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幕間六 『少年Aの物語』

 ――完全に無意識のことだった。


 思考はむしろ加速していて、視界はやたらスローだったのに。

 何故自分がこんなことをしたのか、後になっても彼はよく分からなかった。


 トラックの運転手は眠たそうに見えた。周囲への警戒が完璧でなかったのは確かだろう。

 その男の子はきっと、向こう側にいる母親しか見えていなかった。急いで道路を渡ること以外頭になかったのだろう。

 彼はそんな光景を、第三者として見ていた。


 彼の名前はもう、『この世界』では意味がない。彼自身も忘れてしまったのだから。

 知る者のいないその名前の少年は当時中学二年生で、控えめに言っても覇気のある人物ではなかった。

 なにしろ中学生ではあるものの、中学校にはもう随分行っていなかったのだ。

 内向的な性格と肥満体型、お世辞にも良いとは言えない容姿が相まって、特に深い理由のないいじめの対象となってしまった彼が不登校になるのは当然の流れだったと言える。

 こうして外に出ることだって、彼にとっては珍しい。

 不登校がすなわち引きこもりになるわけではないが、知り合いに会いたくないという一点から、中学で不登校になれば部屋を出ることもままならない。これが高校や大学で登校拒否になるのとは違うところだ。


「コーラ切らすなって言ったのに……」


 唯一外出できる時間があるとすれば、それは平日の昼間。学校で皆が授業を受けている時間だけ。

 こんな時間に出歩いている子供は、本当に小さい子どもか、彼のような引きこもりだけだ。


 そう、全ては偶然だった。


「ダメぇぇぇぇ!!!!」


 子供の背はトラックの運転席から見るには小さすぎた。

 母親が叫んでいるのを聞いても、何事が起きているのか理解できなかったのも仕方ない。

 その車体に今にも一人の人間が撥ねられかけていることなど、分かるはずもなく。


「あれ?」


『一人の人間』は間の抜けた声を出していた。


 ――何やってんだ、俺は。


 彼に投げ飛ばされた子供は尻もちを突いていた。擦り傷くらいは負ったかもしれないが、それは勘弁してもらいたい。


 ――デブの俺にしては相当機敏だった方だと思うぜ。


 そんなことを考えていた彼の脇腹を、今までの人生で経験したこともない衝撃が襲った。


 ――飛んでるよ、俺。


 彼の体は宙に浮いていた。このままだと数秒後にどこかに叩きつけられるのだろう。


 ――まぁいいか。どうせゴミみたいな人生だったし。最後に子供一人助けられて、万々歳だろ。


 生きていても良いことはないと、彼は常々思っていた。自殺しようと考えたことだって何度もある。

 惰性で何となく生きてきたけど、これからの人生に希望なんて持てない。


「そうだよな、こんな……こんな、俺なんて……」


 生きていたって。

 仕方ない。

 それはそれで、嘘でも何でもない感情だったのに。





 ――死にたくない。

 そう、思ってしまった。

 理由は家族でも、そもそも存在していない友人でもなく。

 ライトノベルだった。


 ――お気に入りのライトノベルには、まだ続刊のものだってあったのに。

 もう続きが読めないことが、ふいに悲しくて仕方ない。

 いや、それだけじゃない。

 それだけじゃなくて。


 ――もっと。


『うまくやりたかった?』


 その時、彼の頭に響いた声をどう形容すれば良いのだろう。


『どんな人生が良かった?どんな自分が良かった?』


 幻聴と言うには、やけにハッキリと聞こえていて。


『どんな風に、やり直したい?』




「……イケメンで」


 だから彼は、素直に答えてしまっていた。

 今一体、飛んでから何秒経ったのだろうとか、あと何秒で地面にぶつかるのだろうとか、そんなことは頭から消えていた。


「家が金持ちで、コミュ力があって、運動神経も悪くなくて、頭も良い。周りには幼馴染の可愛い女の子がいて……こんなくだらない人生のことなんて全部忘れて、幸せに生きるんだよ。あぁそうだ、何なら能力者になってもいいな。異世界とかでさ」


『……じゃあ、そうしようか』


「……え?」


『でも、僕はね。君が魔王を倒せるとか、思ってるわけじゃないんだ。だから、そんな使命すら忘れてくれてもかまわないよ。ただこれは、僕の趣味なんだから。あ、そうそう。でも君の要望は、一つだけ叶わない』


「何を……」


 言っているのか、全然理解できない。ただ少年はその時になってようやく気がついた。ここが、既に道路などではないということに。


『君は弱いから、何もかもを忘れたってきっと幸せにはなれないよ。人の本質はそうそう変わらないんだ。どうせろくでもない人生をもう一度送ることになる。僕はそれを見てバカにするんだ。ざまぁみろってね。それが僕の趣味だ』





 ――少年Aの記憶は、そこで途切れた。

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