第31話 異世界数学事情
この世界と日本とのギャップに関しては随分慣れたつもりだったが、まだまだ完全に馴染んでは居ないようだ。
ポロッとこぼしてしまった九九の情報に、ナールくんは興味津々に食いついてきている。
まるでスーパーマンを見るようなキラキラした眼差しがあまりに眩しすぎて、オレはつい耐えきれずナールくんに提案してしまった。
「ナールも九九、憶えてみるか?」
「ホント!! ホントに良いのっ!!!」
本来であれば、日本での可愛さに関係する知識以外はあまり広めたくないが、これぐらいなら問題ないだろう。数学も使い方によっては世界のバランスを変えてしまうけれど、九九程度ならさすがに世界が滅ぶこともないだろうし。
ナールくんは新しいおもちゃでも貰えるかのような喜びようだけれど、暗算の掛け算ってそんなにすごいことだろうか? 一応後でタトラさんに確認だけしてみよう。
「ああ、でもまず今日の仕事を終わらせないといけないから、その間は他の勉強でもしててくれ。そう時間はかからないと思うけど」
「わかった!! 待ってるからねっ!!」
◆◆◆
「あ、いたいた。タトラさーん」
ナールくんの部屋を出て廊下を歩いていると、曲がり角にしましまの尻尾が揺れていた。
オレの声に尻尾が消え、くるっと回転してタトラさんが顔を出す。
「イオリさん?」
「おや、どうしたんだい?」
ペスさんも一緒か、調度良い。一般的な数学知識についてと、ついでにナールくんの勉強に付き合うから役割分担について相談もしてしまおう。
「ナールくんが勉強を始めたじゃないですか。それで、オレが計算を教えることになって」
「えっ、お前さん魔法だけじゃなくて計算もできるのかい!?」
オレの言葉にペスさんが驚く。まあ、この世界だと義務教育も無いし、ちゃんと教育を受けていない人は足し算も怪しかったりするから、オレは特殊と言えば特殊なのかもしれない。
「計算と言っても、簡単な四則演算……足し算引き算、掛け算割り算だけですけどね」
「掛け算って、それは十分すごいと思うけどねぇ」
教育を受けてない側のペスさんとしては、やはり掛け算レベルでもすごいことに入ってしまうらしい。ペスさんはお手伝い一筋、家事のエキスパートな訳だからしょうがないか。
本命のタトラさんに、九九について尋ねてみた。旅商人とは言え、商人は商人。おおよその一般的な商人の知識レベルが分かるはず。
「そんな訳で、ちょっとタトラさんに聞きたいんですけど、タトラさん、九九って知ってます? 暗算で掛け算する方法なんですが」
「え、そんな方法があるんですか!?」
あれ、思った以上にびっくりされたけど、そんなにすごい事か? 確かにタトラさんより計算が早い自信はあったが、単純に年の差のせいだと思っていたんだが。こっちの世界に来て見た目は変わったが、
「オレ、いつも露天の会計で使ってたと思うんですけど……」
「すごく計算が早いからすごいなって思ってました。商人にも計算術はあると思うんですけど、普通は各家の秘伝だから……」
あー、そうなるのか。確かに計算速度のアドバンテージは商人にとってすごい武器になるんもんな。
「あ、あの、もしよかったらなんですけど、あたしにもその……」
オレがひとり納得していると、タトラさんが言い出しにくそうにもじもじしている。トレットと違い、タトラさんがオレに直接的なおねだりをするのは珍しいが、普段知る事の出来ない計算の秘伝を覚える機会があるっていうなら知りたくなるよね。
秘伝があるって事は、九九程度なら多少広まったとしてもそれほど大きな問題は起こる事も無いだろうし、ナールくんに教えるついでに人数がひとり増えるぐらいなら大丈夫だろう。
「オレは構わないですけど……ペスさん、良いですか?」
一日中ではないにせよ、人手が一度にふたりも居なくなってしまってはペスさんの負担が増えてしまう。しかし、オレの心配をよそに、ペスさんはふくよかな腹をポンとひと叩きして快諾してくれた。
「もちろんさっ! もともと家事はひとりで回してたんだ。あんたたちが坊っちゃんのために頑張ってくれるってんなら遠慮はいらないよっ!」
「ありがとうございます。料理はちゃんと作りますし、水汲みぐらいならトレットを使えばいくらでも出るんで」
「そりゃ大助かりさっ! あれが一番大変だからねぇ」
あいつのことだ、どうせ「勉強などつまらないのじゃー!」とか言って勉強はしないだろうし、ナールくんの相手もオレたちがする事になるのだ。少しぐらい酷使しても食事の増量を人参として吊るせば喜んで水を出すだろう。
そんな訳で、唐突にオレとナールくん、タトラさんによる勉強会が開かれる事となった。
次回
意図せず異世界知識を使ってしまった主人公。
勉強会が開かれる中、残されたのじゃロリエルフは水道代わりに酷使されてしまうのか。
伊織の知識が、獣人の娘と少年にもたらすものとは――




