プロローグ
俺が姫宮有栖と出逢ったのは、ゴールデンウィークを目前に控えた4月の25日のことだった。
姫宮について、周囲が抱いている印象は可愛いぐらいのものだろう。それ以外の特徴はあまりないのだ。成績が優秀というわけではないし、スポーツ万能というわけでもない。しかし、偽るということにおいて言わせれば凄まじい才能を秘めているかもしれない。
もう1つ、俺が姫宮には絶対と言っていいほど、敵わないものがあるけれど、あれは才能という枠に収まりきるものではないので、別物として捉える。
それに、きっとあれのことを褒めても姫宮は喜ばないだろう。むしろ、悲しむかもしれない。怒るかもしれない。考えられにくいけれど、泣くことだってあるかもしれない。
考えられにくいことであって、有り得ないことではない。
だって、彼女にとっては、時間と夢を奪われたに等しいのだから。
放課後。特にやることがなかった俺は鞄を持って教室を出た。
部活に向かう生徒が数人、俺の横を通り過ぎていく。俺は部活に所属していないので、慌てることもなく、ゆっくりと廊下を歩く。
ここは3階。玄関までの道のりは遠いなどと思いながら、階段を降りたところで2階に到達。
すると、1人の女子生徒と目が合う。
琥珀色の瞳がじっと俺を見つめてくる。
女子生徒はプリントの束を両手に抱えていた。
「そのプリント、職員室までか? 俺が持とうか?」
言って、後悔する。初対面の相手。しかも女の子にいきなり話し掛けて変な人だと思われてしまったかもしれない。恐る恐る、女子生徒の顔色を伺う。
すると。
「ふふっ」
笑われた。プリントを持とうとしただけで笑われてしまった。俺には何が起きたのか全く分からなかった。
「失礼しました。 えっと、上の階から降りてきたってことは先輩、ですよね?」
女子生徒は首を傾げて訊ねる。
「一応2年だけど、君は1年生?」
「はい。1年の姫宮有栖と言います」
女子生徒は明るい笑顔を浮かべる。
姫宮有栖。そういえば、1年にそんな名前の可愛い子がいるとクラスの男子が言っているのを聞いたような気がする。
でも、この子の笑顔は確かに可愛いけれど、どこか無理をしているように感じる。
それよりも、俺も自己紹介を、と思ったところで。
「ふーん。素直に驚きです。あっ先輩、プリント持ちたかったんですよね? どうぞ」
プリントを渡される。
別に、持ちたかったわけではないんだけれど、否定するのも面倒なので、素直に受け取っておく。
「あ、ありがと」
「それでは、また会えることを楽しみにしています! 青山勇人先輩」
そう言うと、姫宮はその場から立ち去っていってしまった。
立ち去っていく姿を見送った後、ふと思う。
俺はいつ、彼女に名前を言っただろうか、と。