第六話 『再会その一』
「おはようございます」
「あれ?」
俺の予想はあっさり外れた。
朝一発目の挨拶をされた相手は猫耳の女、すなわちフィーコだった。普通のテンションで普通に家にいた。何だったんだよ、昨日のあの感じは。
「どうしたんですか?」
「……どうもしねぇよ。朝から起こすな」
なんか異様に気恥ずかしくなって、俺は顔を体ごと逆方向にひねる。
「相変わらず寝起き悪いですね」
「低血圧、低体温を売りにしてるんだ」
「まぁ、寝起き以外も大体悪いんですけど」
「そうだな。特に今は機嫌が悪い」
「性格も悪いですね」
「お前に言われたかねぇよ。何なんだ用事がないなら二度寝するぞ」
外されかけた薄い毛布を被り直す。特に冬の朝なんてのは人間の活動する時間ではない。
「用事というか、連絡です。今日もちょっと出掛けるので。夜には戻りますけど」
「……あっそ。おやすみ」
そんなことで一々報告してくるなよ。俺たちは恋人か。
「はい、おやすみなさい」
後から考えれば、この時。
目を閉じてから聞こえてきた声に、俺はきっと安心していた。
「というわけだ」
「ふぅん、今日も朝からねぇ。何の用事なんだろ」
「知らん。聞いてないからな」
「ま、いんじゃない?フィーコは干渉されるの嫌いでしょ」
「へぇ、分かってるじゃねぇか。その優しさを俺にも発揮して欲しいところだな」
「ニノマエも干渉されるのが嫌いなのはわかってるけど、私は別にニノマエが嫌だろうとどうでもいいから」
「チッ、攻略不可ヒロインが」
というか、俺の周りに攻略可能ヒロインはいるのか?
やめよう。考えると虚しい結論が出そうだ。
おかしいな。概ね俺はこの異世界転生に満足してるけど、ヒロインがいないのはバグだと思う。
「それで、今日はどうするの?また引きこもる?」
「だが、飯がない。とりあえず昼飯を食いに行こうぜ」
「……あの女は」
「ほっとけ。飯を食わなくても死なないしな」
吸血鬼は血さえ飲んでおけば死なない。不本意ながら俺は時々アイツに血をやってるから、勝手にくたばったりはしないだろう。
「……なんというか、本当に冷たいわね。あれだけ好かれてるのに」
「殺されかけた奴に好かれる恐ろしさをお前は知らないから言えるんだ」
「うーん、でも恐ろしいとか思ってないんでしょ?ただ怒ってるだけで」
「……まぁな」
そう、別に俺はビビってるというわけでは勿論ない。シーズに殺されるなどと微塵も思っちゃいないからだ。
「うんうん、流石はご主人様です。その寛大な精神には頭が上がりません」
「どこから湧いた。一生頭を下げてろ」
どこからともなく湧いたメイドの頭を上から押し潰す。
「ああっ!これは噂に聞く頭なでなでですか!?」
「違う。頭ぐいぐいだ」
「ふふ、どちらにせよ同じことです。今、ご主人様の手汗の成分が私の頭皮に浸透していっていますよ……あ、これすごい。想像するだけで、私……!」
「キモいよぉ!!」
俺は熱したフライパンに触れた時のようなスピードで手を離した。
……冷や汗が出てきた。
「なんというか、コイツに関してだけはちょっと同情するわね……」
「お前にコイツ呼ばわりされる覚えはございませんよ、お嬢様?」
「こっちこそアンタに『お嬢様』呼ばわりされる覚えはないんだけど!」
「私はメイドですから。メイドたるもの、いついかなる時も口調は崩してはならないのです」
「口調以外の全てが崩れてんのよ!!」
ぜはー、ぜはーと荒い息はこっちまで聞こえてくる。この二人は本当に相性が悪いな。いや、シーズと相性のいい人間がこの世に存在するかのほうが疑問だが。
「落ち着け。ていうか勘弁してくれ。とにかく俺たちは出る。お前はついてくんなよ」
「ストーカーたる私についてくるなと言うのですか!?アイデンティティの崩壊です!」
「ストーカーだからついてくるなと言ってるんだ。第一お前は飯を食わないんだからついてくる必要ないだろうが」
「店に頼んで空のカップを出してもらって、そこにご主人様の血液を注いでいただくというわけには……」
「ホラーじゃん!嫌だよ!!」
本当にこの女は、俺のことが好きなのか?
数分後。
変態メイドから逃げるようにして何も決めずに外出してきた俺たちは、あてどなく街を彷徨っていた。
「どこで食べる?」
「主体性がないな。候補を出せよ」
「じゃあそっちこそ候補を出してよ」
「チッ、この世界の料理はな、そもそも旨い代わりにレパートリーが少ねえんだよ」
まぁ、和洋中なんでもござれの日本が選択肢過剰だったのかもしれないが。
しかし、スキルで作っているからかどこへ行ってもそこまで味に差はないし、焼く煮る炒めるという調理方法は存在するものの(実際焼いたり煮たり炒めたりしてるわけではないのかもしれないが)、地球のフランス料理ほど凝った料理はないのだ。
「へぇ、それは興味あるわね。向こうの世界は食べ物が美味しいの?」
「旨いというか多いんだよ……あ、そうだ。一つどうしても許せないことがあったんだ。この世界の飯は……」
と、そこまで言いかけて。
「ちょっと、どうしたの?」
俺はとある人物……いや、獣人物の姿を視界の端で捉え。
「あの野郎……!!」
脇目も振らず走り出した。
「やぁやぁお久しぶりだなぁ、バル君?」
「お、おう!ユージンじゃねぇか!しばらくぶりだな!」
その男……串焼き肉屋台の元店主、獣人のバルは俺の顔を見て一瞬強張ったものの、すぐに人懐っこい笑顔を作って肩を抱いてきた。
「本当だぜ。1年半ぶりくらいか?」
「それくらい経つかね。いやぁ、ここ最近はずっとダスキリアを離れてたもんでさ」
分かりきったことを笑って言うバルに、俺も負けじとスマイルを浮かべる。
「そうかいそうかい。そんで今日は久しぶりにどうした?」
「ちょっと用事があってな」
「なるほどねぇ。久しぶりにダスキリアにねぇ……」
俺は一呼吸溜めて。
「……ほとぼりが冷めたとでも思ったか、あァ?」
首元を掴みながらドスを利かせて凄んだ。
「な、何のことだ?」
白を切ろうとするバル。しかし、目線をそんなに露骨に逸らしてちゃ心あたりがあることはバレバレだ。同じ獣人でもどこぞの化け猫と違って犬耳男は嘘がお下手らしい。
「あの時チクったのはお前だろ?」
あの時……すなわち、俺たちがダラスとカイルに発見された日の話。
そう、どう考えても偽フレア……ローラと二人で飯を食ってたってだけで、あんなに早くあの半魔二人組に見つかったのは異常だったからな。
大方、ローラの皇女コスプレを見たコイツが通じていたあの二人組に連絡を入れたのだろう。聖金貨で眼の色を変えたのも、もしかしたらマジの皇女なのでは?と思ったからに違いない。
「証拠でもあんのか?」
ほう、強気だな。殺すか?
「これからお前に自白させる。それが証拠だ」
「……無茶苦茶だぞ、お前」
フン、いいのだ。俺を騙しやがった野郎に人権などない。あ、人権じゃなくて獣人権だから獣人権か。どうでもいいけど。
しかし、俺の考えに賛同しない奴もいた。それも、身内に。
「ちょっとニノマエ!やめないよ!この人、私に奢ってくれた人じゃない!」
話を何も理解できていない、元偽王女である。
……元偽王女って、もう何のことやらよく分かんねぇな。
「ん?あれ?お嬢ちゃん……あれ!?未だにこんな野郎とつるんでんのか!?」
仕方ないこととはいえ、ローラを皇女だと思っているバルは俺に責められていたことすら忘れて困惑する。まぁそりゃそうだ。
……面倒くさいけど、俺が説明するしかねぇなこりゃ。
「はぁー、んなトリックだったのか……完全に騙された。だって嬢ちゃん、普通に皇女様みたいな見た目してんだもんよ」
「えと……ありがとう?」
「どういたしまして?」
よく分からないやり取りをしながら、よく分からないまま頭を下げる二人。茶番だった。
「謎は解けたか?」
「まぁなぁ……いやしかし、じゃあ本物の皇女様はどうなったんだ?」
「さぁ、知らね。勇者様が保護なさったと聞くがな」
「知らねって、お前な……」
一丁前に愛国心でも発動したのか、バルはガシガシと頭を掻いて溜息をつく。顔も知らん皇女のことなんてどうでもよかろうに。
「そんなことよりお前、今までどこにいたんだ?この俺から逃げ果せるとは大したもんじゃねぇか」
俺は一番気になっていたことを聞いた。大方他の国に行ってたんだろうが、それならそれでいい。俺はこの世界の情勢に関する知識が不足しているから、他国のことは知りたい。
しかし、バツが悪そうな顔をしたバルから返ってきたのは、俺の予想とはかけ離れた答えだった。
「いやぁ、ちょっと王都にな」
「王都ぉ?お前が?」
この無骨、無礼、無作法と三拍子揃った悪人面の獣人が、王都だって?一番似合わねぇだろ。
「あのな、実を言うとウチはそれなりの名家なんだぜ?俺ぁむしろそれが嫌で逃げてきてたんだよ。けど、お前を撒くために一時ダスキリアから出て行こうとしたら、ウチのジジイに見つかって連れ戻されたんだ。ま、また出奔してやったがな」
――曰く。
獣人族名家の長男として政略結婚に出されそうになっていたバル(21歳)は、料理人という夢を捨て切れず、父親の静止を振り切り家出。辿り着いたダスキリアで屋台をやっていたそうだ。
ちなみに、料理人志望の癖に串焼きという猿でも出来そうなものを出していたのは、屋台では大したものが作れないからという理由ではなく、スキルに頼らない本当の料理を作るためにまずは簡単なものからノウハウを確立していこうとしていたらしい。
ある意味では斬新な試みだ。少なくともこの世界に来てからそんな料理人は見たことがない。何でもかんでもスキルで片がつくものだから、料理人なんてのは料理スキルさえ一度身につけてしまえばカップ麺にお湯を注ぐ役みたいなものだ。手料理と呼べるようなものを作ろうというのなら、それは逆にパラダイムシフトと言っていい。
しかし茨の道だろうな。なにせ、レシピとかそういうものがロクにない。スキルで作るにしても材料や調味料は必要だからそれらは一応存在はしているものの、スキルの場合は材料さえあればそれで出来るのだ。普通に作ろうとした場合、調味料の配分なんかは完全に未知の領域だろう。それをやろうと言うのだから、言うだけの何かはあるんじゃなかろうか。
妙にあの肉旨いと思っていたが、どうやら下味などがしっかりしていたからのようだ。
「っつーわけで、俺はいいとこの坊ちゃんってわけよ」
「本当かよ。お得意の『気配遮断』で王都に潜り込んだんじゃねぇの?」
にわかには信じ難い話だったので、思わず茶々を入れてしまった。
「は?『気配遮断』?俺はそんなこと出来ねぇぞ?」
「何?獣人族ってみんな出来るんじゃねぇのか?」
「んな訳無いだろ。別に獣人だからって人と違うスキルが得意だったりしねぇよ」
え?そうなのか?
「……『遠隔感応』もか?」
「テレパスぅ?んなもん使う獣人見たことねぇよ。俺たちは素で鼻や耳が発達してんだからさぁ」
自慢げに鼻を鳴らすバル。別にそんな自慢は聞いてないのだが……たしかに言われてみればそうだ。得意分野を別方向から伸ばすようなスキル構成は効率的じゃない。
……だが、だ。待て待て。それはおかしい。
じゃあなんでフィーコはその二つがやたら巧く使えたんだ?種族ボーナスじゃなかったのか?
どうして……?普通に鍛えたのか?しかし、にしてはランクが高すぎるな。フィーコは年齢的にまぁまぁ若い……はずだ。自称成人している『大人の女』らしいが、怪しい話だ。十中八九してないと俺は踏んでいる。とはいえ酒飲んでるけど……それはまぁいいや。とにかく、転生時に地獄の特訓をこなした俺みたいな特殊な経験がない限り、あの若さで二つもスキルを極めているとは考えにくい。
……いや、落ち着け。
『遠隔感応』は確かに使っていたが、『気配遮断』はどうだ?
普段盗みに入る時はそこまで完璧に気配を殺せてはいなくないか?精々盗賊として合格ってレベルでしかない。
ん?あの時はどうだ?俺とシーズを尾行してたって時?あの時は全然気配なんて……。
……違うな。これも違う。逆にあれは完璧すぎた。
俺はオッサンの尾行には気付いていたのだ。フィーコだけ全く気にも留まらないわけがない。
つまり、あの時は俺を直接尾けてきていたのではなく、ブレースを通じて『遠隔感応』で周りの音を拾っていたんじゃないか?
二人で尾行などというバカなことをするよりも、そっちの方が見つかる可能性も低い。
てことは、いつだ?いつ『気配遮断』を使ったなんて言ってたんだっけか?
使ったって言ってたのは……そう、王都に忍び込んだ時だけだ。
それは、単に……。
「王都に詳しかっただけ……?」
ってことも、考えられる。だが、なんでそんな嘘を?
「あぁ、王都で思い出したけどな。そういやお前の仲間のフィーコの奴、この間王都で見たぞ」
「えっ!?」
驚きの声を上げたのはローラだ。俺も、声こそ上げなかったものの驚いた。
まさに今考えていたことを言い当てられたような気分になったからだ。
「王都……」
ありえない話ではないのだ。
考えてみればフィーコとの出会いは王都の方だ。あっちに何かツテでもあるのか?とすればさっきの『気配遮断』についての推測も裏付けられる。
「……マエ……ニノマエ!」
「あ、ああ?」
いかんいかん。どうも考え込んでいたらしい。
ローラが俺に話しかけているのに気づかなかった。反省……はしないが。
「ねぇ、なんでフィーコは王都にいたんだと思う?」
「お前、その質問に俺がどう答えるか予想着いてるだろ?」
「……『さぁ、知らね』」
「正解。10ポイント申請。あと90ポイントでニノマエユージン検定三級に合格」
「いや、いらないわよそんな資格。汚らわしい」
「汚らわしいとは何だ。俺ほど高貴な人間もいない」
「ちょっと顔を近づけないで。うえ、吐きそう」
「んだとコラこのエセ皇女」
「何よこの童貞男」
「童貞じゃねぇよ素人童貞だって言ってんだろあぁん?」
「だから、なんでそれで偉そうなのよ!」
「……あの」
「何だ!」
「何よ!」
横から口を挟むな!
「お前ら、何の話してんだ」
俺たちのほうが知りたかった。
こんな低レベルかつ面白みもない言い合いをしてる理由を。
もうちょっと有意義なことを……ん?
「いや待てよ……バル?」
「おお?何だよ」
「お前、料理人目指してんだよな?」
「あぁ。まだ修行中だけどな」
いいこと思いついた。
これはラッキーだ。丁度コイツには貸しもある。
「よし、じゃあ……パティシエになれ」
俺は、世界一パティシエが似合わなそうな顔の男に言った。




