1話
「ふーん。そんなことがあったんだ」
翌日の朝。俺は昨日あった出来事をクラスメイトの秋瀬蛍に話してみた。
秋瀬蛍。栗色のミディアムストレートヘアで、真っ赤な瞳が印象的。性格においては、俺とは対照的。というか、何を考えているのかよく分からない。
成績は優秀で、学年とまでは言わないまでも、俺らのクラスだけでなら、1位の成績を持つ。
だから、テストの時なんかは、勉強を教えてもらったりもする。
「まあ、聞き流してくれても構わない話なんだけどな」
「そんなことしかなかったんだ」
「興味無くなりすぎだろ……」
秋瀬はクスクスと笑う。確かに、後輩に名前を知られていたなんて話をして、興味を持てというほうが難しいかもしれなかった。
「つまり、青山くんはこう言いたいんだよね。どうして、姫宮さんのような可愛くて、男子にも人気のありそうな女の子が、冴えなくて、哀れで、ひねくれてる青山くんなんかの名前を知っていたんだろうって……」
「まあ、概ねその通りなんだけれど……俺、お前に何かした?」
秋瀬の言葉に悪意を感じて、彼女に対して、何かいけないことをしてしまっただろうかと、不安になり、訊ねる。
秋瀬はきょとんとした表情を浮かべた。
「ううん。私には何もしてないよ。でも、姫宮さんになにかする気なんでしょ?」
「信頼されてないな……」
「信頼はしてないけど心配はしてるよ。いつ、青山くんが捕まるのか不安で仕方がないよ」
秋瀬とは信頼関係を築けていたと思っていたのに、全く信頼されていなかった。
他人に迷惑をかけてきた覚えは無いのだけれど、それは俺個人が思っていることであって、周囲がどう思っているのかは分からない。
もしかしたら、秋瀬にとっては今話しているこの時間さえも迷惑だったのかもしれない。
「まあ、冗談はこのくらいにして、話を本題に戻そうか」
冗談だったらしい。冗談だと知り、安堵する。
そして、優しい笑顔を浮かべて秋瀬は言う。
「私以外にこの話をしても、きっとみんなこういうと思うんだ。同じ学校なんだから、名前ぐらい知ってて当たり前だろって」
秋瀬以外に話しても、興味を示さないという点においては納得だけれど、同じ学校だからって誰しもが、全校生徒の名前を知っている訳では無いと思う。それに、この学校。私立夢桜高校は全校生徒が1000人にも及ぶ学校だ。到底、入学して、まだ1ヶ月も経っていない姫宮に覚えられるとは思えない。まあ、目の前に座る秋瀬蛍という少女なら、その不可能とも言えるものを可能にしてしまいそうで怖いけれど。
敢えて、秋瀬に全校生徒の名前を知っているのかを訊ねるのはやめておくことにする。
「でも、冴えなくて、哀れで、ひねくれてる俺だぞ? 覚える価値なんてあるのか?」
「あれ? もしかして、さっきの私の言葉根に持ってる? それに、だめだよ。自分のことを無価値な人間なんて言ったら」
「根に持ってないし、誰も無価値とまでは言っていない」
俺がそう言うと、秋瀬は少し考え込むようにしてから、にこりと笑う。
「私は青山くんのこと好きだよ?」
一瞬何を言われたのか分からず、停止する。
しかし、これも冗談なのだろう。確実に秋瀬は俺を弄って楽しんでいる。
「本当に秋瀬の考えてる事は分からないな。どうせこれも冗談なんだろ?」
「……」
秋瀬は答えない。
こういう時、黙られてしまうと、対応に困る。
これは、俺のことが好きだということでいいんだろうか。
そんな淡い期待が浮かび上がってきたところで、秋瀬は口を開いた。
「ドキドキした? 青山くんは自分のことを低く見すぎだと思うな。青山くんはもっと周りが自分のことをどう思っているのかを知るべきだよ」
「分かった。じゃあ、目の前の秋瀬蛍さんは俺のことをどう思ってるんだよ。さっきの言葉はやっぱり冗談で俺は弄ばれただけなのか?」
「それは秘密」
秋瀬はにこやかな笑顔を浮かべた。やはり、秋瀬が何を考えているのか、俺にはまるで理解出来ない。
照れている様子もないし、もしかして、何回も好きって言っているから、慣れてしまっているとか?
「今日は眠れない気がする……」
「それは困ったね。ひざ枕してあげようか?」
もしこれが、冗談だったとすると、これは言葉の暴力と言ってもいいのではないだろうか。
現に今、俺の純情な心は傷付いているわけだし。
「遠慮しとく」
「それにしても、だいぶ話が逸れちゃったね」
「誰のせいだろうな……」
大した話でもなかったから、別に良かったんだけれど、結局、姫宮が俺の名前を知っていた理由は不明のままだ。
でも、どうせそこまで、気になるような理由でもないのだろう。
きっと誰かに聞いたとかその辺だろう。
「私、やることがあるからそろそろ行くね」
「やることってなんだよ? もうすぐホームルーム始まるぞ?」
「私、全校生徒に青山くんの名前付きの写真配らないとだから」
「犯人、お前じゃねえか!」
今までの話は一体なんだったのだろうか。
目の前に犯人がいて、気付かないなんて、俺が探偵だったら、探偵失格だった。
「まあ、それも冗談なんだけどね」
これも冗談だった。秋瀬蛍はとても冗談が好きな女の子だったようだ。出会って、2年目にして知る事実。
そして朝から、凄い労力を消費した気がする。
しばらくして、担任教師が教室に入ってきて、ホームルームが始まった。