第26話 小さな一歩
オレはナールくんの部屋の前に立ち、ノックをする。
「ナール様、食事の準備ができました」
「わかりました。ありがとうございます」
扉を開けて顔を覗かせるナールくんは、相変わらず度を越したバカ丁寧な言葉遣いを崩さない。マシュマロを食べていた時の笑顔はすでに無く、幸薄そうななんとも言えない表情をしている。
薄幸の美少年というのは傍から見ている分には絵になるが、対峙しているとどうにも気になってしまう。少しじれったくて、つい口を出してしまった。
「あの、ナール様」
「なんです?」
「オレたちに敬語なんて使わなくていいですよ。奴隷なんだし」
「ボクも奴隷の子供です。イオリさんと一緒だから……」
目を伏せ、申し訳無さそうにナールくんはそう答える。
うーん、このままだと埒が明かない。時間的な制限がフォクさんからあったわけではないが、ずっと屋敷の使用人をしているつもりもないので、オレとしてはなるべく早く解決したいのだが。
初日から踏み込んでしまうのはどうかと思ったが、ここは手っ取り早く距離を詰めてしまおう。
「あー、じゃあこうしましょう。これからオレたちに敬語禁止。オレも敬語は使いませんから。オレの事はイオリって呼んでください、オレはナールって呼ぶんで」
「え、でも……」
ナールくんはオレの提案に戸惑っているが、フォクさんとの会話であったような頑なさは無い。なら、このまま進めてしまおう。
「オレたちは一緒なんで……なんだろ? だったら、かたっ苦しいのはやめにしよう」
「は、はい」
「はいじゃなくて、「うん」で良いから。さ、行こうかっ! どうせだから一緒に飯を食べよう!」
「え、わぁ、イ、イオリさん!?」
「イオリだって言ってるだろ、ナール!」
オレはナールくんの手を引き、廊下を駆け出した。
◆◆◆
ナールくんを連れて台所に戻ったオレが、「ナールと一緒に夕食を食べる、あと敬語は禁止」と宣言すると、ナールくんとペスさんは戸惑ったけれど、タトラさんはすぐにオレに合わせてくれた。トレットとマオはそもそも初めから敬語もクソも無い。
「皆そろったし、仕上げをしないとな。……美味しくなーれキュンキュンッ!」
オレの手のひらからハートの光が飛んで皿に盛られた目玉焼きのせハンバーグに当たると弾けて消えた。
「それは何をしてるの?」
「ふふ、美味しくなる呪文だ。食べてみればわかるさ」
呪文を見たことのないナールくんが不思議そうに見てくるが、まずは食べてもらったほうが話が早い。
オレが促すと、皆ハンバーグを一口頬張った。
「おやまあ、これは!」
「すごい!!」
初めてオレの料理を食べるペスさんとナールくんが目を見開く。呪文をかけた料理は見た目が同じでも美味しさは段違いになる。いつも料理を作るペスさんにとっては特に不思議なようで、二口目からは注意深く使われている素材を確認しながら食べていた。
ナールくんもよほど美味しいのか、せっせと切り分けては小さな口にハンバーグを運んでいる。
ふたりの反応に満足していると、隣から珍妙な叫び声が聞こえてきた。
「ふぉぉぉっっっ!! やっぱりイオリの料理は美味しいのじゃー!!!」
「こらっお前、人の皿から勝手に取るんじゃない! 自分の分があるだろうっ!」
「ちょっとぐらい良いではないか! ワシは食べざかりなんじゃ!」
「それ以上どうやって成長するってんだよこのエセロリエルフ!!」
見ると、自分の分を早々に食べ尽くしたトレットが、オレの皿からハンバーグをかっさらい口に放り込もうとする寸前。間一髪の所で阻止したものの、意地汚いのじゃロリエルフは虎視眈々とオレのハンバーグを狙ってくる。
ハンバーグを挟み、オレたちの間に火花が散った。気を抜けば一瞬で食われる、そんな緊張感の中、オレは片手でガードしながら、素早くハンバーグを処理していく。せっかくの高級食材を使ったハンバーグだと言うのに、ゆっくり味わう暇もないのか。
オレたちがハンバーグを巡って攻防を繰り広げていると、ふいにナールくんが笑った。
「ふふっ」
「どうかしたか?」
「皆で食べるご飯って美味しいなって。……母さまが亡くなってからボク、ずっとひとりでご飯を食べてたから」
「ぼっちゃん……」
ナールくんの言葉にペスさんが手を止め、しんみりと見つめる。彼女も色々と思うところがあるのだろう。とは言えこのままではせっかくの料理がまずくなってしまう。
沈んだ空気を壊すようにオレはわざとあっけらかんと告げた。
「じゃあ、これからは皆で食べればいい」
「え、でもいいのかな?」
「そりゃあ、一緒に飯を食べるぐらい問題ないだろ」
問題があるとすれば、自分より先にナールくんと食事をしたことにフォクさんが嫉妬しそうな事ぐらいだ。
「そっか……イオリ、この料理すごく美味しいよっ!!」
ナールくんはハンバーグを一口食べると、とびっきりの笑顔を見せてくれた。
次回
少年との距離を縮める主人公。
このまま閉ざされた少年の心を開くことができるのか。
少年に起きる変化とは――




