕が垂れ、負傷により体力の消費は著しい。大人ではない以上、幾ら異質な存在であれど、所詮は人の子。負傷が大きい以上、疲労は募る。
「……ひとつ、良い?」
セフィア同様に止血処置をするサクラの表情は疲労は浮かんでいるが、感情は出ていない。
「……セグレアは、同じ戦地に、対立させない。……じゃぁ、ボクらは、どうして?」
「私も知らない。ルーシュは何も言ってなかったもん」
町には再び銃弾の飛び交う円舞曲が流れる。終わるまで繰り返されるその旋律は、何を招くのか。国を思う内紛の末路は安寧ではないだろう。
「あ、でも。私、この前はそっち側だったの。サクラも知ってたでしょ?」
「……地域が違うだけ、だった。でも、ボクは継続。セフィアは、寝返った」
「寝返ったってひどくない? 指示に従っただけなんだけど。でも、問い詰めないとね」
「……生きて、帰れ、たら……」
会話が終わると、二人の目に、光が宿りなおす。
「ボクは、セフィアを、殺して、ワクチンを奪う……」
サクラは短刀を抜き、片手で握り締める。
「私も、レクスが心配だから、手っ取り早く行くよ」
腕に力が入らなくなったセフィアは、口でスライドを引く。
シングルアクションと間合いの狭い短刀。静かに二人は動き出す。隙を見せてはいけない戦場の中で、その一歩が隙になることを良く知る二人だから。
「戦争って、くだらないよね」
「……でも、ボクたちは、戦場でしか、生きられ、ない……」
ワンハンドアクションのセフィアが横に飛ぶ。一筋両断のサクラは直進する。大人にも把握しきれない、尋常ではない脚力と腕力を先を急ぐこの場で発揮する。
「だね。だから敵は……」
「……殲滅する」
互角になった状況で、神の暮らす空へ神々の芸術品として、秀でた二人の少女は唯一と誇示のために、一人は銃を、一人は刀を煌めかせた。