第7話 くまさんバーガーはピンチの味
くまさんバーガー事件の後、オレの周りの生活は一変した。
犠牲者となった兵士が、詰め所でよだれを垂らしながら「ゼフィー隊長の家には、この世のものと思えないほどうまい食べ物がある」と漏らしたせいで、噂を聞きつけた兵士が適当な口実を作り、家大挙するようになったのだ。
混乱を収めるためにやってきた兵士の口に片っ端からくまさんバーガーをねじ込んでいたら、「金を払うからもう一度食べさせてくれ」という嘆願がゼフィーさんに上がってきたらしい。
しかも、その人数は日増しに増え続け、ついに噂を聞きつけた商人や街の住人までやってくるようになってしまった。
当初、サリィに手伝ってもらいながら小銭稼ぎに屋台の真似事をしていたものの、日に作るバーガーが50個を超える頃には完全にキャパオーバーとなってしまったため、レシピを公開して代わりに使用料を取る事となった。
「ゼフィー様、お久しぶりでございます。この度は我がフィリップ商会をお引き立ていただき、誠にありがとうございます」
「ああ、よろしく頼む」
「あなたがイオリさんですね。わたくし代表をしておりますチューリ=フィリップと申します」
「河井伊織です。こちらとしても個人でどうにかする規模を超えていたので、よろしくお願いします」
ゼフィーさんの家の居間で、街の顔役である小太りの中年商人、チューリさんがホクホク顔で握手を求めてくる。ぱっと見、顔に特徴がなく、笑顔が人懐っこいだけの人だが、街屈指の商会の代表というだけあって、そこはかとなく大物のオーラを感じる。
レシピの提供は希望者が殺到するのがわかっているため、フィリップ商会が一括で管理する事でまとまっている。ちなみに、詳しい契約内容などはゼフィーさんに丸投げした。
商人ではないオレにはこの世界の商取引なんてわからないし、信用も後ろ盾もないオレよりも、ゼフィーさんの方が代理人として契約してくれた方が何万倍も安心だ。
もちろん、ゼフィーさんが裏切られる可能性も無くは無いのだが、その時はまあ、自分の人を見る目がなかったと思って諦めよう。
「それで、これが噂の料理ですか」
「くまさんバーガーです」
大挙する兵士に対応するため、くまさんバーガーは試作品の一口サイズから、通常の黒パンサイズに変わっていて、ひとつで小腹が満たせる程度のボリュームがある。
「ほう、見た目だけでなく名前まで可愛いですな。頂いても?」
「どうぞどうぞ」
「ふおぉぉぉぉっっ!!! こ、これはぁぁぁっっっっっっっ!!!!!!!!!!」
くまさんバーガーを食べたチューリさんは、謎の咆哮を上げながらのけぞる。しかし、さすがは大商人というべきか、そこから気力で持ち直し姿勢を正して不敵に笑った。彼の頬からは一筋の汗が流れていた。ただハンバーガー食べただけなのに、なんだこれは。
「……失礼しました。いやはや、噂に違わぬ味ですね。これなら街、いや国の飲食店すべてを掌握することも可能でしょう」
「いや、そんなにすごいものじゃないし。というか、どちらかと言うとオレは屋台で気軽に出してもらいたいんですけど……」
チューリさんは恐ろしいことを口走っているが、オレとしては飲食文化で国家征服とか御免こうむる。レシピを公開するのは純粋に自分で作るのが面倒になっただけだし、さらに言えばもっと食事にバリエーションが欲しい。いくら美味しくてもハンバーガーが毎日続けば飽きてくるものだ。
「なるほど、話に聞いていた通り欲がないお人だ」
「そう……なんですかね? オレとしては美味しいものが手軽に食べたいだけなんで、早く誰でも食べられるようハンバーガーが広まって欲しいんですよ」
一瞬キョトンとしたあと、チューリさんは破顔し、腹を抱えて笑い出した。何か変なことを言ったのだろうか。
「ははははっ、なるほど!! こんな可愛く美味しいものを作っておきながら、独占しようともしないとは。イオリさん、あなたのご意向、承知いたしました。……実は、わたくし美食には目がありませんもので、今日の商談も半分は噂の料理をいち早く食べたかったからなのです。
確かにこれほど美味しい物を一部の上流階級だけで独占するなどもったいない。素材はありふれたものしか使われていませんし、庶民でも味わうことが可能でしょう。レシピの使用料は価格を抑え、広くこのくまさんバーガーがトレリスの街の、いや、この国の文化として広まるよう、わたくしもお力添えをさせていただきます」
よかった。この人は信用できそうだ。短期的な利益だけでなく、その先のお金で買えない利益まで考えている。いたずらに間口を狭め、せっかくやってきた食事改革のチャンスを潰すような真似はしないだろう。
「よろしくおねがいします。オレは他にも色々な料理を食べたいんで」
「ほぅ、ということは、まだ他にもレシピがあると。……イオリさん、今後とも我が商会をご愛顧ください。ゼフィー様も何卒」
「ああ、チューリ殿、私からもよろしく頼む」
チューリさんが去ると、張り詰めていた緊張の糸が切れ、オレは机に突っ伏し体中の芯がなくなるほど脱力した。
「ふひゅー、緊張したー。これで一安心ですね」
「何を言っている。イオリ、お前は気づいていないかもしれんが、とんでもないことになったんだぞ」
「?」
安堵の表情でくつろぐオレに対し、ゼフィーさんは神妙な面持ちで何やら思案している。その真意がわからず首を傾げていると、噛んで含めるように説明してくれた。
「あのなぁ、街屈指の豪商が一目置くほどの情報を持つと、先程証明されたんだぞ。お前は金の湧く泉ということだ。お前をさらい、拷問してでもそのネタを欲しがるものが遠からず出てくるだろう」
「えっ、」
「当面、街に出るときは必ず、家にいる時もできる限り可愛い姿でいることだ」
「えぇ……」
面倒を回避するためにチューリさんに丸投げしたはずなのに、余計に面倒な状況になったらしい。冗談だと思いたいが、ゼフィーさんは真剣そのもの。オレは当面男に戻れないようだ。今日も口を酸っぱくして可愛い姿で居ろと言われていたが、これを見越しての事だったのか。
「こうなればただ可愛いだけでなく、身を守る術も覚えるべきだろう。その気があるなら鍛えてやる」
「あのー、鍛えなかった場合、どうなるんでしょう」
「……サリィは私が死んでも守るが、お前は今すぐとは言わないが、十中八九、五体満足ではいられなく……」
「特訓、よろしくおねがいします!!!」
こうしてオレの強化計画が食い気味に決定してしまう。オレは平穏に生活したいだけだったのに、ブラックな会社勤めよりもデンジャラスな世界に足を踏み入れてしまったらしい。
どうしてこうなった!!
次回
金銭的な生活基盤を得た代わりに、デンジャラスワールドへ足を踏み入れた主人公。
生き残るため、そして美味しいごはんを食べるため、己の可愛さを磨く決意をした。
伊織の命をかけた特訓が始まる――