第十二話 『家族』
「行くわよ」
ギルフォードが帰った後、しばらく黙っていたローラが言ったのはその一言。
ほとんど強制的に俺も連れてこられたのは、王都にあるフィーコの実家だった。
「デカいね、また……」
まさに貴族のお屋敷。いや、まぁ生贄だとかそんな国的に重要な役割を負っている家だ。デカいのも頷けるが。
「……」
若干の尻込みを見せる俺を差し置いて、ローラは無言でコンコンと……ゴンゴンと門を叩く。
こりゃ何というか……キレてるな。
「……」
ごんごん。ごんごん。
……こえーよ。フィーコが出てくるとは限らねーんだぞ。
「……どちら様かな」
ほら言わんこっちゃない。
ドアを開けてこっちを覗いて来たのは眼鏡を掛けた壮年の男だ。
どことなくやつれた顔で、歳がいくつなのか知らないが『実年齢よりも老けて見える』タイプな気がする。
「貴方こそどちら様ですか」
なんでそんな偉そうやねん、この女。見た目とあいまって、いっそ昔よりも王族に見えるぞ。
「私はジルバ・カルメリア。そうだな、君たちの目的を予想して先回りして言うならば……」
そこで男はローラと、後ろで興味なさげに立っていた俺を見る。耳がぴくんと揺れた。
そう、この男には耳がある。いやそりゃ耳は誰にでもあるが、耳は耳でもケモミミだ。
つまり。
「フィーコ・カルメリアの父親だ」
そういうことだろう。
「そうですか。じゃあ、娘さんを出してください」
お、男らしいなおい……。
「娘は儀式の準備に入った。会わせられない」
ジルバの答えは当然に予想出来るものだった。こういう家は頭が固いと相場が決まってるのだ。来ても無駄だっつったのによ。
「儀式って……それで良いんですか!?自分の娘ですよ!?」
ローラは声を張り上げる。だから、そういうことしたってさぁ。
「それがカルメリア家の使命。背く訳にはいかない」
こうなるに決まってんだよ。娘の命が懸かってるんだ。どうせ覚悟は決まってしまっている。
「使命って……そのためだったら娘が犠牲になってもいい訳?」
そして対するローラは勢いでここに来てしまっている。
「逆に訊くが、君は私にどうしろというんだ?まさか娘を守って世界を滅ぼせとでも?」
「それは……」
そう、これは元々その二択。
延々と太古の昔からセカイ系の主人公たちが悩んできた問題だ。
簡単に答えが出せるものではない。
「娘が生贄にならなかったら世界が滅ぶんだ。つまりは娘だって死ぬ。だったら、どちらを選ぶべきかなんて明白だろう?それとも君は娘を守って娘を殺すつもりか?」
守ったところで意味がない。ジルバはそう淡々と告げる。それは悲惨なことに正解でしかない。
フィーコを助けたところで得られるのは自己満足だけだ。
「……だったら、第三の選択肢を探せばいいでしょ」
少しだけ俯いてから、ローラは言う。
「第三?」
「フィーコを助けて世界を守る。両方救う。簡単じゃない」
あぁ、それこそ。
余りにも使い古された答えだ。
……お前みたいな甘ちゃんがよく言いそうな。
「簡単ではない。どうやってそれを実現する?」
「どうやってって……倒せばいいんじゃない?」
「倒すって君……地神をか?無理だろう。神様だぞ。君は見たことがないからそういう無謀が言えるんだ」
「やってみなくちゃわかんないでしょ!」
ローラは吠えるように言った。言ってしまった。
あちゃー、出ちゃったよ。バカの常套句。
ジルバも何やら悟ったように、視線を初めてこっちに移す。
「……君も同じクチか?」
「頼むから一緒にしないでくれ。そんな青春勘違い女と」
「良かった。話が通じる人もいるみたいで」
少し態度が緩くなったのが目に見えてわかる。
「ちょっとそれどういう意味!?」
お前がバカだって意味だ。
「地神を倒すなど不可能だ。単に神様だからというだけではない。地神の再生能力は常軌を逸している」
「再生能力……そうだ!ニノマエなら倒せるじゃない!一回倒してるんだし!」
「復活されてるだろ」
「定期的に倒せば?復活したらすぐ倒しに行くとか」
「冗談じゃねーや面倒臭い」
そんなダルい仕事に就いてたまるかってんだ。
「あのねぇ、命が……っていうか世界がかかってんのよ?」
「知るか。第一、俺は協力するなんて一言も言ってねぇ」
「ハァ!?」
いや、ハァ!?じゃねぇだろ。元から言ってねぇよ。俺がここにいるのは連行されてきただけだ。
「君たち、仲間割れなら余所でやってくれないか」
俺たちの言い争いを見兼ねたジルバが呆れたように言う。
「なに他人事ぶってるのよ!当事者でしょ!」
「当事者かもしれないが、君たちと違って私はもう自分の意見を決めている」
「私だって決めてる!ニノマエを協力させて、地神を倒す。大丈夫よ、一年前の崩落はこの男が起こしたものだもの。少なくとも地神を行動不能に出来るってことは証明されてるわ」
「そういう問題ではない」
「じゃあ何?もし地神を倒せるとしても、実行しないっていうの?」
静かに問うローラ。それは冷静になって落ち着いたというよりも、キレすぎて落ち着いたように聞こえる声音だった。
「そうだ」
……流石に、そこまで言い切るのは予想外だな。
梃子でも動かない決意。正しいとか正しくないとか、そういう理論でコイツは動いていない。人形に近い目。
俺にはその時ハッキリと見えた。
もしも仮に俺が地神を殺して、何もなくなった大空洞とやらに。
――この男が、フィーコの手を引いて連れてきては、そこでただひたすらに審判を待ち続けるという最悪な未来予想図が。
「……お前」
「おかしいか?言っただろう、これは我が家の血筋に伝わる使命なんだ。是が非でも……非でも、成さねばならない」
「……いーい感じに狂ってんじゃねーか」
覚悟と言うにはあまりに盲目。その無意味さは盲信と言うべきものだ。
つまりこの男は、手段と目的が最早逆転している。
否、ハナからジルバの目的は世界を救うことではないのかもしれない。
本当の目的は……。
「フィーコが生贄にならなくても済むとしても、使命を果たそうとするって、こと?」
「そうだ」
儀式の達成。ただそれだけ。
「アンタ娘の気持ちとか考えたことないわけ!?」
「何を言う。娘も納得済みのことだ」
「んなわけないでしょ!あのフィーコよ!?」
「君が娘をどれだけ知っている?何も知りはしない」
そこで初めてジルバは怒気を孕ませた。
「何、ですって?」
「その証拠に、娘は君たちには会わないと言っている」
「……え?」
ローラは固まる。きっとコイツの中ではフィーコは囚われの身のお姫様で、助けを求めているものだと決めつけていたのだろう。
「別に私は娘を監禁しているわけではない。軟禁はしているがね。今ここで出てきて話すことだって認めるさ。ただ、もし君たちが来たら追い返してくれと昨日の時点で言われていたからね。気を使って私が出てきたという次第だ」
「そんな、バカなこと……」
「あるはずがないか?……君が知っているフィーコなら」
「っ!」
やり込められたな、これは。
本当にフィーコがそう言っていたのかはどうせ証明できないのだから、こんな問答には意味が無いのに。
ローラは動揺してしまった。そうかもしれないと思ってしまった。
『自分がフィーコのことを理解してないんじゃないか』と思ってしまった。
だからこの勝負はローラの敗北だ。
「分かったらお引き取り願おうか。私と……娘は忙しいんでね」
こうなってしまっては、一度引くしかないだろう。
「何なのあの男は!話が通じないにも程があるわ!」
フィーコの家から数百メートルのところにある喫茶店。
そこでローラの爆発した不満を俺は死んだ魚の眼で聞いていた。
「ちょっとニノマエ聞いてるの!?」
「聞いてない」
メニューを見る。コーヒー一杯が高ぇ。流石は王都だ。
軽食なんて絶対に頼みたくないな。
「聞きなさいよ!全くあの男、あれでも父親なの?」
「はぁ、やれやれ。父親だからとか家族だからとか、そういう理屈で人を信じるのはやめた方がいいぞ」
「なんでよ!」
「……お前、自分に家族がいないからって変な憧れを持ってるタイプか?」
「それは……」
ローラは黙る。図星だったのかもしれない。
詳しいことは知らんが、こいつは孤児なはずだ。物心ついた頃にはもう家族がいなかったのだろう。
だからローラは家族のことなんて何も知らない。その甘さも、苦さも。
「育児放棄する母親もいりゃ、暴力を振るう父親だっている。日本じゃネグレクトとかDVとか言ってな、社会問題になるほどの数がいるんだぞ」
「そんな、のは……」
「家族と言えないか?かくいう俺だって、親父から金を毟って生きるニートだったんだぞ?」
「それはニノマエがクズなだけでしょ!」
仰る通り。
「まぁ、俺と親父は割合家族だったと思うけどな」
「……そうなの?」
怪訝な目をするローラ。失礼だな。
「そうとも。家族の情がなきゃ人一人無償で養おうなんて思うはずがない」
「そういう愛情確認はどうかと思うけど」
「はっは。いや実は嘘だ。俺と親父はただの親子じゃねぇ」
「えっ、それってどういうこと?というか、あの、訊いていいことか分からないんだけど……」
言いにくそうにしている。それだけで訊きたいことは分かった。
「母親は死んだ。物心つく前にな」
「……ごめん」
「謝るな気にしてない。写真見たことあるんだが、やたら美人な奴でな。しかも周りの人達から話を聞く限り優しくて気の利く人だったらしい。親父みたいな人間の屑と結婚したのだけが玉に瑕だと思うがな」
「ニノマエが人のことそんな風に褒めるなんて珍しいじゃない」
「伝聞で褒めただけだ。それに、俺をこんな顔に産んでくれたことには感謝してる。俺は自分の顔が気に入ってるからな」
「自分の顔が気に入ってるとか……よくそんなこと言えるわね」
「事実だからな。さて話を戻すか。俺と親父がただの親子じゃないって話だ。それは別に血が繋がってないとかそういうことじゃなくてだな……俺の父親はクズなんだよ」
「クズって……」
ローラは引いている。あるいはちょっと怒ってるか?実の父親にそんな言葉は使うべきじゃないと思っているのだろう。
「本気でクズなんだぞ?一応それなりの企業の社長だったんだがな、不正には手を染めまくり、検挙されてないだけで犯罪王だった。部下には滅茶苦茶な命令をするわ、そのくせ自分はいかに楽をするかばかり考えていた」
「え?それって……ニノマエじゃない?」
「……ニノマエだな。一弦滋」
玄が多すぎる名前だと思う。げんじと言いつつ、実は3つあるからな。
「そうじゃなくて!ニノマエとそっくりじゃないって言ったの!」
まぁ、そう言われるとは思ったけどな。
――『それでいい。それでこそ俺の息子だ』。
あの言葉を言われた日のことを俺は未だに覚えている。最悪の気分だったと。
「疑えとか騙せとか、そういうことばっかり俺に教えてくる奴だったよ。だから俺は言う通りにしてやったんだ」
「どういうこと?」
「親父の会社の不正の尻尾を掴んで、金を脅し取った。それで俺はニートをやってたってこと」
「……壮絶」
今度こそローラは引いていた。流石にビビるエピソードだったのかもしれない。
しかし百パーセント真実だ。
「あれはあれで良かったんだよ、きっとな。俺たちに出来るコミュニケーションはあれしかなかった。多分、こうしなかったから、俺たちは会話もしない親子になってただろう。一度だけ親父は俺に言ったことがある。『アイツは言ってた。将来、俺たちが楽しく会話してくれるなら、どんな内容だっていい。どんな関係だっていい。ただそれだけで、私はあの子を産んだ甲斐がある……とな』」
「……そっか」
ローラは噛み締めるように言った。理解してくれたようだ。
他人にどう見えようと、俺は俺たちの親子関係はあれで良かったのだと確信している。
ちなみに、俺はその時親父に反論した言葉をよく覚えている。『いや、この会話は全く楽しくない』だ。
「友人関係や恋人関係だって端から良し悪しは分かりゃしないが、親子ってのはそれ以上に理解不能なバランスで成立することもある。親子ってことだけで、こっちの単純な物差しで測るのはやめた方がいい」
「……でも、死んじゃったらどうにもならないじゃない」
「そうだな。そこはまた別の話だ。親にキレてたってしょうがないってことを俺は言いたかっただけだよ。さて、出よう。続きはダスキリアで話すぞ」
そう言って俺は伝票を持たずに立ち上がる。
「なんでよ!帰っちゃったらフィーコに会えないじゃない!」
「どうせ今日は無理だろ。なんで帰るかだと?そんなのは決まってる」
俺は顔を赤くして抗議するローラを横目に周囲を見渡す。
そしてさっきから感じる視線の正体を見つけ、言った。
「店員が俺達のことを人を殺しそうな目で睨んでるからだ」
軽食どころかコーヒーもケチってた俺たちでした。ごめんね!




