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第七話 『手を握るには遠すぎた』

 あれから数日が経った。

 場所はいつもの酒場。


「おぉ……」


 だが並ぶのはいつもとは違うメニューだ。


「マドレーヌ!マドレーヌだ!」


「どうだ?自信作だぜ」


 厨房から出てきたバルは言う。ちなみに、格好はまだパティシエ的な服ではない。数日でそこまでは出来なかったし、あんまりこんなゴツい獣人に来て欲しい服でもなかったからいいや。


「食ってみなくちゃわかんねーよ。いただきます!」


 ぱん、と手を合わせる。

 俺がそんな挨拶をしていることなど珍しいから、周囲が……主に同テーブルのローラフィーコシーズがぎょっとしていた。


「んぐ……これは……!」


 程よい甘さ。ふわりとした食感。鼻に抜ける香りも良い。バニラエッセンスは流石に代用品が思いつかなかったから、今回はレモン風味でいってみたのだが、やはり正解だったようだ。


「どうだ……今度こそは?」


「美味い!65点!」


「低いなオイ!」


「生地を休ませろと言っただろ。すぐ焼きやがったな?キメが粗いんだよ」


 あと膨らみが弱い。

『休ませる』とはまぁ、もうちょっとわかりやすく言えば『寝かせる』ってことだ。出来上がった生地を焼かずにしばらく置いておくことを指す。グルテンを弱くすること、砂糖を溶け切らせることという2つの意味がある。詳しくはwebで(地球人に限る)。


「いやだって、そんな変わるもんか?」


「変わるんだよ!よしわかった。自分で食べ比べてみろ。休ませた生地で作ったものとそうでないものをな。それでも分からないようならお前は舌が悪い。料理人を諦めてもらうぞ」


「そこまで言うならやってやるよ!待ってろ、今から作ってやるからな!」


「食うのは明日にしよう。出来たて補正が片方に入るのは良くない。大丈夫だ、焼き菓子なら保存料なしでも一日は余裕だよ。冬だしな」


 厨房へ帰るバルに向けて俺は言う。うんうん、奴は向上心があっていい。パティシエは知らんがシェフには向いてるかもしれない。寝かせることで味が変わるとかは、知識のないこっちの奴らには実際食ってみなきゃ伝わらないことだろうしな。


「……どう思う?」


「……気持ち悪いね。お菓子なんて子供の食べ物なのに」


「……でも凄くいい匂いがしましたし。というか、ご主人様のなさることなので正しいに決まってます」


「うるせぇよ三人娘。黙ってこれを食え」


 俺はマドレーヌの皿を差し出す。

 フィーコの言うように、この世界じゃお菓子は子供の食べ物とされている。大人が食おうものなら嘲笑の対象である。

 だが俺はそれが納得行かない。俺はお菓子が大好きだ。何ならニートになってからは自分で作っていた。暇だし。

 大体甘い酒は普通に飲むくせにお菓子だけガキ扱いはおかしい。この世界にコース料理がないせいで、デザートという概念が無いのが悪いだけだ。流行らせれば行けるはずだと俺は確信していた。

 そのためには。


「……んぐ」


「……ぱく」


「……もぐ」


 まずは女だ。

 不本意ながら、これは女から流行らすに限る。

 なぜなら。


「おいしいー!?」


「なんですかこれ!ユージン美味しいですよこれ!」


「はわわ……ご主人様考案の食べ物……幸せ……」


 マドレーヌが女性にウケないはずはない!

 実際この三人にはヒットしている。

 一人、参考にならない女もいるが……あ、なんか絶頂したみたいな顔で気を失った。無視しよう。


「だろう、だろうが。考えを改めてくれたか?」


「うぅ……超美味しいんですけど……」


 特に喜んでいるのは甘い飲み物好きのフィーコである。

 コーヒーにあれだけシロップを入れてたのも、この世界にスイーツがない反動だったんじゃないだろうか。

 他で甘いものをあまり摂取できないしな。


「というわけで、これを流行らせようと思う」


「確かに美味しいけど……どうやってよ?お菓子は子供のものってイメージが着いちゃってるじゃない」


 ローラはフィーコよりは若干冷静だ。上記した顔は隠せてないがな!


「簡単だ。ちょっとそのイメージを広げればいい。『お菓子は女子供のもの』ってな」


 客を呼びたきゃ女を呼べ。これは商売の基本だ。

 女を呼べば女を連れた男も寄って来るからだ。


「日本でもそういうイメージはあったよ。パフェなんかは男一人だと頼み辛いからな」


 俺は頼むけど。


「まずは若年層の女にターゲットを絞ってマーケティング。これで行く」


「……盗賊やめてお菓子売りにでもなるの?」


「俺がやるわけじゃない。やるのはバルだ。俺はお菓子がこの世界に増えてほしいだけ。俺がやるのはあくまでコンサルだ」


「コンサル?」


「助言係。まぁ本当に流行ったらバルから報酬を貰うさ」


 盗賊は俺の天職だ。やめようとは思わない。


「ふぅん……ってあれ?フィーコは?」


 いつの間にか、猫耳はテーブルから消えていた。
















「この間もこんなことがあったな」


 月が出ていなければ、この街の夜は暗い。

 ガス灯とはいえ街灯があったりする王都などの大きな街ならまだしも、ダスキリアでは夜の明かりなど星と月頼みだ。まぁ、盗賊には有り難いこったが。

 真っ暗闇というにはまだ多少の明るさはある。さっきまで俺たちがいた、向かいの酒場から漏れた光だ。

 建物の谷間で黄昏れていたフィーコの顔もギリギリで判別できる程度には。


「口説いてるつもりですか?ごめんなさい、気持ち悪いです」


 フィーコの返事は早かった。俺が来ることを完全に予期していたように。


「俺がもし本気で口説いていたならお前はもうメスの顔で俺に擦り寄ってただろう。そうなってないってことは、さっきのは口説き文句じゃなかったってことだ」


「都合がいい考え方ですね。つまり、成功しなかった時は全部そういうつもりじゃなかったと逃げるってことじゃないですか」


 呆れたように言うフィーコ。完全に正鵠を射た指摘だったが、こういうのは認めたら負けだ。無視しよう。


「それで?」


「それで、とは?」


「はぐらかすなよ。こうして俺を外に釣り出した理由だ」


「別に呼んでませんよ」


「本当に?」


 あれだけ美味そうに食べていたマドレーヌを、食べかけで俺の皿に返してきたのだ。何かあると考えるのが普通だろう。


「そうですね、賭けますか?」


「正誤の決定権が相手に委ねられた賭けに乗るバカが居るかよ」


「そうですか」


 図るような視線。探るような会話。

 無駄に持って回った言い回し。

 何故かそれが、俺には心地よかった。

 あっと言わせたい。驚かせてやりたい。上を行きたい。

 俺は頭を回転させて、次の言葉を探している。

 ……きっと。


「行こうと思うんです」


 きっと、それは俺だけだった。


「は?どこにだよ?」


 先手を取られた。そう思った。


「うーん、実家、ですかね?」


「実家だぁ?」


 実家ってどこだ?なんでそんな話をする?行って何をする?てか実家に帰る宣言とか俺達は夫婦か?

 疑問が脳内に浮かんでは消える。

 あぁ、そうだ。でもこの時までは。

 俺はまだ冷静でいられたんだ。

 どう切り返してやろうかとか、そんな策を練っていた。


 あの台詞を。


「――今まで、ありがとうございました」


 この台詞を、聞くまでは。


「な……」


 いつの間にかフィーコはチェーンのついた何かをどこからか取り出していた。

 知っている。アレは確か懐中時計。

 俺たちが出会った日に、フィーコが文字盤のガラスを割られたと俺に言い掛かりをつけてきた、アレだ。

 フィーコは色のない表情で、蓋を閉じたままの懐中時計を見つめている。

 まるで彼女の回りの時間だけが停止してしまったかのように、瞬き一つせず。

 ――あの蓋の下では、針が動いているのだろうか。

 そんな益体もないことを考えてしまうほどだった。

 そして、消失した時間感覚の後。

 彼女はゆっくりと、顔を上げて。


 こっちを、見た。


「……楽しかったです。今まで」


「はぁ?」


 何を言ってる?いや、何を言われた?

 それはこの間にも言われたような言葉で、でもこの間とは決定的に違う過去形の言葉。


 ……なんとなく、俺は覚悟をしているような気になっていた。

 こんな日々はいつまでも続かないと理解しているような気になっていた。

 それは、あの銭湯の後ですら変わらなかったのに。

 何故か今になって、俺はどうやらショックを受けていた。


「ありがとう、ございました」


 ……そんな目で、お前がその懐中時計を見るからだ。

 頭が白に染まっていた。故に俺の次の言葉はほとんど反射と言っていい。


「……かえ」


 ――って来れないのか?


 そう問おうとして、声帯が固まった。

 訊いてどうする?引き止めるのか?

 バカバカしい。他人の事情に深入りするのはよした方がいい。自分に触れられないように立ち回るコツは、他人にも触れすぎないことにある。


 ……あぁ。

 真剣になるな。本気になるな。マジになるな。

 いつだってそうだ。俺の脳内ではこうやって、誰かがブレーキを踏んでいる。

 それは別に嫌なことじゃない。俺はむしろそんな自分を好いていた。アクセル全開で突っ走って、盛大に大破するような人間を見下しているフシさえあった。

 何かに真剣になるなんて、熱くなるなんて下らない。とりわけ、『誰か』に真剣になるなんて、最悪だ。

 この感情だって、ブレーキを踏んだからこそ湧いてくるものなのかもしれない。本気そうなれないから、真剣そうなった人間をバカにして、自己を正当化してるだけなのかもしれない。けれど何にせよ、俺が何も真面目に出来ないことだけは確かだった。


 恐怖?価値観?保険?

 真剣にやって失敗するのは怖いから?

 本気になって打ち込むなんてダサいから?

 マジの力は今じゃなくてもっと大事な時に残しておくべきだから?

 どれも違うような気がするし、どれも正しいような気もする。

 いっそのこと、凡人に生まれれば良かったのだろうか。

 何だって努力しなければ人並みに出来ない。そんな人間だったら、俺の性格も少しはマシになったのだろうか。

 ……戯言か。そんなのはもう俺じゃない。別人だ。

 大体、俺は俺が嫌いじゃない。むしろ好きだ。頑張らない自分のことを、俺は好きで仕方ない。


『上手く出来ることをわざわざ下手にやる必要なんてないんですから』


 全く正しいさ。俺はきっと、その場凌ぎの天才なんだ。

 その場を凌ぐだけで生きてきた。そういう人間なんだ。

 それが人より上手だっただけの。

 でも、それはもう俺のアイデンティティだ。これからも俺は努力せずに上手くやって生きていきたいんだ。


 だったら、この場も凌がないでどうする?


 ――何も尋ねる必要なんてないじゃないか。

 ――黙って見送れば、それでいい。それが正しい。


 冷めていく……いや、違う。離れていくのが分かる。すーっと、近くにあったものが、遠くへと。

 フィーコが一歩足を踏み出す。距離が開いた。それは単に物理的なものではない。

 たかが一歩だ。元々近くにいたところから、一歩。

 俺たちの隔たりは――日本の単位で言うなら――精々数メートル。

 手を掴むことは十分に可能な距離だった。

 けれど、それでも。


 手を握るには遠すぎた。


「さようなら」


 フィーコは……彼女は振り向かずにそう言った。

 さようなら。なんてふざけた別れの言葉だろうか。

 左様なら。それならば仕方ない。別れましょう。

 何が左様なんだよ。身勝手すぎるだろう。


 水たまりに浮かんだ月を踏む。ぐしゃりと月影が歪み、足元では夜が死んでいた。

 けれどそんなものはまやかしだ。空には当然月があるし、夜は明ける気配すらない。

 俺は失敗したのだろうか。したとしたら、それは何だったのだろうか。


 いや、俺は間違ったことは絶対にしていない。

 もし仮に、フィーコが何かピンチに巻き込まれていたとしても、無関係の俺がそこに首を突っ込むメリットなんてない。あの女はきっと言うだろう――「余計なお世話です」と。

 ありふれたドラマやアニメなら、主人公はこんなことしないだろう。

 しつこくヒロインに言い寄って、勝手に問題を解決してしまうのだろう。

 そっちの方が物語は面白いのかもしれない。でも、そんなものはただのお節介なのだ。

 少なくとも、お節介でしかない状況というものはある。

 何かをしてあげることだけが、優しさというわけではない。

 だから、この選択は正解だ。

 俺は正しい道を選び取った。バッドエンド直行の選択肢なんて選んでない。

 その正しさが誰に保障されなくとも、俺は認めてやる。俺に認められないような俺を、俺は生きていない。


 顔を上げたら、もうそこにフィーコはいなかった。

 足元の月は息を吹き返していた。何事もなかったかのように。

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