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幕間三 『優しさの裏側』

 ローラ・クリームが生まれ育った孤児院から逃げ出したのは、12の秋だった。いや、もう冬だったかもしれない……ローラはそれを正確に覚えていない。出て行く前は必死だったし、出て行ってからも必死だった。それに、逃亡記念日をカレンダーに記入して毎年祝うような神経の図太さはローラにはない。

 しかし理由だけはハッキリとしている――怖かったからだ。

 いじめられていたというわけではない。むしろその逆。得体の知れない優しさが彼女は怖かったのだった。


 ――生まれ育ったと言っても、彼女は10歳より前の記憶がない。記憶喪失というやつだ。


 だから、理屈では理解できた。ギルフォードやグレイル、シュリエや院長が自分に暖かく接してくれるのは以前の自分と親交があったからなのだと。

 けれど、それでも。それでも何かが気持ち悪かった。

 自分の中にいる別の誰かに優しくされているようで。

 自分がその誰かのように振る舞えばいいのにと思われているようで。

 自分なんてその誰かと取って代わってくれと、帰ってきてくれと、懇願するような目で接されるなんて……怖すぎる。

 必要とされる度、愛される度、褒められる度、許される度、触れられる度、目が合う度、微笑まれる度……名前を呼ばれる度。

 恐怖を、不快を、戦慄を、疎外を、絶望を、嫌悪を、落胆を、感じていた。

 彼らはそんな感情を表に出さないように必死で覆い隠している。表面上、私を見てくれている振りをしている。

 でも、彼らの本当の気持はその奥にある。まるで何かで遮られているみたいに。

 その目に見えない薄いベールの名前を優しさと言うのだろうか?

 自分と彼らをどうしようもなく隔てているソレが、本音を決して見せないように相手を包んでいるソレが、優しさの正体なのだろうか?

 触れ合うことの中にはなくて、遠ざけることだけが優しさの本質なのだろうか?

 ぶつかり合えば壊れてしまう。石ころだって、ダイヤモンドだって、人の心だってそうだ。

 削られて摩耗して砕け散って……後に残るのは欠片くらいか。誰だって、そんなことは嫌だ。

 距離を取っておけば、事故は起こらない。

 その隔たりが人を救うこともある。

 ローラはそれを理解していなかったわけではない。

 否、むしろ。理解していたからこそ。


 ――下手くそばっかり、どいつもこいつも。


 その裏側の、最も見たくない部分が見えてしまって、彼女は怖くなったのだ。

 暖かくて優しいものの裏に、こんなものが眠っているだなんて。

 だったら、まだ初めから醜いほうがマシなのに。


 これ以上、あんなものは見ていられない。

『ここにいたらダメになる』。

 ローラが幼いながらそう思ったのは自然な流れだった。

 だから彼女は、孤児院の誰一人を家族だとも友人だとも思えないまま、そこを去る。出来るだけ遠くに行きたいと、トール王国からも出た。その後彼女は見知らぬ国でたった一人、盗賊として生きて行くのだ。


 それはきっと正しい判断だったのだろう。

 しかし、正しさはいつだって綻んでいる。

 この出来事は、彼女の心に大きな傷を残した。

 彼女は……自分が人に優しくすることすら、怖くなっていた。

 優しくされた相手が、気持ち悪いと感じている可能性が脳を過ぎってしまう。相手が言い知れぬ不快感を抱え込んでいるという想像に怯えてしまう。

 自分の裏に悪意が潜んでいないとしても、相手がその幻影を見てしまうかもしれない。

 いや、そもそも自分の優しさの裏側が綺麗なものだと、どうして断言できる?

 自らも気付いていないだけで、優越感や自己満足が滲み出ているかもしれない。あるいは、もっと他の醜い感情さえも。


 あぁ、それだったら、いっそのこと。

 誰にも優しくなんてせずに生きていこう。

 彼女が盗賊というジョブを選んだのは、ある意味で究極の消去法。消極的で甘えた理由。

 甘やかされて育ったまま、甘えたまま、甘いままで、裏の世界に飛び込んだ。

 後にそこをニノマエ・ユージンという男が突くことになるのだが……その少し前。

 彼女がニノマエと出会う前の行動に、彼女の全てが詰まっている。

 ローラ・クリームが、フレア・トールのために、服を交換した際。

 あるいは、そのなりすまし犯罪を思い付くより前、ただフレアの横で見張りをしていた時から。


『せめて彼女が目を覚ますまでは、何とか守ってやりたいと』

『起きたら顔を見られる前に消えよう』


 彼女は……フレアと目が合う前に、その場を去ると決めていた。


 何故か?そこまでの義理がなかったからか?帰り道を護衛してやるには力不足だったからか?

 いや、そうではない。もっと理由はシンプルだ。


 ――『ありがとう』から逃げたかった。


 感謝されるのが怖かった。だから、顔を見られないように逃げたのだ。





 ニノマエ・ユージンとフィーコ・アトライト、その二人に出会ったのは偶然だった。

 たしかに、この言い方は二つの意味で正確ではないかもしれない。

 ローラは自分から彼らに声をかけているし、彼らを選んだのには理由がある。

 しかし、その理由は偶然のようなものだ。

 ドアから近い席に座っていたから…………ではない。ユージンという男は適当にそう考えていたが、ローラという女はそこまで行き当たりばったりではない。そんなことで、他国で盗賊がやれるものか。

 ローラがユージンとフィーコを相談相手に選んだ理由。それは。


 男女二人組だったから、だ。


 男一人、あるいは男だけの集団に声をかけて、皇女であることを信じてもらえなかった場合、あるいは後々演技が発覚した場合何をされるか分からない。

 逆に女性だけのグループでは、本物のフレアを襲っていた二人組のチンピラに出会った時対処できるか分からない。

 だから男女二人組だは理想的だ。カップルなら自分をレイプしたりしないだろうし、男手もある。

 その程度の作戦を練る頭脳はローラにはある。そうでなければ、入れ替わりなど思い付くはずもない。

 ……しかし、そこ止まりだ。

 ローラ・クリームはツメが甘い。甘かった。

 そこから先、更に金をもぎ取る方策を練ったりしなかったし、バレた時の逃げ道も用意していなかった。

 結局のところ、それも同じ原因。すなわち、深読みは怖いという理由。

 深く考えて、相手を知って、そうしたら化けの皮が剥がれてしまうから。怖い裏側の本音が見えてしまうから。

 浅く、浅く、適当に、考えすぎずに。

 それが彼女のポリシーになってしまっていた……ユージン達に出会うまでは。


 そう、これらは全て、出会うまでは、のお話だ。










「知りたい」


 何を思って、フィーコが自分を生贄にしようなどと考えたのか。


「考えたい」


 どうすれば、地神とやらを倒せるのか。


「優しくしたい」


 無事に助けられたら、胸に顔を埋めさせて撫でてあげたい。


「ま、その前にまずは一発ひっぱたくけどね」


 生まれて初めて、人を友達だと思えた。

 ニノマエ・ユージンもフィーコ・アトライトも、打算で人に優しくする。

 嘘があって、裏がある。けれど、気持ち悪くない。

 ようやく気が付いた。ギルフォード達の優しさの裏側がずっと怖かった理由に。

 それは、歪んでいたからだ。彼らの本音と、ローラへの態度のズレ。その歪みが恐ろしかった。見ていられないほどに。

 しかし、ユージンは違う。彼は自分のことしか考えていない。自分のために人に優しくすることもあるというだけだ。だから、どこまでもズレはない。

 それが何よりも……心地良い。

 互恵的利他行動。その優しさは、怖くない。


「そうよ……これは、私のため」


 自分のために。

 自身のために。

 自己のために。


「私が、フィーコを助けたいから。フィーコに貸しを作ってやりたいから、助けるだけなんだから」


 口角を吊り上げたその表情は、いかにも悪人然としていて。

 誰も彼もをビビらせるような、誰にもビビっていないような、そんな顔をしていた。


































「あ、これは無理」


 ローラは一瞬でそう結論付けた。

 あくまで偵察のつもりで、まずは敵を知ろうと地神の元を訪れた時点で、あっさりと敗北を悟ってしまったのだ。


 人は何を神と呼ぶ?

 それは天上の全知全能であったり、あるいは山や海などの自然であったり、永く使われた物に宿るなんてこともあるか。

 それらはバラバラに見えるが、ただ一つ共通することがある。

『測り知れぬ』ということだ。

 人は、自らの全霊を以ってしても、なお想像の上を行くものに対して神と名付ける。


 では、地神は?『神』を冠するモノである、地神はどうか。

 当然、その有り様は規格外だ。

 まず単純なサイズからして、ローラの予想を大きく上回る。

 視界に広がるのは、首。しかしただの首ではない。その太さは大の大人を軽く飲み干すことすら容易い。というより、まるでそのためにここまで発達したかのようにさえ見えた。まるで丸太……否、むしろ巨木そのものか。人の立ち向かえる大きさでないことはひと目で分かる異様。ただの動かない木だったとしても、切り倒そうと思えば何十人もの人数で力を合わせねばならないだろう。

 それも、一本ではない。六。六本だ。

 人を呑むだけの首が、数にして六。つまり、六人の人間を殺すのに瞬くほどの間すら要らないということ。

 さらに、それらの首を支えるだけの巨躯が後ろに広がっている。一見にしてバランスが悪いほどに発達した頭部だが、その感想は正しくないと悟らされる。胴も十二分に巨大なのだから。


「はは……」


 ローラは体を無意識に抱く。

 無宗教である彼女は、恐れることは多くあっても、『畏れる』という経験は今までになかった。

 故に、これは駄目だと理解するまでは早かった。

 いや、早いというよりも……ノータイムだ。

 何故なら彼女は、ソレを見た瞬間……『どうやって倒そうか』という手段が思いつかなかったのではなく。

『倒す』という発想すら湧いてこなかった。

 アレは、倒す倒さないの次元にあるものではない。少なくとも、ローラにとっては。

『神』とは、示(祭壇)と申(雷)より成る象形文字。

 生贄を捧げなければ雷が降るという、古来よりの慣わし。

 打倒するとではなく、捧げ、敬い、祈り、鎮めるものでしかないのだ。


「私じゃ、無理かも」


 こんな怪物、相手に出来るとしたら自分の知る限り世界に一人しかおるまい。ローラの脳は一瞬でその答えを弾き出す。


「アイツなら……」


 出来るだろうか?正直に言って、彼女には分からなかったが。目の前に鎮座する六首龍の敗北自体が想像できなかったからだ。

 しかし、彼女にも一つ想像できることがあった。しかもありったけの自信を持って。

『アイツ』の返事だ。「出来るだろうか?」と訊いたのなら、彼はこう答えるだろう。「誰にモノを言ってんだ?」と。


「あはは」


 思わず頬が緩む。それはローラにとって、それだけ『アイツ』が信頼に値するという証左だった。

 しかし、その感情は。その甘えは。

 こんな場所で、こんな時に。


 ――抱いていいものではなかった。


「……え?」


 気が付いた時には、既に首の一つが眼前に迫っていた。

「嘘でしょ?その大きさでこんなに速いの?」と口にする暇もない。

 絶望が口を開く。その中はどこまでも暗く、白い牙だけが妖しく光っていた。

 避けることなど到底不可能。そんなスキルの持ち合わせはない。

 0.000001秒毎に、生存可能性が死んでいく。そしてそれは生き返るということはない。

 どう足掻いてもその死は避けられない。限りなく確定が近づいていく。

 あぁ、ローラ・クリームは。こんなところで。

 終わ…………。


 ……………………………………………………………………………………。


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