9話
特別棟の使われていない教室。使われていないだけあって、埃が目に見える大きさで、見え隠れしている。特別棟は主に文化部が使用しているが、この教室はそのあまりで、現在使用されていない。たまに告白の為にこの教室に呼び出して告白する人がいるくらいだ。
しかし、掃除がいき届いていないこの教室を好んで告白場所に使う生徒は少ない。今回の場合は告白と言ってしまえば告白だけれど、呼び出したのは姫宮の方なので、もし、姫宮が嫌がったとしても俺のせいではない。しばらくして、姫宮が教室に入ってきた。埃などに嫌悪感を示す様子は一切見せずに俺のそばまで近づいてくる。
「センパイ、お待たせしました」
放課後にここに集合というだけで、細かい時間の指定はしていなかったのだから、遅れてきたということにはならない。それに、姫宮には覚悟を決める時間も必要だっただろう。
そのことを考慮すると、少し早いぐらいだ。
だから、俺はまた先延ばしにされるのではないかと、少し心配になる。
「その心配はいりませんよ。よく考えれば、私の悩みなんてホントにちっぽけなものなんです。とても滑稽なものです。そんな話でも良ければ、聞いてもらえますか?」
姫宮の悩みが本当にちっぽけなものかは分からないけれど、ある人にとっては壮大なものでもある人にとってはちっぽけだと思える悩みも存在するだろう。人が心に受ける痛みや苦しみの感じ方はそれぞれなのだから。
しかし、姫宮にとっては苦しいと感じてきた悩みを今ここで、ちっぽけなものだと言えるのは、姫宮の強さの表れのような気がした。姫宮は俺を見ようとはしない。心の声を聞かずに、俺の口から出た言葉を聞きたい。あるいは、信じたいということなのかもしれない。
「聞かせてほしい」
俺はただの願望を姫宮にぶつけた。
姫宮はどう思っているのだろう。本当に俺に自分の話を聞いて欲しいと思っているのだろうか。願っているのだろうか。姫宮を真剣に見てみるが、当然、俺に姫宮の心の声は聞こえない。
「じゃあ、私が心の声が聞こえるようになったと思える原因を話します」
どうやら、姫宮には原因が分かっていたらしい。しかし、それは分かりきっていたというわけではない。確信が持てないから話せなかったのかもしれない。
「中学の頃です。私は演劇部に所属していました。そして、演劇は飽きっぽい私が心の底から好きだと言えるものでした。勉強と運動が他の人と比べて劣っていた私にとって、演劇は友達からも両親からも褒められた唯一のものだったので……」
今の姫宮を見て、演劇部だったという印象が湧いてこない。それに、演劇だけに限らず、姫宮ならなんでもできてしまうのではないかとさえ思えてしまう。そういった期待や理想は持つべきではないと分かっているけれど、正直意外過ぎて言葉が出てこない。
「それで、大好きな演劇をやっていくうちに、演劇に関わる仕事をしたいと思いました。演劇は私の夢にまでなっていたんです。両親に相談すると最初は戸惑っていましたが、目指してみればいいと快く了承してくれました。まあ、それは表の部分に限っての話でしたけれど……」
言葉を一旦区切る姫宮。今、演劇をやっていないということは、つまりはそういうことなのだろう。自分の無力さが嫌になる。考える時間は姫宮が与えてくれたはずなのに、姫宮を励ますのが今の俺のあるべき姿なのだろうけれど、そんな言葉は1つも思い浮かばない。俺は所詮、優しくていい人にしかなれない。救世主でもなければ英雄でもないのだ。そして、疑問に思う。どうして姫宮は俺なんかを頼ったのだろうか、と。
「続けてくれ……」
結局、何の言葉も出てこずに、話の先を促すことしか出来なかった。
姫宮はそんな俺を、一瞬だけ見て、にこりと笑った。心の声を聞かれた。心を見透かされた。失望されたかもしれない。幻滅されたかもしれない。それでも、姫宮は先程よりも表情を明るくさせて、安心したように話を続ける。
「それから私は、大好きな演劇を頑張りました。仲の良かった親友と、どうしたらもっと上手くなれるだとか、人の心に響かせるためにはどうすればいいのかなどを話しながら、どんどん演劇にのめり込んでいきました。そんなとき、中学最後の文化祭の主役として私は選ばれました。あのときは本当に嬉しかったな。喜んで、親にも自慢して私の晴れ姿をみんなに見てもらえる。その事実が嬉しくて嬉しくて堪らなかったんです……」
懐かしむように、教室の天井を姫宮は見上げた。今、姫宮は過去の自分のことを思い出しているのだろうか。俺にも、過去の姫宮の喜んでいる姿が、違和感は感じないであろう本当の姫宮の笑顔が浮かぶ。
「でも、人生そんなに甘くないってことですよね……文化祭の前日。遅くまでみんなで文化祭の練習をした帰り際に忘れ物をしていることに気付いた私は教室に戻りました。すると、教室の中から声が聞こえてきたんです。私の親友とクラスメイトの女子数名の声でした。中からは、ホントなんで有栖ちゃんなんだろうね。1人だけ浮かれてバカみたい。大して可愛くもないのに調子に乗ってるよね。など、私に向けられた悪意のある言葉ばかりが聞こえてきました。ホントにバカみたいですよね。浮かれていたのは私だけで、親友だと思っていた子も、クラスメイトの子も誰も私が主役になったことを喜んでくれていた人なんていなかったんです……その状況に絶望して、みんなに失望しました」
「そんなことって……」
きっと、クラスメイトの子らは姫宮に嫉妬していたのだ。姫宮の演技の実力に。だから、その想いを誰かにぶつけたかっただけなのかもしれない。しかし、姫宮としては信じていたものに裏切られたのだ。その気持ちを理解しろと言われても難しいだろう。
「あるんですよ、センパイ。こんなことが世界にはありふれている。そして文化祭当日。ステージに立った私に悲劇が起きました。クラスメイトの子達からすれば、喜劇と呼べるかもしれませんね……」
姫宮は自虐的にそう言って、苦笑いを浮かべる。笑えない。とても笑えるようなものじゃない。この後の出来事に大体の予想がついてしまう。最高だったはずの劇が最悪なものに変わってしまう結末の予想がその場にいなかった俺でさえ、分かってしまう。
「センパイの予想通りですよ。聞こえてきたんです。観客達の心の声が、みんなの本音が、クラスメイトの女子たちの憎しみにも似た真実の声を聞きました。そのときの私には何が起こったのかまるで分かりませんでした。頭が痛くなって、何も考えられなくなって、その場に蹲りました。演技は中断。終わった後クラスのみんなから責められました。当然です。楽しみにしていた劇が始まりさえしなかったのですから……その後、私は演劇を辞めました。夢を諦めました。夢を諦めたとき両親は心の中で、どうせ続かないだろうと最初から諦めていたんです。表ではあんなに応援してくれていたのに……知りたくもない現実を突きつけられました。悔しかった。本当は続けたかったのに、そうできない自分が両親に何も言えない自分が嫌いで嫌いで仕方なかった……」
最悪の事態が最悪のタイミングで起こった。
姫宮に次々に起こる悲劇の連続。さすがに、ここまでのことをクラスメイトの女子たちも喜劇とは呼ばないだろう。親友に裏切られ、夢からは逃げられ、両親からは見限られ、これを悲劇と呼ばずになんと呼ぶのだろう。
とてもちっぽけだなんて、滑稽だなんて思えない。むしろ、この過去があった後に今の、現在の、姫宮を見ると、逞しささえ覚える。
「だから、私は中学から離れた高校を選びました。高校生になっても周りの人間関係は私にとって似たようなものでした。上っ面だけの人間関係を築く人。モテたいがために自分を偽る人。下心丸出しの人。様々な人がいましたけれど、私にとってはみんな一緒でした……」
人に裏切られた後で、人の本音を聞き続けなければならないというのはどれほどの地獄だっただろう。だけど、それを避ける方法ならあったはずなのだ。誰も視界に入れなければ逃げることだって出来たはずなのだ。姫宮は俺の顔を見た。そして澄んだ声で話し出す。
「確かにそうですね。だけど、信じたかったんですよ。みんながみんなそんなに醜いものじゃないんだって……だから向き合うことにしたんです」
姫宮は俺の顔を再び見つめると、笑顔で楽しそうに話し出した。
「すると、ある人と出会ったんです。その人は自分から話し掛けておいて、話し掛けた後に自分が変な人だと思われていないかなんてどうでもいいことを心の中で心配するような変な人だったんです。その人の心配はあながち間違ってないということなんですかね。だけど、私がどんなにちょっかいを出しても決して怒ることの無い優しい人でもありました。言葉にはしないけど、心の中では心配してくれていたり、クールそうに見えてちょっとネガティブなところもあって可愛かったり、その人との時間は本当に楽しいと思えるものです。そして、今その人は私を助けようとしてくれている。こんなに嬉しいと思えたのは、文化祭の主役に選ばれた時以来です」
姫宮の本音が伝わってくる。とても穏やかで優しい声が俺の心に染み渡ってくる。
そして、姫宮は明るい笑顔を浮かべて。
「センパイ、私がセンパイを信じることができるのは、センパイの言葉が疑心からでた言葉ではなく本心からでた言葉だとはっきりと分かるからですよ!」
そう言った。
これだけの事があってもなお現実と向き合える
姫宮の心はきっと綺麗で美しいのだろう。
そうでなかったとしても、少なくとも、姫宮の浮かべた笑顔は綺麗で美しいものだった。
よろしければ、感想、評価、ブクマなどしていただけると幸いです。
やる気に繋がります。




