第30話 台所歓談
「むう。つまらんのじゃ」
食事の下ごしらえを黙々と進めているオレの側でトレットがふてくされている。
最近は食事時以外はほとんどナールくんにくっついて遊んでいたはずだが、珍しいこともあるもんだ。喧嘩でもしたのだろうか。
この年齢詐欺ロリエルフは精神年齢が子供に近く子供とすぐに打ち解ける事ができるが、裏を返せばそれは子供と同じ目線で争うことも可能という事にもなる。
例えばおやつの量が少なかったとか、くだらない事で喧嘩をしてもおかしくはない。いやまあ、実際に子供と喧嘩をしている所を目撃した事は一度もないが、可能性だけで言えばトレットならやらかしかねないとオレは信じている。
理由は定かではないが、もし本当に喧嘩したのなら早く仲直りしたほうが良い。
オレは念の為トレットに確認してみる。
「おい、まさかナールくんと喧嘩でもしたんじゃないだろうな? 大概の場合お前が悪いんだから、自分が悪いとちょっとでも思ってるならちゃんと自分から謝るんだぞ」
「はぁ? バカを言うでない。お主でもあるまいし、そんな事を子供相手にワシがするはず無いのじゃ。ナールが勉強をしたいと言い出して部屋を追い出されたのじゃ」
呆れた顔で否定された上、強烈なカウンターを食らってオレは思わずうめいてしまう。ケモミミ騒動の一件はたしかにオレのせいだが、不可抗力の部分もあり、不幸な事故とも言えるんじゃないだろうか。それに、ナールくんはオレと話して元気になった訳だし、プラマイゼロと言えると思う。そうだ、うん。そうに違いない。
「ぐぅっ、……でも、それならいい事なんじゃないか? なんでお前不満そうなんだよ」
「ワシは遊びたいのじゃー! ナールは無理に遊びに誘うと怒るのじゃ!! ひとりで遊んでもつまらんではないか! もうお主で良いから一緒に遊ぶのじゃ!!」
「馬鹿言うな。オレだって仕事中なんだよ。お前にかまってる時間なんて無いわ!」
思ったより事態は深刻じゃなさそうだし、なんだかわからないが、せっかく自分のやりたい事をナールくんが頑張っているなら見守ってやろう。
適当にトレットをあしらいつつ、野菜を刻んでいるとタトラさんがやってきた。
汗をかきつつだらけている様子を見るに、ひと仕事終えて休憩に来たのだろう。オレは作り置きしてあるお茶をカップに注ぎ、タトラさんに差し出した。
「お疲れ様、お茶どうぞ」
「ありがとうございます! あー、生き返るー」
「きゅぴー!」
「マオも来たのか。ほら、お茶だぞ」
タトラさんにお茶を出していると、どこからかマオもやってきてお茶をせがんだ。
最近たまに居なくなってるんだが、こいつ、何してるんだろう。元魔王とはいえ、今は封印されて可愛い手乗りサイズのドラゴンになっているわけだし、良からぬことを考えている訳ではないと思うが。
お茶を一息で飲み干したタトラさんは、そのまま椅子に座り込んでしまった。マオもタトラさんに倣ってテーブルでだらけている。
なんとなく台所がたまり場になってしまっているが、作業の邪魔にならないのなら気にする事もないか。
テーブルに身を任せたタトラさんが、足をぶらつかせるトレットを見て耳を立てた。
「あれ、トレットちゃんなんでこんなところに?」
「ナールに追い出されたのじゃ。急に勉強すると言いだしおったのじゃ」
「へー、そうなんですか。あたしも突然ナールくんに「どうしたら商人になれる」って聞かれたんですよね」
ナールくんにはタトラさんが屋敷で働く前、旅商人をしていたとごまかして……と言うかほぼ真実を教えているので、質問相手としてタトラさんを選ぶのは道理と言える。
オレとトレットは専門外だし、ペスさんは使用人、フォクさんは商人だが、やはり実の姉には聞きづらいもんな。
しかし、という事はナールくん商人になりたかったのか。やっぱり大商人の血を引くと商売をしたくなったりするのかもしれない。
姉のフォクさんと一緒に『銀の尾先商会』で働かないにしても、商人になると言う目標があれば自然と自信もついて、結果としてフォクさんの依頼を果たせるかもしれない。もしナールくんが旅商人になる、なんて言い出したらフォクさんが絶望のあまり衰弱死しそうだけれど、その時は弟離れの良い機会だと思ってもらおうじゃないか。
「どんな事にせよ、興味が出ることは良いことだ。それで、タトラさんはなんて答えたんです?」
「やっぱり計算が早くて、物の目利きをするためにいろんな事を覚えるのが重要だって」
中々まっとうな答えだ。……その勉強の結果、タトラさんは獣人にほとんど需要のない可愛い雑貨を扱う旅商人になって貧乏生活をしていた訳だが、突っ込まないのが優しさというものだろう。
「じゃあ、ナールくんは今商人になる勉強の真っ最中って事ですね」
「トレットちゃんの話を聞くと、そうかも知れないです」
「ではずっと遊べんではないか! いやじゃー、ワシはもっと沢山遊びたいのじゃー!!」
「それぐらい我慢しろよ」
「いーやーなーのーじゃー!!」
足をばたつかせ駄々をこねるトレットを無視し、オレはナールくんの息抜きにお茶の差し入れでもしようかと、準備を始めた。
◆◆◆
「ナール、入るぞー」
「え、イオリ!? ……良いよ」
お茶とお茶請けのマシュマロをお盆に乗せ、オレはナールくんの部屋に入る。
オレの腹時計ではそろそろおやつ時なので、息抜きにはちょうど良いタイミングだろう。
机に向かっていたナールくんは、少し落ち着かない様子でオレを出迎えてくれた。
机には紙とペンが置いてあり、まさに勉強真っ最中といった感じで、オレには随分と縁遠くなってしまった行為に懐かしさを感じてしまう。
「おー、本当に勉強してるんだな。関心関心」
「どうしたの?」
年寄りくさいと自分でも思うが、つい昔を思い出し、ひとり勝手に頷いてしまった。
ナールくんは急に来て謎の頷きをかますオレを困惑して見つめてくる。
「勉学に励む少年に、お茶とお菓子の差し入れだ。頭を使うと甘いもの欲しくなるんだろ。ちょっと休憩しないか?」
「ありがと。美味しい……このふわふわのお菓子食べると頭がほわーってなるね」
オレがティーポットを掲げでみると、ナールくんはカップとお菓子を受け取って、早速マシュマロを頬張った。疲れた脳に糖分が染み込んだ様子で、ナールくんはほっくりと微笑む。
「頭を使うと特にな。で、今は何してたんだ?」
「算学の勉強」
「ほうほう。あー、掛け算か。難しいだろ」
机を覗くと、何度も計算し直した形跡が見受けられ、苦労のほどがわかる。
「イオリはわかるの?」
「この程度ならな。ほら、ここは6かける4で24だろ」
「……えっ! なんで計算機も使わないで答えが出せたの!?」
「そりゃあ、九九は必修で……あれ、無いのか?」
次回
少年の夢を知った主人公。
ふとしたアドバイスはこの世界には存在しない知識だった。
驚愕する少年に、伊織はどう応えるのか――




