16話
これは少し前の話。過去の話。言うなれば、回想だ。
青山くんと姫宮さんが出会い、私がその話を青山くんから聞いた時、なぜだか、胸が苦しくなった。胸が痛くなった。締めつけられるように苦しくて、刃物で突き刺されたかのように、痛かった。初めて味あう感情。初めて知る私の心と精神の弱さ。家に、帰り、ベッドに寝転んだ途端、不思議と私の瞳からは、勝手に涙が溢れてきた。必死にその涙をせき止めようとするけれど、どんどん、どんどん溢れてきて止めることができない。だから、私は泣いた。我慢することもせず、耐えることもせず、身に任せ、泣き続けた。しばらく泣き続けて、私は疲れて眠ってしまっていた。
私は普段、睡眠が浅いほうであったけれど、なぜだか、その時だけは、深く眠ることができた。
まるで、現実のようにはっきりとした夢を見るほどに。見てしまうほどに。
そこは私が住んでいる、生まれ育ってきた街だった。しかし、どこか違う。何かが違う。
違和感を覚えて、辺りを見渡してみると、すぐにその違和感の正体に気付く。
「人がいない……」
独り言のように、そう呟く。否、周囲に話す相手がいないのだから、私が発した言葉はすべて、独り言だ。独り言にしかならない。1人。孤独。しかし、これは夢なのだから、現実ではありえないようなことが、信じられないようなことが、自然に、当たり前のように起こってもあまり不思議ではない。今、眠っているであろう私の体が目覚めると共に、夢は終わる。この世界は消える。考えていても、仕方がない。とりあえず、散歩でもして時間を潰すことにする。
考えなしに 歩いていると、人はいなくとも生き物はいることに気付く。よくできた夢だと感心しながら、歩みを進めていく。コンビニを見つけるけれど、人がいないので、買い物をすることができない。外から見て、雑誌が並んでいるのが
分かる。商品がちゃんとあることははっきりしたが、不思議なもので、こういった状況下の中では、盗んでやろう、奪ってやろうという気はおきなかった。
そもそも、そんなこと思ったこともないのだけれど。だけど、もしこれが夢ではなくて、ずっとこのままだったとするなら、生きるためにそういった行為をとることもあるかもしれない。とらないとは言いきれない。人というのは、状況次第で簡単に変わるものだ。
他人に厳しかった人間が、お金持ちになった途端、優しくなったり、逆に、誰に対しても、優しかった人間が命の危険を感じた途端に、本性をあらわにして、人を陥れようとしたりと、いつ、誰が、どのように変わるかは分からない。1番、私がそれを身近に感じたのは、姫宮さんの件だ。友達や、両親の心の声が聞こえるようになっただけで、姫宮さんには友達や両親の今までとは違う姿が見えてしまった。
見たくもない現実。知りたくもない本性。
「学校だ……」
特に目的地を決めていたというわけではないのだけれど、いつもの習慣が体に染みついていたのだろうか。私はいつの間にか、毎日のように通っている学校に行き着いていた。到着していた。せっかくだから、中まで入ってみることにする。誰もいない教室というのも、案外、心躍るものがある。
私は、そのまま教室へと向かった。今度はしっかりと目的をもって。目的地を決めて。
静寂。辿り着いて、私の頭の中に最初に出てきた言葉はそれだった。1人が好きだという人間がいるけれど、私はどうしても1人は好きになれないようだ。実際に、1人になってみれば分かる。退屈でしかない。きっと、1人が好きだなんて言葉は、他の誰かがいるからこそ、成り立つ言葉なのだろう。
普段、私が座っている席も、青山くんが座っている席も、こうして見ると、微塵の特別も感じない。ただの物質でしかなかった。
「でも、意外と私にはこういう世界の方がお似合いなのかな……」
青山くんの机を撫でながら、呟く。
当然、反応はない。ただの机でしかない。
しかし、こうも意識がはっきりとしている夢なんて生まれて初めてだ。この機会に、好きな人の名前を叫んだり、街の中を何も考えずに走り回ったりしてみるのも悪くはないけれど、残念ながら、今はそんな気分ではなかった。それに、もしそんなことをして、誰かがいた場合、恥ずかしくて堪らない。死因。恥ずか死、なんてことにはなりたくない。
私は、誰か隠れていないかと、ゴミ箱や、掃除入れの中を探してみるけれど、誰もいなかった。もちろん、最初からいないことは分かっていたけれど、私なりの遊び心だ。いくつになっても悪ふざけはしたくなるものだ。
なんだか、どっと疲れが出てきて、私は特に何かを考えるわけでもなく、席に座って突っ伏した。そこで、ようやくこれは青山くんの席だったと気付くけれど、なんだか眠くなってきて、立ち上がる気力も湧かなかった。
考えてみれば、夢の中で眠くなるというのもおかしな話だった。私は一体どれだけ眠れば気が済むのだろうか。
そこからは、もう睡魔に抵抗することも無く、静かに眠りについた。
そこで、私は目を覚ました。なんだか、心の中が凄く軽くなった気分だった。自分が何に悩んでいたのかさえも、思い出せない。
そして、次の日。青山くんと話して初めて気付く。私の中にあった、感情と呼べるものが欠如してしまっていたことに。
回想終わり。
青山くんとの2人っきりのデートを終え、 部屋に戻った私は、青山くんに帰り際に渡された髪留めを勉強机の上に置く。この、あまり派手ではない髪留めをつけて、明日学校に向かったとして、青山くんはどんな反応をするのだろうか。
何を思って、青山くんがこの髪留めを買ってくれたのかは分からないけれど、私がこの髪留めをつけていったところで、何も変わらないだろう。
「本当に、お人好しだよね。青山くんって……」
喜びも悲しみも、湧いてこない。私は今、青山くんに助けてもらいたいのだろうか。手を差し伸べてほしいのだろうか。違う、と思う。
自分が今、どう思っているかさえ、分からない。こんな状況、今までの私だったなら、泣きたくなるほどに悲しいはずなのに、その涙さえ出てこない。
本当に、あの世界に出会ってから、あの夢を見てからというもの、まるで自分がサイボーグにでもなったかのようだ。
「今日も私は、ちゃんと私でいられたかな……」
自分がまだ、自分であることを確認しつつ、私はベッドに寝転がった。
そして、口が勝手に動いてるのではないかと思う程に、不自然に言葉が吐き出された。
「好き……好き……好き……嫌い……」
「私は青山くんが嫌い……」
そうだった。確か、私は青山くんのことなんて好きではなかったのだ。好きではないから、苦しくもなくて、好きではないから、そばにいることができたのだ。
こんなにも、単純で簡単なことにも気付けないなんて本当に、私はどうかしていた。
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