11話
「なるほど。なるほど。それで、私はこの場所を出ていけばいいの?」
姫宮の過去の話を聞き終えて、うんうんと頷く秋瀬。そして、俺と姫宮が予想すらしなかった言葉を放った。
「え? 悪い。どうしてそうなった?」
「逆に聞くけど、どうして私は呼ばれたの?」
そう言われると、何も返せない。俺たちからすれば、秋瀬は最後の希望のようなものだったわけだけれど、秋瀬からすれば、意味が分からないだろう。
要するに、俺たちが勝手に期待していただけなのだ。
「それは……秋瀬なら何か分かるんじゃないかと思って……」
「分からないよ。解決できそうな問題をわざわざ青山くんが遠回りする意味が私には分からない」
「え? 今なんて?」
解決できそうな問題?遠回り?一体どういう意味だ?
「だから、この件に私は必要ないってことだよ」
「も、もしかして、秋瀬センパイには分かったって言うんですか? 今回の問題の解決策が!」
姫宮が秋瀬に顔を近付ける。秋瀬と話した事の無い姫宮にとっては驚くべきことだったのだろう。普段、よく秋瀬と話している俺でさえ、未だに驚いている。
「心の声が聞こえるんだよね? 聞いてみたらいいんじゃないんかな?」
「あっ……秋瀬センパイの心の声は今聞こえないんですよ」
「え? そうなんだ……」
残念がる様子を見せる秋瀬だが、なんだか俺には少しだけほっとしているようにも見えた。
「じゃあ説明するね。っとその前にまずは確かめないとだね。姫宮さん、あなた、本当は青山くんのことを信じたりしてないよね?」
言われて、姫宮は固まる。どういうことだろうか?
「ううん。正確には違うか、信じたくても信じられないんだよね?」
「ど、どうして分かるんですか?」
図星だったようだ。俺は2人の話に割って入ることはせずに傍観することにする。この場で俺が間に入って何かが出来るとは思えなかったからだ。
「10数年積み重ねてきたものが全て壊れた後だよ? 自分の信じてきたものが全部間違っていたと知った後だよ? その後で、簡単に他人を信じることなんて出来るわけない。そして、姫宮さん、青山くんの心の声がまだ聞こえる?」
唐突に俺の名前を出されて、驚く。姫宮は俺を恐る恐る見ると、秋瀬の方に向き直って、ゆっくりと頷いた。
「それが、姫宮さんが青山くんを信じきれていない確固たる証拠だよ」
理解が追いつかずに、傍観するつもりだったけれど、俺は秋瀬に対して口を開いた。
「心の声が聞こえるのと、俺の事を信じきれていないことに何の関係があるんだよ」
「うーん、上手い例えが思いつかないなー。ここは心繋がりでこうしよう。青山くん、初心にかえるってことわざがあるよね?」
「ああ。あるな。それがどうかしたのか?」
ここで理解出来ていないのは俺だけのようだった。姫宮は既に、表情に疑問を浮かべてはおらず、ただただ俯いていた。
「初心に返るなのか、帰るなのか迷いそうなものだけれど、この場合は返るが正解なのかな? 要するには、誰も信じきれなくなって、生まれた能力なんだから、消すときはその逆で誰かを信じてしまえばいいっていう簡単な話だよ」
誰かを信じることで、消える。消せる。
普通の人には、簡単なことかもしれないけれど、姫宮にとっては難しいことなのだ。とても困難な事だった。だから、今の今まで心の声は聞こえた。聞こえ続けた。消えることはなかった。
「凄いな。秋瀬はそんなことまで分かるなんて……」
「凄くなんてないよ。他人の事なら分かるかもしれないけれど、自分の事になると、そうはいかない。姫宮さんも、もしも心の声が聞こえるのが自分自身ではなく他人だったならこの答えに辿り着けた筈だよ」
そんなふうに言われると、分からなかった俺がおかしいみたいになってしまう。おかしいのは俺ではない。おかしいのは、きっと俺の目の前に映る2人の少女の方だ。
「つまりさ、人の言葉によって負ってしまった傷を癒せるのは、同じく人の言葉ってことになるのかなー。だから、悪いのは姫宮さんだけじゃない。青山くんがもっと姫宮さんに対して手を差し伸べていれば、この問題は解決してたんだよ? うん、悪いのは青山くんだね! 正直言って、励ましの言葉の1つも掛けられないのはどうかと思ったよ」
言いたい放題である。何故か俺が責められていた。だけど、反論することができない。自分自身でもまったくその通りだと納得することが出来るからだ。
「悪かったな。今後は気を付けるよ」
「そうできるといいね。じゃあ、私は帰るから。はぁー、私も青山くんに偉そうに説教出来る立場じゃないかもなー」
そう言って、秋瀬は教室を出ていった。不思議とその背中は、少しだけ悲しそうだ。
なぜだろうか。秋瀬の言ったことが正解とは限らないのに、秋瀬の言った事なら、何の疑いもなく信じてしまえる。人を信じるってこういうことなのだろうか。秋瀬は答えをくれた。後は、俺の役目だ。テストで言ってしまえば、カンニング行為をしてしまった後同然だけれど、問題を解き終えるのは俺と姫宮の役目だ。そこまで、秋瀬に任せるべきではない。
2人だけ取り残された教室はとても静かだった。姫宮は俺を見て笑う。
「確かに、ここから先は私達が問題を解かないとですね」
「だな……」
しばらく俯いていた姫宮だったが、深呼吸をして覚悟を決めたような表情を浮かべる。
そして────────
「センパイ、失礼します」
言って、姫宮は俺の胸に飛び込んで来た。驚いて、慌てて離れようとしたけれど、姫宮の顔を見てすぐに、そんなことをする気は起きなくなった。
姫宮は泣いていた。今まで出会ってから、1度だって俺に見せたことの無い涙を流していた。そんな姫宮を見て、なんだか放っておけない気持ちに襲われる。どうするのが正解か分からなかった俺は、嫌がるかもしれないと思ったけれど、姫宮の小さな身体を優しく抱きしめた。
姫宮の体が一瞬ビクッとなったけれど、それはもう本当に一瞬で、姫宮の方も、縋り付くように、ゆっくりと俺の背中に手を回す。
そして、姫宮は小さな頼りない声を出した。
「ずっと、誰かに助けて欲しかったんです……私の異変に気付いて、声を掛けてくれた人なら何人かいました。だけど、その人たちも心の中では闇を飼っていて……私はどんどん、どんどん追い詰められていきました」
救いの手が欲しかった。救いの手を願った。
嘘をつかれて、裏切られても、なお人を信じようとした。だけど、誰かを求めれば求めるほど、姫宮は人を信じられなくなっていた。突きつけられる悲しい現実。見せられる真実。
そんな姫宮に、信じて欲しいなんて要求を今するのは残酷なものだろう。
「今でもあの時のことを思い出すんです。みんなが私を責めて……散々責めた挙句、人を腫れ物のように扱うんです。こんなことってありますか? 私が何をしたって言うんですか? 私はただ、夢を叶えようとしただけなのに。頑張っただけなのに。幸せになろうとしただけなのに……幸せになることがそんなにいけないことなんですか! 夢を追うことがそんなにいけないことだったんですか!」
決して、穏やかとは言えない姫宮の声が教室に響き渡る。
抑え続けていた想いが、抑えきれなくなった姫宮の感情が暴走する。数ヶ月の間、1人で誰にもぶつけることなく、耐え続け、我慢し続けた感情。姫宮は俺の背中から手を離して。力のない拳で、俺の胸を叩く。何度も、何度も。悔しさをぶつけるように、不思議と痛みは感じない。知っているから。知ってしまったから。姫宮が受け続けてきた心の痛みを。
「辛かったよな。苦しかったよな。悔しかったよな。いいよ。姫宮の痛みを一緒に背負ってあげることはできないけれど、姫宮の思い出すだけでも悲しくなるような気持ちを、叫びたくなるような怒りを俺が全部全部受け止めてやるから……だからもう、我慢しなくたっていいんだ」
救ってやるなんてカッコいいことは言えない。
俺はただの無力な、姫宮が信じきれなくなってしまった人間の1人だ。だから、俺にできるのはこのぐらい。姫宮が本音で、伝えてくれている想いを、ただただ近くで聞いてあげることぐらい。
「悔しかった。悔しかった。悔しかった。両親には最初から信用されてなくて……こいつはすぐに夢なんて諦める。そう思われていたことが悔しくて、悔しくて、私は真剣だったのに! 本気だったのに! 子供の夢を心の底から応援してくれてもいいじゃないですか! 何もかも分かっていたみたいなそんな目で私を見てくる両親が嫌いで嫌いで仕方なかった! 文化祭の劇が中断されたにも関わらず、心配すらしてくれなかった両親が大嫌いで仕方なかった!」
信用してくれていない両親を見て、さらに、姫宮は人を信じられなくなったのだろう。クラスメイトに言葉の刃物で傷付けられ、両親には逆に、何とも思われていないことで傷付けられた。
「そして、何よりもこんなにも弱い自分が嫌いで仕方なかった。大嫌いで仕方なかった! いっそのこと、感情なんてなくなってしまえばいいのにとさえ、思いました……そしたら、センパイのことももっと早く信じられたかもしれないじゃないですか!」
「それはできないよ。感情をなくしてしまったら、俺のことを信じることなんてできない。そして、何より感情をなくすなんてことはできないんだ。感情は人からは切っても切り離せないものなんだから……」
こればかりは肯定してあげることはできなかった。だって、この言葉を肯定してしまうと、俺は姫宮に嘘をついたことになってしまうから。騙したことになってしまうから。
「じゃあ……私はどうすれば良かったんですか? 感情を消すこともできないなら、誰も信じる事も出来ないなら私は自分の感情にみんなの声に押し潰されてしまえば良かったんですか?」
「それも違うよ。だからさあ、姫宮。もう我慢しなくていいんだって。無理しなくていいんだって。泣きたいときは泣けばいいし、笑いたくないときは無理して笑わなくてもいい。でも嬉しいときは嬉しいでいい。1人で耐えられなくなった時は、俺が支えるし、甘えたいときは甘えればいいし、何かあった時は相談すればいい。そうやって、人って誰かを信じていくんじゃないかと、俺は思う。今、それができなくてもいい。ゆっくり、ゆっくりでいいからさ、少しずつ前に進んでいけばいいんだよ」
そこまで言ったところで、姫宮は泣き崩れて、床に膝をついた。
俺も姫宮と目線を合わせる為に、片膝をつく。
最初はあんなにも逞しく、大きく見えていた少女が今はこんなにも、弱そうで、小さい。
触ったら、壊れてしまうんじゃないかとさえ、思える。
「苦しかった。怖かった。辛かった。ずっと、ずっと、誰かに気付いて欲しかった。誰かに慰めて欲しかった。大丈夫だよって声を掛けて欲しかった。褒めて欲しかった。さっきみたいに、優しく抱きしめて欲しかった……人肌のぬくもりがこんなにも温かいものだったなんてわからなかった……ずっと泣きたかった。叫びたかったのに、変な人って思われるんじゃないかって、嫌われるんじゃないかって、またあの目で誰かが私を見るんじゃないかって。そう思ったら、泣くことも叫ぶこともできなくて。怖くて怖くて、堪らなかった。だから、センパイに優しくされた時、抱きしめられた時、本当に嬉しかった。ああ、この人は私のことをあんな目では見ないんだって。嫌いにはならないんだって……」
そこで、言葉を止めた。姫宮の手は震えている。その震える手を姫宮は強く握りしめて。
「センパイ、私はセンパイのことを信じてもいいんですか?」
ここで、俺には秋瀬の言葉が脳裏を過ぎった。
俺がもっと手を差し伸べていれば。秋瀬の言いたかったことはこういうことじゃなかったのかもしれない。だけど、俺は手を伸ばした。
その手を姫宮の頭のところまで持っていって、撫でた。頭を優しく撫でた。
そして、姫宮の質問に対する答えを述べる。
「当たり前だろ?」
「センパイはずるいです……こんなことされたら、悲しい涙じゃなくて嬉しい涙が出てきてしまいます」
俺は、ポケットからハンカチを取り出すと、それを姫宮に渡す。一応、洗濯してから使ってはいないけれど、男子から渡されたもので大丈夫だろうか、と不安ではあったが、姫宮は嫌がる素振りも見せずに受け取ってくれた。
涙を拭き取って、落ち着いたかと思うと、再び姫宮の目から涙が溢れてくる。
「これは違うんです。嬉しいんです。嬉しいんです。嬉しいんですー」
何を否定したいのかは分からないけれど、うわーんと子供のように泣きじゃくる姫宮はとても可愛いかった。
しばらくすると、姫宮は今度こそ泣き止んで口を尖らせた。
「屈辱です。これは黒力士です」
どんな力士だ、それは。黒魔道士みたいで強そうだけれど。
だけど違う。正しくは黒歴史。
「なんていうか、すげー可愛かった」
「嬉しくありません!」
頬を膨らませて、ぷいっとそっぽをむく姫宮。だけど、少しだけ口元が緩んでいるのが分かる。
怒るのをやめて、俺の方を見る姫宮。すると、不思議そうに俺を姫宮は見つめた。
「あれ? 心の声が聞こえない?」
「ほ、ほんとか!?」
「は、はい」
秋瀬の言っていたことが正しかったことがここに証明された。
つまり、姫宮が俺の事を信じてくれたということだろう。
すると、姫宮は俺を見て盛大に笑いだした。
「あははっ。センパイが何を考えてるのか全然分からないです!」
今までは分からないことが当たり前だった、だけどその当たり前の日常からかけ離れてしまっていた少女。その日常が今戻ってきた。
分からないことが当たり前な人にとっては何が嬉しいか分からないかもしれないけれど、分かることが当たり前になってしまっていた姫宮にとっては分からないことというのはとても嬉しいことなのだ。
「良かったな。姫宮」
「センパイ、良ければ下の名前で呼んで貰えますか?」
「え?」
「お願いします」
甘えたい時は、甘えればいいと言ったのは俺だ。少し恥ずかしいけれど、俺は姫宮の下の名前を声に出して言った。
「有栖」
「はい! ありす、です! 勇人センパイ!」
有栖は優しく明るい笑顔を浮かべた。
ここで姫宮有栖と俺の出会いから始まった物語は終わった。いや、これは始まりということになるのだろうか?
きっと、そんなのはどっちでもいいのだろう。
終わりであろうと、始まりであろうと、彼女の物語はこの先も続く。
分かるのはそれだけで十分だった。




