第9話 スライムとお約束
「もっきゅう! もきゅっ! もきゅきゅっ!!!」
オレたちの後ろから巨大な桜色のまん丸ゼリーがぷにょんぷにょんと追いかけてくる。
愛らしい足音? とは裏腹にその速度はかなり早く、全速力で逃げているにも関わらず、徐々に距離を詰められていた。
「うわぁぁぁっ! 死ぬ死ぬ死ぬ死ぬっ!!!!!!」
「イオリ速度を落とすな!」
「ゼフィーさん! どうにかならないんですか!!」
「どうにかできるならすでにしている!! 死にたくなければ死ぬ気で走れ!!!」
それ、助かっても死んでるんじゃ。などとつっこんでいる余裕もない。とにかく心臓が張り裂けそうだろうが、足が壊れそうだろうが、とにかく走り続けるしか無い。立ち止まったらそこで人生終了になってしまう。
「もっきゅ! もきゅっ!!!」
ぷにょん、ぷにょん
「あぁぁっ!!! 鳴き声まで可愛いな、ちくしょう!!!」
「当たり前だ!! スライムだぞっ!!!!」
――オレが不注意で踏んづけたスライムは、安眠を妨害された怒りのため薄水色の身体を桜色に染めると、雄叫びを上げて周囲に居たスライムを呼び寄せた。
集まったスライムたちは、激おこスライムの怒りが感染していくように次々と桜色になり、組体操でもするかのように重なり合うと、一匹の巨大スライムとなった。そして、巨大スライムが襲いかかってきて只今絶賛絶体絶命のピンチというわけである。
現実逃避気味に振り返ってみても妙案など浮かぶはずもなく、後ろを振り返らなくてもスライムの圧がすぐそこまで来ているのがわかってしまう。
「くっ、このままでは……イオリ、一か八かだが転べ!!」
「そんな事できるわけないじゃないですか! ゼフィーさんバカですかっ!!!」
オレの隣を並走するゼフィーさんが、とんでもないことを言い出す。ついに恐怖で正常な判断ができなくなったんだろう。オレだけでもしっかりしなければ。
サリィを残して死ぬんですか、などオレが励ましのセリフを考えていると、青筋を立てたゼフィーさんが問答無用でスライディングキックをかましてきた。
「良いからっ! 言う通りに!! しろ!!!」
「わぶっ!!!」
足を引っ掛けられ、受け身も取れずに情けない声を出しながら地面とキスをする。
迫りくるスライム!! もう、だめだぁぁぁっ! お父さん、お母さん、先立つ不幸をお許しください……。
「もきゅー!!!」
ぷち
「もっきゅもっきゅ…………」
……オレたちを轢いたことに気づかず、スライムはそのままどこかへ跳ね去っていった。
「ど、どうやら見逃してもらえたようだな。イオリ、息はあるな?」
「こんなの絶対おかしいよ……」
今度こそ本当に死を覚悟したが、オレたちはまだ生きていた。ゼフィーさんのスライディングにより倒れ込んだ場所は、ちょうどスライムの昼寝スポットであったくぼみ。
人がひとり入るには小さいが、くぼみの周囲はスライムが寝床にするだけあって、土がふかふかに掘り起こされている。この土がクッションとなり、オレたちは生き残ることができたのだ。ゼフィーさんはトチ狂ったわけでなく、これを狙っていたのか。後でちゃんと謝ろう。
「危なかったな。もう少し可愛さが足りなければ死んでいたところだぞ」
「あの、ゼフィーさん」
「なんだ」
「これ、どうやって起き上がりましょう」
「…………」
命拾いしたのはありがたいのだが、巨大スライムにプレスされた身体は地面にめり込んでびくともしない。
スライムの気配が完全に消えた後も、オレたちはしばらく地面と格闘することになった。
◆◆◆
「ふー、まったく、ひどい目にあった」
スライムとの戦闘で九死に一生を得たオレは家へと戻ると、真っ先に浴室へ向かい、ぼろぼろになった防具を脱ぎ捨てる。
せっかく用意してもらった新品の革鎧だったが、これはもうダメだろう。何か代わりの防具を見つけなければならないな。いや、いっそのこと可愛い装備を作ってしまった方が良いかもしれない。これも今後の課題だな。
「それにしても、これがオレかぁ……」
オレの目の前には可愛らしい少女がいる。つややかな黒髪に白い肌。サリィと比べても見劣りしないほどの目のパッチリした美少女で、一見、小さく華奢な身体は幼なさを感じさせるが、身体のラインは丸みがあって、慎ましいながらも確かな膨らみが主張をしている。
美少女は色々とポージングを変えながら、髪をかきあげたり、胸を寄せたり、キスのマネをしたりとオレの意のままに動いた。
「動きは自分なのに全く違う姿ってのは変な感じだ。でも、鏡あったんだよな」
目の前の美少女とオレは、薄い板越しに手を重ね合わせる。そう、この美少女が今のオレの姿なのだ。
街の市場をいくら探しても見つからなかった鏡は、意外にもゼフィーさんがあっさりと用意してくれた。脱衣所の前に立てかけられた姿見以外にも、現在の家には鏡台や手鏡まで完備されている。
鏡は当然高価な品らしいのだが、くまさんバーガーの契約がまとまった次の日にゼフィーさんが持ってきた。なんでも質に入れていたものを買い戻したらしい。
……前々からなんとなく思っていたが、ゼフィーさん騎士の割には庶民的と言うか、苦労してるな。サリィも小銭が稼げるとわかると、リボンの髪飾りやくまさんバーガー作りを喜々として手伝っていたし。
最近では食事の時の品数が1品増えたし、オレがいることで家計が圧迫したらなどと余計な心配をする事もなくなったので、チューリさんとの取引は、オレたち全員にとって幸運であったと言える。
「さて、と……」
ごく自然な風を装って、オレは服に手をかける。ここにはオレしか居ないのだから気にする事もないのだけれど、自分の身体とは言え少女の裸を見てしまうという禁忌に耐えきれず、独り言が多くなった。
リボンを取ってから服を脱げばいい? そんな馬鹿なことを言う奴はこの場には誰一人としていない!!
一度視線を反らし、上着を脱いで手ブラで隠してから鏡を見る。そこには羞恥と興奮が入り混じった面白フェイスの美少女。
「ふひ、……いかん。変な声漏れる」
マシュマロのような、などとよく言われるソレが、今まさにオレの手のひらに収まっている。謎の感動がオレの心を満たした。
異世界に来たことも、モンスターに襲われたことも、金のために命を狙われることも、女になったことも、全てがこのひと揉みでチャラになってしまうほど、この感触は素晴らしい。
もう少しこの至高の膨らみを堪能しようと手に力を入れようとしたその時、不意に扉が開いた。
「ふふふふーっん、……あ、イオリ」
見つめ合う視線と視線。気まずい沈黙が空間を支配し、まるで時が止まったかのような硬直の後、ゆっくりと音もなく締まる扉。
「終わったら、次、父上が入りたいんだって。じゃあね」
「きっ、きゃぁぁぁぁっっっ!!!!!!!」
努めて冷静なサリィの声が遠ざかっていく中、自分でも驚くぐらい可愛らしい悲鳴が脱衣所に響いた。
なんだこれは!! こういうお約束は普通逆じゃないか!!! 責任者出てこい!!!!
次回
運命に導かれ、お約束の被害者となった主人公。
閉ざされた彼の心は救われるのか、そして、壊れた防具の代わりは見つかるのか!!
イオリは新たな力をその手で生み出す――