13話
翌日の朝。青山くんが席に座っていた私に話し掛けてきた。まあ、これはこんなに驚くことじゃない。よくあることだ。
「昨日は悪かったな。いきなりなのに、協力してもらって……今度、埋め合わせするからさ」
「ううん。その様子だと、姫宮さんは無事問題を解決することができたみたいだね。埋め合わせなんて気にしないで」
好きな人を目の前にしても、まったくドキドキしない。演じれば、感情も湧いてくるんじゃないかと思って、昨日の朝、青山くんに対して、怒っているふりをしたけれど、それもまったくの無意味だった。私のする行為に対して、感情はついてこなかった。
だけど、怪しまれるわけにはいかない私は、今まで通りの笑顔で青山くんに接する。
「ああ、秋瀬のおかげだ。有栖も今度お礼がしたいって言ってたよ」
ごく自然に、発されたので、危うく流してしまうところでした。 いつの間にか、呼び方が、姫宮から有栖に変わっていました。それだけ、昨日あの後で、2人の関係が進展したということです。案外、姫宮さんが泣いて、青山くんが抱きしめたという私の予想は間違っていないのかもしれませんね。
「そっか。2人のその気持ちだけで私は十分だよ」
「いや、秋瀬に恩返しがしたいってのは2人だけじゃないんだ。話を聞けば、昨日、秋瀬は結にアイスを奢ってくれたんだって? 結のやつ珍しく、その恩返しがしたいって言うんだよ。それで有栖とも話して、4人でショッピングモールにでも行かないかって話なんだけれど……あっもちろん、アイスのこともあるし、秋瀬の欲しいものがあった時は金は俺が払うから」
結ちゃんの思惑に完全に嵌ってしまっていた。
しかし、過ぎ去った時間に戻ることはできない。
それにしても、青山くんの私の分までお金を払うという行為は優しさとは呼べない。
私に払うお金があるなら、せめて、結ちゃんにアイスを買ってあげて欲しい。
だけど、一体結ちゃんは何を考えているのだろうか。
もし、ここで私が断れば、冷酷な人になってしまう。いや、実際その通りなのだけれど。
「誘ってくれるのは、有難いんだけれど、私勉強で忙しくて……」
その言葉を私が発した途端、青山くんの目付きが一瞬にして変わった。
そして──────
「そうか。何かあったんだろ?」
おかしい。鈍感のはずの青山くんが私の嘘に気付くはずがない。私は失敗なんてしていないはず。失言もしていないはずなのに。
「どうして?」
「結に言われた。もし、俺が誘って、秋瀬が断るようなことがあったら、それは何かを隠している証拠だから問いただした方がいいって……結は普段、俺にこんなことは言わない。だからこそ、俺は結を疑うことなく、逆に信じられる。なあ、もし悩んでるなら俺に教えてくれないか?」
これが、兄妹の絆。兄妹の信頼関係。
だけど、私は言うわけにはいかない。嘘をついてでも、騙してでも、この秘密だけは言えない。
私はずっと楽をしていたいんだ。悩みたくないんだ。だって、もし前のときのように戻ってしまったら、今の状況に、今あるはずの苦痛にも耐えられないだろうから。
だから、私はいつものように笑顔で。
「青山くん顔が怖いよ? いつもの冗談だよ。私が青山くんの誘いを断るなんてあるわけないじゃん。結ちゃんも考えすぎだよー」
「そうか。冗談か。悪い、結があんまりにも真剣な表情で言うから気になって……」
青山くんは何も悪くない。悪いのは私。
にもかかわらず、青山くんに嘘をついている、青山くんを騙しているこの状況でさえ、私は少しも心が痛まなかった。
しかし、これで私は誘いを受けることになってしまった。今は、結ちゃんだけだけれど、姫宮さん、最終的に青山くんにバレてしまったらどうすることもできない。
「心配かけてごめんね。それよりも、ショッピングモールはいつ行く? 楽しみだな」
「ああ、今週の日曜日にしようと思うんだけれど、それでもいいか?」
「うん、構わないよ!」
姫宮さんも今は心の声が聞こえないから頑張れば騙し通せるはずだ。
そもそも、姫宮さんには私の心の声だけは聞こえなくなっていたんだった。
その理由は、仮定の話になってしまうけれど、おそらく、私の心はこの世界にはないから。あちらの世界にしかないから。
だから、今の私の心は偽物でしかない。
ドキドキもしないし、妬むこともないし、喜ぶことも、悲しむこともできない。
それが今の私。秋瀬蛍の心の中。
きっと、誰かが私の心の中を覗いたとしても、それはからっぽだろう。何もない。どこまでも、いつまでも、空虚でしかない。
きっと、原因は青山くんから姫宮さんの話を聞いたとき。
私が彼女に嫉妬してしまったことが原因。
そんなこと、青山くんに言えるわけない。
だから、私は我慢して、耐えて、そして、誰もいないもう1つの世界と出会った。




