第十三話 『歪な信頼』
ダスキリアに帰ると、既に日は傾いていた。
夕食も兼ねて入った酒場で、ローラは注文が来るのも待たずに言ってくる。
「……それで、どう思う?」
「ギルフォードはなんで俺たちにこんな情報を教えに来たんだ?」
「そのことじゃなくて!……そのことも気になるけど、そのことじゃなくて!」
「そのことだよ。そのことしかない。アイツの思惑に乗っかるのは癪だ」
俺に何をさせたくて、あんなことをわざわざ話しに来た?
一つだけわかるのは、アイツが自分でフィーコのところに行ったりする気はおそらくないということ。
奴が自分でやるなら、勝手にやればいい話だからだ。
「……心配じゃ、ないの?」
「あぁ?」
「フィーコのこと。だって、このままじゃ生贄……死んじゃうかもしれないってことでしょ?」
「……ふん」
たしかに物語自体は、信じるほうが論理的であるように思った。
父親までもあの調子では、ギルフォードが口から出まかせを語ったというのはもう無理だ。
状況証拠は揃っているし、アイツが最後に口にした行き先……『実家』とやらも事実だったと認めるしかない。
「助けに……行ったほうがいいよね?」
ローラは疑問形で言う。いやらしい態度だと思う。それは背中を押して欲しがってるだけの、いかにも女らしい発言だ。こういう状態の女が求めてるのは共感であり、相槌であり、肯定だ。それ以外の何でもない。
だから。
「さぁ、知らね」
俺は、そんな反応だけはしないと心に誓っている。
「そんな、だって!ニノマエは何とも思わないの!?だって仲間でしょ!?」
「仲間ねぇ?パーティーメンバーのことをそう呼ぶってんなら、まぁそうだ」
関係性の呼び名なんて当人の納得の問題でしかないと俺は思うがね。
友達の定義なんて、お互いが友達と思っていること以外にはない。仲間だってそうだ。
「引っかかる言い方……でも!何にせよ!仲間が生贄になるっていうのに助けに行かないなんて!そんなの仲間じゃない!」
熱くなって吠える金髪女。そんな青春ドラマみたいな態度を見せられると、余計に俺は冷めてしまう。
仲間だから助ける?まーた甘っちょろいことを言いやがってよ。俺がそのフレーズに乗ると思ってんのかね。それに……。
「俺はフィーコを信じてるからな」
「へ?」
呆気にとられた顔。そんな顔するなよ、当たり前のことを言っただけだろ。
「百歩譲って、アイツが誰かに引っ捕まって連れてかれたってんなら、俺だって連れ戻しに行ってやってもいい。恩を売ってやってもいいさ。だけどな、アイツは自分で行ったんだ」
自分の足で、自分の意思で、向かって行ったのだ。だったら俺は、信じられる。
あの猫耳の生き汚さを、意地汚さを。俺が信じずに誰が信じる?
「フィーコはむざむざと自分を生贄にしてハイおしまいなんて柄じゃなかろう?アイツならきっと何か考えてるだろ。自分は無事で、しかも金が儲かるくらいの策を」
信頼は泥団子だ。でも、俺はそれをずっと捏ねてきた。フィーコがクズ野郎だということにかけては俺は世界一信頼している。
「それは……そうかもしれないけど」
ローラだって、半信半疑だったのだろう。この甘い女が唯一迷っていたのはそこだ。
フィーコの行動として、自分から生贄になりに行くなど、あまりにも『らしくない』、と。
だからこそ俺の言葉を控えめながらも肯定的に受け止めた。
「でも、どうやって?フィーコはニノマエみたいに異常な戦闘スキルがあるわけじゃないし……」
その上で、そんな方法があるのかと問うてきた。
正解でなくとも、解法の例だけでも知りたい。そうすれば安心できるから……と顔に書いてある。
気持ちは分かる。確証がほしい。保証がほしい。間違いないと、大丈夫だと言って欲しい。
俺だってそうだ。誰だってそうだ。けれど。
「さぁ、知らね」
俺には分からないのだ。そんな一発逆転があるのかどうかすら。
「ちょ、はぁ!?」
ローラは愕然としながら叫んだ。
それを横目にウイスキーを煽る。名前は未だに覚えられない。地球じゃウイスキーの名前は産地だった。バーボン、スコッチ、アイリッシュ……。こっちでもそれは同じなのだが、異世界の地名は覚えにくい。正直に言って、バーボンなんて地名はむしろウイスキーで知ったくらいだから、どっちにしろ同じはずなのだが。
「マスター、おかわり」
俺はグラスを上に掲げてカウンターに見せつける。
そこで営業中にもかかわらず煙草を吹かしているのは、態度も体躯もデカいハゲた店主。このクソマスターとはもうそれなりに長い付き合いになる。
『おかわり』と『いつもの』で注文が通じてしまうことも、ウイスキーの名前を覚えられないことに関係しているんだろう。
「チッ、注いでやるから取りに来い。銀貨を握り締めてな」
……注文は通じるのだが、常識は通じないようだ。
「そんな横暴な接客があるか。ドリンクバーじゃねぇぞ」
テーブル席だろうが。運んでこい。
「じゃあ飲むんじゃねぇよ。また店の前で吐いてみろ。確実に殺すからな」
「バッ、あれは違ぇんだよ!ホモ野郎にバカ強い酒を無理矢理飲まされたんだよ!本来は俺はそれなりに強いほうだ!」
その日、たまたま一人でここに来ていた俺を見て、これはお持ち帰りチャンスだと睨んだカマホモズのホモの方が俺に酒を奢ると言ってきた。
怪しいことは百も承知だったが、その時は丁度財布が寂しかった。つい誘惑に乗ってしまったのだ。運の尽きだった。
飲まされたのは恐らく度数50や60ではきかない訳の分からないアルコール。地球で言うならスピリタスみたいなものだろうか。
まず口に近づけた時点で揮発したアルコールが目に入り、痛い。飲み物を飲もうとして目が痛いという経験は生まれて初めてだった。これはヤバイと察してグラスを口元から離そうとしたら、頭を押さえつけられて強引に喉に流し込まれた。完全に人を殺しかねない行為だ。殺人の実行行為性がある。
そして……次の瞬間からしばらく記憶が無い。何だアレは?酒とかではない。危険な薬物と言っていいだろう。
危うくテイクアウトされて眠姦されるところだったのだが、たまたま後で店に来たフィーコと入り口ですれ違い助けてもらった……らしい。覚えてないけど。
こう考えてみると、あのホモやオカマに絡まれた時に限った話をすれば、俺はフィーコにいくつか借りを作ってしまっているな。
「オラ、神様たるお客様が来てやったぞ。注げ。あ、ロックだから氷もな」
カウンターにドンとグラスを叩きつける。ここの客なんてどいつもこいつも粗暴・乱暴・野蛮の三拍子揃ったゴミクズばかりだから、カウンターもグラスも叩きつけられることには十分慣れているようだ。簡単に割れてくれたりはしなかった。
「金を置け。客が神なんじゃねぇ、金が神なんだ」
この期に及んでマスターの対応は最悪だった。
「金を払うか否か決めるのは俺だ。だから俺が神なんだ」
「酒を出すか否か決めるのは俺だ。だから俺が神なんだ」
神の多い酒場だった。まぁ、どっちの神にも信者はいないんだろうが。
「はぁ……いくらだよ」
「ベル銀貨7枚」
「はいはい、っと」
勝手に冷蔵庫を開いて氷を取り出しグラスにブチ込み、さらにウイスキーの瓶を引ったくって自分で注いだ。家かっての。
でも順番は大事だ。家で麦茶を飲む時のように後から氷を入れるのはダサい。跳ねるからとかそういう問題ではない。そんなことをしたら『氷の上から(オンザロック)』じゃなくなってしまう。
そして代わりに銀貨7枚をカウンターに積み上げた。
銀貨7枚といえばそれなりの額に思えるが、実際は普通に安い。ベル銀貨はかなり質の悪い銀貨で、ハッキリ言って価値は銅貨だ。串焼きに5枚必要なレベルだからな。
接客態度は酷いが、価格は良心的な店なのだ。大体ダスキリアに金持ちなどいない。高級志向のバーなんて作っても二秒で潰れるだけだ。それに対してこの店は息が長い。もう10年営業している。安いのはある意味当たり前だった。
一口煽る。喉が焼ける。その熱が体内に流れていく。考えてみれば不思議な感覚なのかもしれない。冷たいものを飲んでいるのに、熱くなるというのは。
料理をスキルで作ってしまうこの世界でも、酒は職人が作っている。まぁ、酒にかぎらず野菜などの『原材料』はスキルじゃ作れないのだが。
「やっぱりウイスキーはロックに限るな。ロックが一番格好良く見える」
「誰もお前の薄汚い美学は聞いてねぇ。ストレートだろうがロックだろうがお前は格好良くならない。それより、ガールフレンドが愛情の籠もった目で見てるぞ」
見れば、ローラがテーブルに両肘をついて手の上に顎を乗せるという、司令官的なポーズでこっちを睨んでいた。少なくともボーイフレンドに向ける目つきではない。敵意7:悪意3くらいの視線だ。
「チッ、何なんだ……」
グラスを持って席に戻る。けれど俺はさっきの意見を変えるつもりなんてない。こうして頭を整理するためにカウンターまで歩いて酒をおかわりしてみたが、やはり既に俺の中で結論は出ている。
フィーコが自らを捨てることなどありえない。俺はそう信じる。
どれだけ歪な信頼でも、信頼は信頼なのだから。
「ニノマエ」
ローラは落ち着いた声で言った。彼女の中でも俺と同様に結論は出てるらしい。目が先程までのように揺れていない。覚悟の据わった瞳だった。
「どうした?」
だから……俺はきっと、この後の答えは分かっていた。
「私は……やっぱり助けに行くわ」
きっぱりと宣言するローラ。動かせないものがそこにあるのを感じた。
……あぁ、そうだろうよ。お前はそうだろう。
分かっていた。直情的にアイツの家まで行ってしまうような性格の女だ。その結論だと分かっていたさ。
分かっていたのに、どうして俺は少しだけ、苛ついているんだ?
「信じられないか?」
答えを出せないまま、余計な一言を口にする。こんなものは俺らしくない。俺ならば『好きにしろ』と言うのが似合うはずなのに。
「ううん。私だってフィーコのことは信じたい。けど、私はニノマエほど『フィーコを信じる自分』を信じ切れないのよ。もし違ったら、何かあったら……そういうことばっかり頭をよぎるの」
それは正しい。俺なんかよりも圧倒的に正しい。信頼することは、リスクヘッジを怠る理由にはなってない。99%そうなると思っていたって、1%の想定はしておくべきなのだ。
けれど。俺は。
俺は俺が俺を信じるのと同じように、フィーコのことを信じてしまっている。
自分がそうすると決めたことは、不可抗力でもない限り覆らない。じゃんけんで次にパーを出すと自分で決めたなら、ほぼ100%パーを出すことは出来るだろう。
それと同じ感覚。これは、俺は……。
「だから、私は行く」
「あ?」
俺が何かよく分からない感情に名前を付けようともがいていたら、ローラはハッキリと言ってきた。
「私は助けに行く」
「……具体的にどうやって?」
俺はさっきのジルバと同じような発言をしてしまう。口に出してからそのことに気付いて少し嫌気が差した。
「やっぱりその、地神とやらを倒しちゃえばいいんでしょ?」
「戦闘能力ゼロが何を言い出すかと思えば。俺はやらんぞ」
「いいから。私が自分でやる」
本当に、何を言ってるんだコイツは。
その辺のゴロツキも倒せないくせに。
「あっそ。じゃあ行ってらっしゃい」
ひらっと手を振る。もう知るか。どうとでもなれ。
「ええ、行ってきます」
ノータイムでの返答で確信する。ローラは俺が何を言おうと行くのだろう。
まるでちょっとお手洗いに行ってくるみたいな気軽さで俺の元から背を向け、一応は神と呼ばれてるらしい相手のところに行こうとする。
そんなローラを見て。俺は。
「おい」
引き止めていた。
「何?」
「引き時を考えろよ。いいか、フィーコは絶対に死ぬつもりなんかじゃない。だから、お前が死のうものなら無駄死にもいいところだ。大体、ボス戦に一発勝負を挑む奴はゲームセンスがねぇ。一回目は偵察だよ」
「……心配してくれてるの?」
「違う。忠告だ。俺は無駄が嫌いなんだよ。効率主義だからな」
「ふぅ〜ん」
後ろを向いているから表情は見えない。けど、明らかに俺がムカつくタイプの顔をしているだろうことは分かった。
「分かったらさっさと行け。いいか?忠告はしたからな」
『忠告はしたからな』。一度は言ってみたい台詞だった。言えて良かった。
「……はいはい。じゃあ今度こそ行ってきます」
外人のように(ある意味本当に外人なのだが)軽く肩をすくめてから、ローラは酒場の出口へ歩き出す。
俺はそれを、今度こそ黙って見送り、手元のグラスを煽る。
なぜだか喉は焼けてくれなかった。




