幕間一 『開戦の狼煙(ゲームスタート)』
「父上」
今世界で最も忙しい貴族と言えば、誰もがこう答えるだろう――ヴァレルシュタイン家だと。
理由は単純。他の貴族は仕事などしていないからだ。唯一、現在方々から舞い込んでくる膨大な雑務に追われる事態に相成っているのが、この家だというだけのこと。
ある意味そんな忙しさの元凶とも言える勇者ギルフォードは、あくまでも慇懃に自らの父親に声をかけた。
「どうした?」
父上と呼ばれた男――ハイシェル・フォン・ヴァレルシュタインはそれでも疲れを声に滲ませてはいなかった。それは彼がひとえに有能であり、かつ剛健であったからに他ならない。
彼の体躯は明らかに貴族のそれではなく、下手をすれば魔王討伐を成し遂げた勇者よりも強靭にすら見える。
ギルフォードは勿論目の前の男が発する暴威を怖れているというわけではなかったが、彼をして気圧されそうになるほどの威圧感をハイシェルは放っていた。
「いえ、実は……先日と同じ方からの手紙がまた届いて御座います」
「また?」
ハイシェルはわずかに眉をひそめる。
先日届いた手紙とは、グニエスタ公国の王家の血筋の者が不正に手に入れた金の両替に困っている……という触れ込みのものだった。
正直に言って、それなりに情報通であると自負するハイシェルも、グニエスタ公国の政治がそこまで腐敗しているとはついぞ聞いたことがない。
そもそも自らの根拠がほとんど書いていない文章には信憑性がなく、仮に本物だとしてもこのような相手と大きな取引に臨みたくはない……と彼は判断した。
しかも、こう何度も送ってくるか。余計に不審ではないか。
……と考えていたのだが、受け取った新しい手紙を読んでいる内に彼は大口を開けて笑い出さずにはいられなくなっていた。
「は、はははははは!!これは良い、なるほどな!!」
「父上?」
豹変したハイシェルに驚きを隠せずギルフォードは問いかけるが、大笑していた男は手を前に出し制した。
「あぁ、いい。心配するな、何でもない。さて……どうするかな?」
ハイシェルは顎髭を雑に撫でながら、人好きのする笑顔で呟いた。筋骨隆々の男がするには、その道化のような表情は似つかわしくない。しかし、そんな違和感を感じさせない何かが彼にあるのか、誰しもがこの男に気を許してしまいそうな剽軽さだけがそこにはあった。
ギルフォードはそれを見て、悟られぬよう軽く息を吐く。
――この顔だ。父上はこの顔が一番怖い。
「よし、少し出ようか」
「はい。どちらまで?」
「フルースのガキのところよ」
フルース?と内心ギルフォードは腑に落ちなかったが、どうせこの男に知恵比べで勝てるはずもないと思い直し。
「承知致しました。只今手配致します」
いつものように準備を整えることを伝えた。
「別にお前がワシの召使いじみたことをする必要はないのだぞ?手配などメイドにでも任せておけ、勇者様」
息子を勇者様と呼んでからかうハイシェル。それは彼なりの親子間コミュニケーションであったが。
「いえ、好きでやっていることですので」
それに対してもギルフォードは作り物のような顔で柔らかく笑い、踵を返してドアノブに手をかける。
彼にとって、倒せない敵は存在しない。
ただ、敵に回したくない男はいる――今、彼の真後ろに。




