第39話
「イオリ、姉さまは……」
宿に帰ると、不安そうなナールくんが駆け寄ってくる。
君の部屋のベッドで丸まっていた、とはさすがに言えないので簡単な様子だけ伝えるにとどめておく。
オレですらフォクさんに対する評価を数段下げたのだ、いくら姉思いのナールくんでも、アレはドン引きするだろう。
「大丈夫、ちょっとした過労なだけだったよ。クレープも全部食べて美味しかったって」
「そう、良かった」
安堵したナールくんはほっと胸をなでおろしたのだが、またすぐ顔をあげて尋ねてきた。
「……ねえ、なんでイオリはボクにこんなに優しくしてくれるの? 姉さまに逆らってまで。イオリは奴隷なのに、こんな危険なことをして」
確かにペスさんと違い、オレたちの付き合いは短い。しかもオレはフォクさんに買われた奴隷だと思われているのだ。ナールくんが不思議に思うのも当然と言える。しかし、答えは決まってる。
「なんでって、そりゃあ……オレたち友達だろ。はじめに言ったじゃないか。友だちになろうって。困ってる友達がいたら助けるのは当たり前さ」
フォクさんはオレに仕事として依頼をした。それは、オレの能力を評価してくれたからだろう。
しかし、ナールくんは友だちになろうと差し出したオレの手を握り返してくれたし、その後も誠実に友達として付き合いをしてくれているとオレは思っている。
日本でコミュ障オタクだったオレにはほとんど友人と呼べる人間はいなかった。しかし、だからこそ数少ない友人は大切なものだと知っているし、この世界でも友情の大切さは変わらないと信じている。
「友……達……ボク頑張るよ!」
「うん? ああ、頑張れ?」
オレの答えに、ナールくんは嬉しさと落胆が混じった複雑な顔をしていたが、何かを思い直し首を振ると、力強く拳を握って宣言した。
よくわからないがやる気があるのは良いことだ。
「あと、オレのご主人さまは正確にはフォクさんじゃなくてタトラさんだから、フォクさんとの間でもし何かあったとして、そんなに危ないことにはならないから安心していいぞ」
「えっ!! そうなの!?」
ナールくんが気にしているようだったのでついでに、と言った気軽な感じでそう付け加えておく。
ここでタトラさんの奴隷でもなくて、獣人の国で旅をするのに便利だからなんちゃって奴隷をしている事まで言うと混乱しそうだし、あまり関係ないからいいか。
「タトラさんが行商の間のバイト……というか小遣い稼ぎに使用人をしてたから、奴隷のオレも一緒に使用人になったんだ。たぶん資金が貯ればまた旅に出ると思う」
……この話はナールくんに言おうか迷ったが、フォクさんとナールくんの様子を見るに、フォクさんからの依頼はもうすぐ解決するんじゃないかと思っている。その先に待つのは別れだ。
急にいなくなるよりは、ナールくんにはきちんと話しておくほうが良いとオレは判断した。
「嘘っ! 嘘だっ!! イオリ行かないでよっ!! ボク、ボクは……っ!!!」
意外にもナールくんは今までのどの話よりも狼狽し、オレに縋り付く。
オレたちは思った以上にナールくんの中で大きな存在になってしまっていたようだ。愛らしい少女の姿の美少年に泣きながら懇願されて心が痛むが、じゃあずっと一緒に居られるのかと問われれれば、答えは否だ。
オレはすでにトレリスの街を第二の故郷だと思っている。一時的に旅に出ることはあっても、最後に落ち着けるのはやはりあの街だけだろう。
オレの胸に顔をうずめるナールくんの髪を撫で、謝罪する。
「今まで黙っててすまない。ナールとの別れが辛くて言い出せなかったんだ」
「そんな、ならボクも一緒につれてってよ!! イオリと一緒ならボクはどこだって……」
迷いのない真っ直ぐなナールの視線は眩しい。だが、オレはその願いに応えることは出来ない。
「ダメだ、前も言ったけど、旅商人は危険なんだ。はっきり言う。今のお前じゃ足手まといにしかならない」
「っ!!」
一瞬ナールが泣き止み息を呑む。突き放した言い方になるが、本当に旅は危ない。いつどんな可愛いモンスターが襲ってくるかわからない状況で、もしかしたらオレたちは自分の身を守ることで精一杯になるかもしれない。たとえば、スライムの大群に襲われるような事があれば、オレたちだって無傷とはいかないだろう。
タトラさんはその覚悟をして旅商人をしているし、フェべと言う足を用意して万が一のための備えをしている。
だがナールくんには身を守る手段も持たない、どんなに可愛くてもまだ少年なのだ。
「オレたちはそのうち旅に出る。でもアズマの街に立ち寄る事だってまたあるさ。だから……」
「もういいよっ!!!」
オレの言葉を最後まで聞かず、ナールは部屋を飛び出してしまった。
「ナールっ!!」
走り去るナールを追いかけようと部屋を出た時、脇から声をかけられた。
「……あんたら、行ってしまうのかい?」
「ペスさん……」
扉の影に、申し訳無さそうな顔のペスさんが立っていた。表情とその言葉でどこから聞かれていたのかは察しが付く。
「すまないね、聞くつもりはなかったんだけど、フォク様のご様子を聞きたくてさ」
「そんな、気にしないでください。今すぐじゃないですけど、たぶんそう遠くない時期にまた旅に出ると思います」
「そうかい。それは寂しくなるねぇ」
しんみりとつぶやくペスさんの言葉に、オレはただ頷いた。
「あの、ナールのこと頼んでいいですか? 今オレたちじゃ誰が行っても傷つけてしまうから」
「ああ、任せときな。ぼっちゃんだって混乱しているだけさ。落ち着いて話せばきっとわかってくれる」
ペスさんはまるで子供をあやすようにオレの頭を撫で、優しく大丈夫と言ってナールくんを追いかけて行った。
ひとりになるとどうにも心が落ち着かず、オレは宿の外に出て夜空をぼーっと見上げていた。この世界の夜空は綺麗だ。街にそれほど明かりも無く空気が汚染されていないせいか、どこまでも満点の星空が広がり瞬いている。
いつの間にかトレットが側に来ていたが、珍しく何も言わずふたりでただただ夜空を見上げていた。
次回
主人公の言葉に少年はうろたえ心を乱す。
しかし、それ以上彼が少年にかけられる言葉はなかった。
少年の、そして狐獣人の出した答えとは――