第五話 『化かし合い』
4日後、俺はシーズに案内されてフルース家の屋敷を訪れていた。
貴族の屋敷に『正式な形で』入るのは初めてだから、礼儀作法とか大丈夫かと緊張する。一応、使いっ走りとはいえ王家の血を引く者の伝令役だ、粗相を働くわけにも行かないだろうし。つっても俺はこの世界の作法など分からない。地球のテーブルマナーと同じでいいのか?と考えたって答えは出ないし、出たとこ勝負になってしまう。
その不安は家の前に辿り着いてから余計に増幅した。何だこれ、思ったよりデケェ。この間泥棒に入った屋敷の倍くらいあるぞ。かなりの金持ちだなオイ。ケッ、資本主義の奴隷め毟り取ってやる。
……あれ?いつの間にか不安が怒りに変わっていた。うん、これなら大丈夫だな。
「こちらです、どうぞ」
「あぁ」
メイドが並んで頭を下げるという感動的な玄関を抜け、案内されたのは居間だろうか。
いかにも貴族感のある長机にシャンデリアという、テレビで見たことあるぞって感じの部屋だな。
「ようこそいらっしゃいました。私は当主のザレン・フルースと申します。さぁ、どうぞお座り下さい」
そのお誕生日席に座っていたのは年配……というほどでもないはずが、年よりも老けて見える男。この世界、というかダスキリアではまず見ないスーツのような服を着こなしている。
その男は一挙手一投足から俺のような人間とは違う育ちの良さが滲み出る所作で、対面の椅子を指す。
「はい」
俺はそれに従い何も考えず席についたが……。
「それで、こちらが自らの家にまで招いたにもかかわらず、そちらは使いの者。これはどういうことですかな?」
先制でいきなりパンチをかまされた。
「お言葉ですが、私が仕えるお方は自ら身動きが取れない状況故、このような交渉に臨んでおられます。ご自身でここまで足を運ぶことが可能であれば、そもそもこの商談自体が存在しないかと」
けどまぁ、これくらいなら想定内。
「成る程。仰る通りですな。これは失礼」
ザレンはあっさりと矛を収めた。今のはこちらを試す程度の意味合いだったのか。
しかし、それでこのやり取りは終わらなかった。
「ふぅん、本当に?」
声を発したのは、この場に最も不相応に見える男。いや、男というよりも男の子と呼ぶ方が分かり良いかもしれない。
それは美しい銀髪の少年。フルース家の当主の隣に当たり前のように座っていたが……跡取り息子か?にしても、何故この交渉の場に?と思わざるを得ない若さだ。
その男の子は堂々たる様子、それでいて状況を面白がるような適当さで言葉を続ける。
「本当に、公国の隠し子なんているの?」
「それは、どういった意味でしょう?……お坊ちゃま」
少し悩んで、お坊っちゃまと呼ぶことにした。他に思いつかなかったからだったのだが。
「お坊ちゃまはやめてくれ。僕はカレオ・フルース。そこに座っている無能な置物なんかよりも、よっぽど話がわかる男だよ。君が今話すべき相手は、僕だ」
その呼ばれ方は気に食わなかったようで、すぐに訂正を要求された。いや、それだけではない。自信満々に主導権を握りに来やがった。
しかしどう見たって風貌は小学生か中学生だ。単に身長が低いという意味ではない。背が低いだけの大人と本当の子供では顔の作りが違うというのは、恐らく日本でロリ系AVを見たことがある人間なら皆ご存知だろう……や、俺はロリコンじゃないから見たことないけど。ホントダヨ?
ま、まぁ何にせよ若いことは間違いない。そんなガキがいくらなんでもこの重要な話の当事者で良いのだろうか?
「息子の言うことは本当です」
「……は?」
俺の疑念を読み取ったのか、フルース家の当主である父親がおずおずと口を開く。
「息子は非常に優秀で、実質的に我が家の政務を取り仕切っています。お恥ずかしい話、もはや私のみの承諾では何も動かない状態ですらあるのです」
なんだそりゃ、腑抜けた当主だなこの男。先ほどの老けて見えるという印象は、もう現役を退いているという現状に起因していたのかもしれない。
あ、そういやフィーコが言ってたな、フルース家には天才少年がいるとか何とか。しかし、よもやそこまでの権力を持っているとは思っていなかったが。
「成る程。では、カレオ様にお聞きしますが、何故そのようなお疑いを?」
「おいおい、バカにしてるのか?普通にあんな手紙が来たら疑うだろ?逆だよ。証明責任はそっちにある。何とか僕を納得させてみろって話だ」
へぇ、確かにそいつは正しいね。
「では、何でも質問して下さって結構です」
「何でも?」
「はい。グニエスタ公国について、あるいはその王家の血を引く私の主人についてでも」
「君はただの使いっ走りではないのかい?」
「私は主人の身の回りの世話をさせて頂いております。ほとんどの事情は把握しているつもりです」
ほとんどどころか、全部嘘だが。
まぁ任せろ、嘘の整合性は取ってみせる。
「ふぅん。なら訊くけど……」
そして、化かし合いが始まった。
「まず一つ目の質問だ。何故当家を選んだ?」
まぁその質問は来るわな。
「経済的余裕がまず第一の条件でした。それに加えトール王国での名声。この二つから割り出した結果がフルース家です」
「つまり、その二つさえ満たされればそれで良かったと?」
ん?これは……?
よし、先手を打ってみるか。
「……正直に申し上げれば、そういうことになります。ですので、他の大貴族の方にも援助をお願いしたことは事実です」
「へぇ、あっさり認めたな」
カレオは少し感心したように言う。やっぱり、他にもこの手紙が出回っているという情報は得ていたのか。
ここで『御社が第一志望です!他は受けていません!』などと嘘をついたら信頼関係に傷がつく。つーか、ただでさえ怪しいのにこれ以上怪しくなるのはマズい。
「しかし、我々のお話を聞いて下さったのは貴方がただけです」
縋るように言う。これは嘘ではない。実際縋っている。
嘘なのは、それ以外の全部だ。
「ふぅん、つまりそれだけ怪しいということだろう?」
「それは認めざるを得ません。特に、こちら側の不手際もあって……」
「不手際?」
カレオはまだ幼さの残る……というより幼さしかない顔を少し歪める。
あれ?……『届いてない』のか?
だったら失敗だ。これはヤバい。誤魔化さなくては。
「手紙の文面です。アレでは悪戯と思われても仕方ない。詳しいことがまるで書かれていないわけですから」
「あぁ、だがまぁ、それは仕方なかろう。僕だってあれ以上のことを手紙に書けとは思わないさ。国の内情を手紙なんかで書けるわけがない。そんなことしていたら、むしろ僕はこうして会ってさえいないよ」
「……お気遣い感謝します」
ガキとは言え、やはりそれなりに頭が切れるな。
これは面倒になりそうだ……。
やはり風呂は良い。俺は日本でニートをやっていた頃から、風呂は毎日入ると決めていた。いやそんなの当たり前なのだが、案外部屋から出ないとなると風呂も入らなくていいんじゃないか?みたいな輩は多い。しかしそれは人としてどうなのだ?少なくとも日本人としてどうなのだ?と常々思っていた。ノージョブという最悪な肩書を棚に上げて思っていた。第一、こんなに気持ちいい風呂に入らないという選択肢自体が分からないのだが。
「ふぃ~……しかし、あの小僧め。中々手強いな」
あの後、質問攻めにされた俺は、何とか脳内で嘘をでっち上げて対応し続けた。
一応、それなりに誤魔化せたと思うのだが、かなり鋭くヤバいところを突いてくるせいで焦る場面もないではなかった。
まぁ、延々と夕方まで苛められたおかげで、風呂に入って行ってくれという話になったのだからその点は感謝している。
「生き返るなぁ……」
貴族の家だ。当然浴室も広い。いつも行っている銭湯ほどではないが、逆に言えば銭湯と比較しようと思うくらいには広い。当然、銭湯と違って貸し切りだしな。俺以外には誰も……。
「失礼します」
「えっ?」
誰もいなかった。過去形。
今はいる。現在形。
開いた扉の向こうには、桶とタオルを抱えたメイド服の女の子が立っていた。
「お背中を流しに参りました」
「おわあああああ!!何しに来た!!」
「ですから、お背中を」
「せ、背中くらい自分で流せる!」
俺は浴槽の端にかけておいたタオルを湯の中に引っ張りこみ股間を隠す。マナー違反だが、このままだとレギュレーション違反なのでやむを得ない。いや何言ってんだ俺は?
え、何この唐突な逆ラッキースケベ。なんだこれは。おかしいだろ?ていうか、女性側が平然としすぎじゃないか?ていうかメイド服だし。せめてタオルを巻いて来るべきでは?いや違う!そうじゃない!
「そうは参りません。お客人を招いておいてその程度のもてなしも出来ないとなれば、フルース家の名折れです」
うわぁ、梃子でも動かなそう……。
「わ、分かった。分かったからちょっと向こうを向いてろ」
湯から上がり、腰にタオルを巻き付ける。これでまぁ一応……。
「もう宜しいですか?」
「あ、あぁ。今そっち行くから」
俺はシーズに近付き、前にあった椅子に座る。
流石に風呂は浸透していると言えどシャワーはないので、流す時は桶でお湯を掬ってだ。
「では、お背中を」
「はい」
思わず敬語になってしまった。
背中に泡立てられたタオルが触れる。なんだろう、この不思議な感覚は。
誰かが触れていることが変な感じというよりも、力加減を自分で調節できないのが何とも言いがたい感覚の正体な気がする。
「加減は如何でしょうか」
「はい、大丈夫です。はい」
正直に言って、上手いのだと思う。くすぐったさはどうにもならないものの、強すぎず弱すぎず、なんというか人を不快にさせないタッチだ。
タオルと肌が擦れる音だけが浴場に響く。何か、物凄くイケナイことをしている気分になる。そう、この感じは確か、親の金でソー……。
「うわあああ!!」
「ど、どうかなさいましたか?何か問題があったでしょうか?」
「い、いや……この状況のヤバさを再認識してちょっとあの、そう。まぁ大丈夫です……ていうかもうオッケーっす。綺麗になったんじゃないすか?」
「そうですか……」
「なんでちょっと悲しそうなんだよ」
「いえ、なんだか楽しくなってきていまして」
「人の背中を擦るのがか?」
「はい。前もやりましょうか?」
「い、いい!向い合ってタオルで擦られるとか気が狂いそうだ!」
なんという恐ろしい提案、それはもうとんでもなく無理だ。ムリムリのムリ。
「あー、なんだ。ありがとよ」
桶のお湯で背中の泡を流されながら、その音で消えてくれてもいいんだぞ?と思いながらボソリと呟く。
「いえ、メイドの勤めですから」
バッチリ聞こえちゃってた。まぁいいや。
「そうか。なら良かった」
「良かった?」
「あぁ。個人的な好意とか言われたら、借りを作ったことになっちまうからな。メイドの職務なら問題ない」
「……そんなこと仰る方、初めてです」
ポーッとのぼせたように呟くシーズ。頬が少し赤く染まり、なんというかその、色っぽい。うん、危険だ。なにせ今俺の下半身はタオル一枚だからな。
「上がっていい?」
俺はムードをぶち壊してでも一刻も早く風呂から出たくて、逃げるようなことを言った。




