第37話 ナールくんのクレープ
「じゃあ、クレープの作り方を教えるぞ」
「はいっ! 先生!!」
オレの言葉にナールくんは元気よく返事をした。勉強はほんの数日しか教えていないというのに、タトラさんといい、ナールくんといい、すっかり生徒が板についてしまっている。
地頭の良さでは数段上だろうナールくんにずっと先生扱いされてると、居たたまれない気分となるのでやめてほしいのだが、教えてもらう立場だからとナールくんは譲らず、根負けした形で今は受け入れてしまっている状態だ。
燃料役、もといトレットに火を入れるよう合図をして、オレはクレープ作りの見本を見せる。
「生地をお玉ですくって」
「うん」
「こうして鉄板に薄く伸ばす。なるべく丸く均一になるようにな」
「はい!」
「そして焼き上がったら生地を剥がして具のフルーツを盛って、生地を丸める」
「ふむふむ」
「最後に仕上げとして……美味しくなーれ、美味しくなーれ、もえもえキュン♥ これで完成だ」
「……あの、イオリ先生……最後のは?」
今まで熱心に聞いていたナールくんが、最後の美味しくなる魔法にツッコミを入れてきた。そんな純粋な目で見られると死にたくなるからやめてくれ。
オレだってできればこんな事はしたくないんだ。
「これは美味しくなる魔法だ。ピンクのハートが出たろ? あれを当てると食べ物が美味しくなるんだ」
「そうなんだ……」
内心の動揺を悟らせないよう、真面目くさった顔で説明する。ナールくんは熱心に聞いてくれるのだが、逆にそれが忘れかけていた羞恥心を呼び起こして心のダメージが蓄積してしていく。
しかし、ここでやめるわけにはいかない。オレは心を無にし、自分を洗脳するように説明を続けた。
「……恥ずかしいかもしれないが、クレープを他の店よりも美味しくするためにはどうしても必要なことだ」
「うん。でも……ボクに出来るかな?」
「大丈夫。身体の中の可愛さを集めて、手のハート型から放出させる感じで美味しくなれーって、思いを込めればお前なら出来るはずさ」
「やってみる!」
ナールくんは拳を握り気合を入れると、見様見真似でポーズを取りながら呪文を唱える。
「お、美味しくなれー、もえーもえーきゅっ、きゅんっ!!」
顔は真っ赤だし、たどたどしいポーズではあるが、ナールくんの手から小さなピンクのハートがぽわんと生まれ、出来上がったクレープに当たって弾けた。
「ちゃんと出来たのかな?」
「ああ、最初から魔法が使えるなんてすごいぞ」
「ほんと!?」
不安そうなナールくんの頭を撫でてやると、表情を崩し、はにかんだ。実際、トレットの話によれば人間で魔法を使える人間は貴重だって話だから、ナールくんはかなり魔法の才能があるってことだろう。もしかしたら火や水も練習すれば出せるようになるかもしれない。
街で商売をするにしてもあの魔法は便利だから、今度教えてみよう。
「あとは照れがなくなればもっと美味しくなる魔法が使えるはずだけど、それは練習あるのみだな」
「そっか……イオリはいつもどんな事を考えて魔法を使ってるの?」
「ぐっ! ……食べてくれる人のことを考えて、美味しく食べてほしいって、それだけだ」
「イオリはすごいねっ!!」
「そうでもないさ……」
人は時として自分にも嘘をつかなければ生きていけない。純真な少年――今は少女だけど――を前に、オレは自分が汚れた大人である事を再認識させられた。
オレの心の傷を別にすれば、これで準備は完璧。ありがたい事に屋台の前にはちらほらお客も集まって来たので、開店してしまおう。
「タトラさん、ペスさん、開店するからお客の整理と会計をお願いします。オレとナールはクレープどんどん焼いていくんで!」
「はいっ!」
「はいよっ!」
◆◆◆
「おまたせしました! 次の方注文どうぞー」
ひっきりなしに続くお客に片っ端から出来上がったクレープを渡していく。
やはり、美味しくなる魔法を使いこなせる人間がいるというアドバンテージは大きい。他のクレープ屋にもお客は入っているが、オレたちの店は列が途切れない盛況っぷりとなっていた。
これだけ忙しいと魔法のポーズが恥ずかしいとか考える暇もなく、次々とやってくるお客をさばいていると、見たことのある犬耳のお姉さんが店先に立っていた。
あれ、どこで会ったんだろうか。こんなに美人で可愛い人なら憶えてても良いはずなんだけど。
ワンピースの犬耳お姉さんは、可愛らしい姿とは裏腹に、その佇まいは鋭くまるで戦闘のプロのような……
「あっ、フォクさんの護衛のっ!! ……何か用ですか?」
思い出した。鎧を着ていないので一瞬誰だかわからなかったが、フォクさんの護衛をしていた犬耳お姉さんのひとりだ。
これは、好き勝手をするオレたちに業を煮やしたフォクさんがついに実力行使に来たという事か。そう思って身構えていると、以外にも犬のお姉さんは淡々とクレープを注文してきた。
「クレープをくれ、フルーツ大盛りで頼む」
「……へっ、ナールを連れ戻そうとか、そういう話なんじゃ」
「今日は非番だ。もしかして、フォク様に仕えるオレはダメか? それなら諦めるが……」
護衛の犬のお姉さんは、あからさまにがっかりした様子で耳を垂れる。
何事かとつい身構えてしまったが、お客と言うなら話は別だ。
「そんな事無いですよ、お客としてなら大歓迎! ナール、クレープひとつ。フルーツ大盛りで」
「はいっ! おいしくなーれ、もえもえきゅんっ!! ……どうぞ」
注文を受けたナールが、クレープに美味しくなる魔法をかけて。犬のお姉さんに手渡す。
「ありがとう……うまいな。こんなにうまいものが世の中にあるとはびっくりだ」
クレープを食べるお姉さんは無表情だけれど、尻尾だけブンブンと振っている様子から察するに、とても喜んでいるらしい。
フォクさんの護衛を出来るほどお姉さんは可愛いのだけれど、クールで表情に乏しいため冷たい印象があったのだが単に顔に出ないタイプなだけらしい。
「ありがとう。また来る」
犬のお姉さんはまたたく間にクレープを食べ終わり、指についたフルーツの汁を舐め取って去ろうとする。
ナールくんの事に一切触れず、あまりに自然に去ろうとするので、ついこちらから尋ねてしまった。
「あの、……フォクさんはどうしてるんでしょう?」
「フォク様なら今屋敷で寝込んでいる。「ナールに嫌われた。生きていけない」と、うわ言のようにつぶやいて何も食べようとしないらしい」
……思ったより大変なことになってたーっ!!!!!!
次回
ようやくアズマの街でクレープ屋を開いた主人公たち。
しかし、対立していたはずの狐獣人は悲嘆に暮れ倒れてしまった。
姉の不調に少年は何を思うのか――