幕間二 『家出娘は皇女様』
「騎士団長様!!」
朝の知らせは夜の知らせよりも悪い。この国にはそういう格言があった。曰く、朝に来るニュースは自分が寝ている間に起きた出来事であり、大概がどうしようもないことであるという意味だ。
騎士団長ヴァリーはこの格言をこう理解していた。
――夜に寝る前には全ての支度を終えておけ。
――さすれば、夜中に想定外など起こらないのだから。
故にヴァリーはその朝、部下の取り乱しようを見て自らの未熟さを猛省していた。
「朝からどうした、騒々しい」
「それが……皇女様がいらっしゃらないのです」
「……なんだと?」
その言葉は、ともすれば理解を拒んでしまいそうなほどに彼の予想を超えているものだった。
騎士団員は焦りすぎて噛みながらも辿々しく続ける。
「メイドが朝の、お、お着替えに伺った時には既に、お部屋がもぬけのようにか、空であったと……」
「今すぐ騎士団の総員を叩き起こして屋敷中を探し回れ!」
ヴァリーの指示は素早かった。一分一秒、ここで会話している時間すら惜しい事態であることを理解するまでが素早かったというべきか。どうもこの男が『もぬけの殻』という語を間違えて覚えているようだということなど、指摘している場合ではない。
「は、はい!あ、あの!それと、部屋にこのような置手紙が……」
「先に言え!」
頭が痛くなるほどの無能ぶりに嘆息しつつ、団員の手から手紙をひったくる。そこには、彼にとって幾度となく見慣れた筆跡で。
『家出させて頂きます。申し訳ございません』
とだけ書かれていた。
「なんだ、と……言うのだ」
これには流石のヴァリーも動揺を隠せなかった。文章だけなら誘拐犯が無理矢理に書かせたものだとも考えられるのだが……。
「押印……」
王家の印。正確を期すなら、陛下のものと皇女様のものは異なるため、皇女様の公式な印というのが正しいか。この印は当然のことながら皇女様しか隠し場所をご存じないはずだ。お付のメイドですら知らないと聞く。これを、部屋中をひっくり返して誘拐犯が探し回ったというのなら、流石に音で周囲に気付かれるだろう。
ご自分で押されたとしか考えられない。
……家出?フレア様が?何故?
ヴァリーの脳内が疑問符で埋め尽くされる。しかし、それでも彼は即座に頭を切り替えた。
「これは預かる。が、すべき事は変わらん。行け!」
「はい!」
痩せ型の当直団員は慌てて右手を額につけようとする。
「火急の事態だ、敬礼など要らん!メイド達も動いているはずだ、連携を取れ!私は陛下のもとへ向かう」
それを制し、自らもすべき事を為すために行動を開始した。
「了解致しました!」
再び敬礼をしようと構えた愚か者の横を早足で抜け、ヴァリーは先に部屋を出た。
……奴は戦場で役に立たんタイプだな。
まぁ今はそんなことはどうでもいい。問題は王女様だ。
夜の間に脱走?そんなことが可能だろうか。王女様は病こそ抱えておられないものの、箱入り育ちと言っていい。陽を浴びるために外出なさるとしても庭が精々のところだ。3階の部屋の窓から降りるなどという芸当に及ばれたとは到底思えない。
……やはりまだ屋敷内にいらっしゃるのではないか?
そこまで考えて、ヴァリーは少し歯噛みする。自分も捜索に向かいたいが、上の立場の人間というのは闇雲に動けばいいというものではない。
為すべきことを成す。それが陛下へのご報告だった。
「失礼致します」
自らのノックの音が、やけに不吉なことの始まりのように彼には感じられた。