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キミの心  作者: 小日向ライ
第3章夏色小春
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36話

「あたしはこの子の言葉の意味が理解できないんだけれど、あんたは理解できた?」


  雪代は若干引き気味に俺にそう訊ねてくる。突然、途轍もないことを言われたのだ。無理もない。だが、雪代の期待する答えは返せそうにない。そもそも、雪代が俺に対して期待なんて感情を持っていたのかどうかは怪しいものだけれど。


「おそらく、この言葉を俺は理解しないほうがいいということだけは理解できたよ」


 雪代を巻き込んでおいてあまりにも無責任ではあるが、このこはるの願望というべきか、欲望というべきか分からないものには俺が関わることはできない。正しくは関わらないほうがいいというべきか。雪代のためを思うと、何も聞いておかなかったことにするのがベストだろう。自分自身にはっきりと言わせてもらうと現在俺はこの場には邪魔ということになるのだ。だって、まだ雪代がこはるの頼みごとに対して何と答えるかは不明だが、もしこはるの頼みを了承した場合、嫌っている人物が近くにいる状態で人を抱きしめるというのには抵抗があるだろう。


「そんな理解よりも言葉の意味を理解して、どうにかこの子を止めてもらったほうが助かるんだけれど」


 正直な話、言葉の意味なら理解しているのだけれど、こはるが勇気を振り絞って出した願いを俺が遮ってしまってよいものかそれが正しい行いと言えるのか分からない。まあ、今まで一度だって自分が正しい行いをしたとは思えないのだけれど。俺は今まで正しい行いではなく自分がやりたいことを好き勝手に独りよがりにやってきたにすぎない。その結果が人を救うこともあったし、人を傷つけることもあった。果たして、今回俺はどうしたいのだろうか。


「でも、記憶が戻る可能性もあるからな。安易に止めるものでもない気がする」


 心の中で思っていたことがつい口に出てしまっていた。


「抱きしめた程度で人の記憶が戻るんなら、医者はいらないでしょ」


 すかさず、雪代からツッコミが入る。本当はこはるの気持ちを尊重したいみたいなことを言いたかったのだけれど口に出てしまったものは仕方がない。俺にできることは言葉を取り消すことではなく生み出してしまった言葉を成長させることだ。


「世の中何が起こるか分からないからな。嫌われている相手と間接キスすることだってあるわけだし」


 どうやら変なほうに成長させてしまったようだ。これは前言撤回で失言だ。あの時の衝撃が未だに忘れられず俺の中に根付いてしまっていたらしい。しかし、あれは完全に避けられたものだったのに、我ながらどうかしている。相手がいいといったからってわざわざ間接キスをする理由はどこにもなかったはずだ。過去の自分を責めることはこんなにも容易いのに、どうしてその時はそれが過ちだということに気付けないのだろうか。


「あんたは後で首絞めて苦しめてやるから安心していいよ」


 なんだか、苦しむだけでは終わらないような気がするのは俺だけだろうか。苦しんだ先に人生の終わりが待っていそうですごく怖いんだが。


「何一つ安心できない。むしろ、不安に思い、覚悟しないといけないだろ。やってしまったことと今の発言については後悔しているのだけれど、それだけでは許されないだろうな。しかし、雪代も早く決断しないとこはるがまた蚊帳の外だぞ。さすがに今回は無理強いするつもりはないからどうするのか雪代が決めてくれ」


 睨んでくる雪代の視線に耐えられなくなってきたので、無理に論点をずらす。おそらく、雪代が俺を睨んでくる理由は雪代の口車に乗せられて、そういうと言い訳のように聞こえてしまうが、否、ようにではなく言い訳だが。俺が間接キスをしてしまったことではなく、こはるの前でその話題を口に出したことを怒っているのだろう。名前は出していないけれど、2人しか知らない秘密をわざわざ他人に広めようという行為が雪代のお気に召さなかったようだ。


「雪代さん、お願いします」


 俺の言葉に便乗するようにこはるが頭を下げる。もしかしたら、今まで口を開くタイミングを見計らっていたのかもしれない。人に気を遣うなんてこと、こはるはしないと思っていたのだけれど、案外そうでもないらしい。


「分かったよ。やればいいんだろ、やれば」


こっちも意外の反応だ。てっきり断るものだと思っていたが。しかし、雪代がこはるの頼みを受けるといった時点でこの場に俺は邪魔になる。一時その場から離れようとして動き出すと。


「おい、どこに行く気だよ?」


「いや、俺は邪魔になるかと思って。飲み物でも買ってくるよ」


 雪代に声をかけられて、すぐに返す。


「それは拒否する。あんた、もし周りに知り合いなんかがいたらどうする気だよ? その

知り合いの目にあたしがどう映ると思う?」


「うーん、別にそこまで気にすることでもないだろ? それに俺がいたところで何かが変わるわけでもないだろうし」


「いや、あんたはここにいろ。あんたにはあたしを巻き込んだ責任を負う義務がある。つまり、あんたには保険になってもらう」


「保険? ああ、なるほど、もし誤解するやつがいた場合に俺が誤解を解く証人になればいいってことか」


 そんなことならばお安い御用だ。俺なりに気を遣ってこの場を離れようとしたのだが、それはいらぬ気遣いだったようだ。しかし、雪代の許可は得たが、こはるはどうなのだろうか。こはるのほうに視線を送るが、こはるは何か考え事をしているようでそれどころではなさそうだった。


「まあ、そんなとこだ。あんたが近くにいれば、勘違いされたときにあんたにやれと言われたと説明することができる」


 こはるを見ている途中で、雪代が俺に対して、返答してきた。しかし、それは俺に対する気遣いというものが皆無の返答だった。


「それだと新たな誤解が生まれるわ! 普通に説明してくれよ……」


「めんどくせーな」


「誤解を生むほうが面倒だろ」


 どうして、わざわざ話をややこしくしようとするのだろうか。もし、俺についての誤解が生まれてしまった場合、その誤解を解くのは俺なのだということを理解してほしい。なくてもいい犠牲を増やす必要なんてどこにもないだろう。


「記憶を戻すために抱きしめたって説明するよりも信憑性は高くて楽だと思うけれど、まあ、そんなのは終わってから考えればいい話だ。さてと、おーいあんた」


 考えるまでもない話だとは思うけれど、ここであれこれ言っても仕方がない。雪代は呆然としていたこはるに対して声をかける。


「はい! ご、ごめんなさい。ぼーっとしてしまって。引き受けてくれてあ、ありがとうございます……それじゃあお願いしてもいいですか?」


 いきなり、声をかけられ、驚いたそぶりを見せるこはるであったが、しっかりと話の進み具合は理解していたようで改めて雪代に確認をとる。


「ん」


 雪代が短い返事をして、こはるの体を抱きしめた。幸い、周囲にはこちらの様子を窺う人の姿はなく、俺が後から誤解を解くなんてことにはならずに済みそうだった。安心した俺はとりあえず、無意味かもしれないけれど、雪代達のことを見ないように心掛けた。


「どうだ? なんか思い出したか?」


しばらくして、と言ってもほんの数秒程度だろうが俺にとっては何故かとてつもなく長く感じられた雪代がこはるを抱きしめるのが終わり、こはるから離れた雪代がこはるに訊ねる。


「……」


「こはる?」


しかし、こはるは黙ったまま口を開こうとしなかったので、心配になり思わず俺が声をかける。


「思い出した……全部思い出しました」


 やがて、閉じていたこはるの口が開かれ、涙を流しながら、さながら独り言を呟くような声の大きさでそう告げたのだった。だが、俺にははっきりと聞こえた。自分が待ち望んでいたかも分からないその言葉が。










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