第32話 紙一重ののじゃロリエルフ
「基本は九九……1から9までの掛け算を全て暗記すれば、あとは筆算で簡単に掛け算の答えが出せるんだ。だから、初めは九九の暗記からだな」
オレは目の前に座る二人に向かって九九の説明を始めた。
家事の分担問題はペスさんが快く引き受けてくれたので、オレたちは早速勉強を開始した。
勉強部屋は、広さの問題からナールくんの部屋だ。ナールくんの部屋は必要最低限の広さしか無い使用人用の部屋と違い、部屋が複数あり、その一部屋だけでも使用人部屋の数倍は広いため人で机を並べていてもまだ余裕がある。
タトラさんの同席に関しても、「一緒に勉強できる人が居ると嬉しい」とナールくんが快諾してくれた。
「はいっ! イオリさんはどうやって暗記したんですか?」
「うーん、オレの場合は歌かな」
タトラさんが律儀に手を上げ質問する。
冗談で「先生に質問するときは手を上げてからするんですよ」と言ったらすぐさま定着してしまった。トレットが土下座を教えたときもすぐ使っていたし、新しい事好きなんだろうか。
九九の歌はたしか掛け算言えるかな? みたいな、一の段から九の段までを節に合わせて延々と羅列したものだが、試しに口ずさんでみたら案外すっと歌えてしまった。
小学生時代に習ってからまともに歌った事がなかったのに、ちょっと驚きだ。学校の勉強などほとんど憶えていないはずだが、人の記憶力は侮れない。
「それ教えて下さいっ!!」
「ぼ、ボクにもっ!!」
「じゃ、じゃあオレが歌うから、ふたりとも続けて歌ってみようか」
「「はいっ!」」
目を輝かせ身を乗り出すふたりに押され気味になりつつ、オレは一の段から歌い始めた。
ふたりとも吸収が早いし、この調子ならすぐに憶えてしまいそうだが、どうせだから九九の表も作っておくか。
高級感漂うお部屋が一気に子供の勉強部屋っぽくなってしまうが、少しの間だし来客もフォクさんぐらいしか来ないのだから問題ないだろう。
素材は適当ないらない紙……は無いんだよな。木の板でも加工して作ればいいか。
◆◆◆
「退屈なのじゃー!! 誰も遊び相手がおらんのじゃー!!!」
料理の準備をするオレに、トレットがぶーぶー文句を言ってくる。勉強会を開くようになって遊び相手を失ったのはオレのせいではないので、絡むのは止めてほしい。
「退屈って……じゃあお前も勉強するか?」
「ワシを誰だと思っておるのじゃ! 必要あるわけ無いじゃろ!! 大体、なぜ計算をするだけなのにそんな面倒な事をするのじゃ?」
たしかに、正確な年は知らないが普通のエルフよりもずっと長いこと生きてきたのじゃロリが今更九九を覚えた所で意味は無いだろうな。
エルフの村だとそんなに高度な計算を必要とする事なんて無いだろうし。
無駄とは思いつつ、計算を覚える重要性をオレはトレットに説く。
「面倒って、暗算で計算できたら便利だろ。例えば22かける44とか二桁の計算でも九九を覚えれば……」
「968じゃろ」
「えっ、……いやそうだけど、お前今計算したのか?」
ワンテンポ遅れて計算したオレは、事も無げに正解を即答したトレットに面食らう。
どう見ても当てずっぽうで言った感じではない。あれ、こいつもしかして……頭いいのか?
「のじゃ」
絶妙のタイミングで首肯するトレットは中々にムカつくドヤ顔である。
今までクラゲ並の脳みそしか無いと思っていたトレットの知能の高さに動揺しながら、オレは努めて冷静に話を続ける。
トレットが頭が良い事と、勉強を否定する事は別なのだ。
「い、いや待て。百歩譲って暗算でできたんなら憶えたら便利だって事はわかるだろ?」
「こんな事、わざわざ憶える必要もないじゃろ」
……あ、これ知ってる。天才の理論だ。頭に超高性能計算機が入ってて、数字を言われると無意識に答えが出るタイプのやつだろ。
たちが悪いことに自分の能力の凄さがわかって無くて、歩くとか手で物を掴むのと同レベルの事と捉えているから、勉強してると「なんでわざわざ歩き方なんかを勉強してるんだ?」みたいに言うんだよな。
「普通、計算ってのは数字を言われても答えが勝手に出てこないんだぞ?」
「……そんな訳無いじゃろ」
トレットは衝撃の事実を知った、みたいに愕然としているが、今までまわりのエルフはツッコミを入れなかったんだろうか。
「お前、良くそれでまわりから何も言われなかったな……」
「当たり前じゃろ。ワシは森の賢者と謳われたエンシェントエルフじゃぞ。崇められこそすれ、何も咎められる事など無いのじゃ」
ああ、初めて会った時、そんな事を色々言っていたな。森の賢者とか、無駄に長生きをしたうざい年寄りって意味じゃなかったのか。エルフの里でのアレな視線と尊敬が入り混じったなんとも言えない扱いの理由がわかりたくないけど、少しわかってしまった。
「そうか……というか、そんなに計算できるなら、露天の時の売上計算とかなんで手伝わなかったんだよ。お前なら一瞬でできただろ」
「面倒なのじゃ」
こいつ、マジで自分の欲求に忠実だな。ここまで行くと逆に感心する。この一件が落ち着いて露天をする時には会計も押し付けよう。オレはそう固く心に誓った。
次回
勉強を教える事となった主人公。
しかし、生徒はものすごい勢いで成長する。
伊織の教師としての面子は保たれるのだろうか――




