第十話 『勇者なんかじゃないけれど』
「ヤバいな……近付いて来てる気がする」
俺たちは廃墟の一室に身を隠していた。
「分かるのですか?」
フレアはようやく少し回復したのか、手足を伸ばしたり曲げたりと動作確認を行いながら俺の言葉に反応した。
「一度アイツらの魔力を『視た』からな。ある程度は感知できる」
「それじゃあ、逃げられるかもしれないのですね?」
「いや、そう単純じゃない。奴さん、無意味にその辺で力を使ったりしていないからな。感知できる魔力が薄れてきてる。残り香で辿ってるような状態だ」
「そう、ですか……」
「さて、どうしたい?」
「え?」
壁に寄りかかったままのフレアに尋ねる。
「お前は俺にどうして欲しい?」
「……これ以上、巻き込むわけにはいきません」
「バカか。もう巻き込まれてるだろ。手遅れ過ぎる」
「う……」
ま、アイツらの狙いは俺にないみたいだから、皇女様を差し出せば見逃してくれるのかもしれないが。でもそれは俺らしくない。だってそれじゃ、何も手に入らないじゃないか。
「それに、さっき少し見せてやっただろ?本気を出せば俺は強い」
「それは……そうかもしれないですけど」
「二対一とか、そんなの問題にならんぞ。圧倒的だぜ?いや、これマジ」
本当に俺の台詞が雑魚っぽい。最悪だ。
何とか挽回したい。ほら、こういう適当な感じのヘラヘラした奴が実は強いっていう展開。それならアリだろ、うん。
「……勝算が、あるのですね」
「ある。負ける要素がない。第一、もっと言えば、関係ないんだぞそんなことは」
「どういうことですか?」
「俺が強いかどうかなんて訊いてないんだよ、お前がどうしたいかを訊いたんだ。言ったろ?自分で物を考えろって」
「自分で……」
俺の言葉を聞いて、フレアはじっと考え込む。あぁ、嫌な予感がする。そういう表情をしている時のお前は、ロクなことを言い出さない。思考を悪い方に空転させているのが手に取るように分かった。
そして、フレアは。
「それ、なら……」
ゆっくりと口を開き。
「……助けて」
掠れかけた声でそう呟いた。
それは余りにも弱々しく、今にも消えてしまいそうなほどに儚い。出会った頃に戻ってしまったかのようだった。
だから、俺は。
「助けない」
そう断言した。
「え……?」
そんな、蜘蛛の糸が切れたみたいな表情をされても、俺の答えは変わらない。
「助けない。やっぱりお前は甘ちゃんだな。無償で人助けとか、そんなことやるのは勇者だけだぜ?そして、俺は勇者なんかじゃない」
そのジョブには出遅れてしまった。
出遅れてしまって、手遅れだ。
『助ける』というのは対等じゃないのだから、勇者以外はやりゃしない。
「けれど」
そう、けれど。
「奪ってくれと言うのなら」
搾取が一方的な支配なら。
奪うというのは、対等関係における勝利。誰かを出し抜いて手に入れるということ。何のために?決まってる、自分のためにだ。
「お前が、その口で。『奪ってくれ』と俺に頼むと言うのなら」
フレアが、自分のすることから目を背けないのなら。
俺も、今の自分から目を背けるようなことはしない。
「必ず奪ってやる。任せとけ」
俺のジョブは、盗賊だ。だから、奪えと言うのなら、どんなものだって奪ってみせる。
数秒後だったのか、あるいはもう少し経ったのか。
フレアはもう一度、口を開いた。
「……って」
それはさっきと同じく、囁くような声量。
「なんだって?聞こえないな」
「……奪って、ください!」
けれどさっきと違って、魂の籠もった『おねだり』。自分の口を開き、自分の心の赴くままに、自分の頭で考えて。
ハッキリと彼女はそうねだった。
ならば、俺はアンタと契約をする。
「承知致しました、お嬢様」
さぁ、逆襲の始まりだ。
「よう、追いかけっこはオシマイか?」
あれから、俺はフレアをもう一度抱いたままチンピラ二人の前に出て行って、街を逃げ回って鬼ごっこをしながら、ダスキリア郊外にある無駄に広い荒野へと連れ出した。
……ここは元々、森だったんですけどね。
しかし彼らは走り回って疲れたのか、ようやく俺が止まって向き合うと剥き出しの怒りでお出迎えられたという次第。
「雑魚のくせにちょこまかと逃げ回りやがって、あぁ?」
笑えるほどに三下な台詞を吐くね。あぁ、何もわかっちゃいないなコイツらは。
「逃げる?おいおいバカなこと言うなよ。俺は『逃がし』てたんだぜ?町の人達を巻き込まないようにな。ほら、一応こう見えて俺勇者候補だったから」
首を一周回す。久しぶりだから鈍ってなきゃいいんだが。
「は……はははははは!!!バカはテメェだろうが!なんだ?勇者候補?本気を出すためにこんなとこまで来たって?……ふざけるな!!」
何が逆鱗に触れたのか、激昂と言って差し支えないほどに背の高い方が声を張り上げた。
しかし俺は動じない。いや、動じているとも言えるな。何故なら、こんなにも。こんなにも気分が高揚しているのだから。
「本気か。確かにそうだ。俺は本気を出さなきゃならない……本気で手加減しないと、お前達を殺しちまうからな」
「……一つだけ訊く。皇女様はどこだ?」
「何故お前らに教えてやる必要があるんだよ。あの辺の岩陰」
「教えんのかよ!」
あ、ヤバい。言っちゃった、てへ。
「どこまでもフザケた野郎だ。いいぜ、もう一度……」
いや、もういいから。そういうつまんない話は。
「『高重力』」
次の瞬間、起こった出来事は単純。
凄まじい轟音と共に、ダラスとカイルの周囲が円形に崩落した。
「……は?」
余りの光景を理解出来ず、ただ唖然として声を漏らしたのはカイル。
たったの1秒で、自分たちが立っている僅かな足場を覗いてドーナツ状の穴が開いたのだから、仕方ないかもな。
「な、んだよ。これ……」
否、それは穴というよりも、谷と呼ぶのが相応しい。奈落の底は到底見えず、永遠にしか見えない闇が広がるばかり。落ちる――というのは、これもまた人間の本能的な恐怖だ。猿から進化した人間が高所恐怖症になるのは不思議な話のように思えるが、これはむしろ当然。人間は猿と違って『落ちない』ための機能を有していない。故に、墜落に対する人間の恐怖は正しく。谷を目前にした彼らが声も出せなくなったのは何もおかしなことじゃない。
「もう一度何だって?こうやって使うんだぜ、このスキルはよ?」
その異常を顕現させた張本人は……まぁ俺なんだけど。
何だよ、この程度。大したことじゃないだろ?
「お次は……『獄炎』」
ゴゴゴゴ、という地鳴りのような音とともに、次の一手を発動。
ドーナツの穴の部分……と言っても、今の穴は普通のドーナツと逆の外周部分だが、そのリングにマグマを注ぎ込む。コップに水を入れるくらいの気軽さで。はい、マグマプールの完成です。泳いでもいいんだよ?見れば、グツグツと煮えたぎる音は余りにもリアルだ。まるでここが地獄なんじゃないかとすら思えてくる。
うん、中々の傑作。
「な……何なんだよお前!」
高い方が混乱の極みの中で俺に問うた。低い方は腰を抜かして地面に女の子座りしてしまっている。いや、そういうアピール要らんから。
「勇者になり損ねた男だって」
「やってることが全然勇者じゃねぇよ!?」
「るせぇな。ほら、跳べよ」
「……は?」
何を言われたのか全く分からないという様子で高い方は言葉を失った。
「だから、跳べよ。そのマグマの中に跳び込んだら命だけは許してやるぞ」
仕方ないから分かりやすく、マグマの流れるプールを指差しながらもう一度命令してやる。
グツグツ。いやぁ、良い音してるなぁ。
…………。
「跳べるか!!死ぬだろうが!!」
「大丈夫大丈夫。それ幻だから。入っても死なねぇから」
「嘘を吐け!熱いんだよ!ここがもう既に死ぬほど熱いんだよ!」
放心状態にあった低い方も完全に素でキレてくる。何か、ツッコミ芸人っぽいなこの二人。
「あー、何だ?あれだよ、幻覚だよそれも。何か熱く感じるやつ」
「騙すならもうちょっと真面目にやりやがれ!」
「だー、黙れ。黙って跳べ。ほら、とーべ!とーべ!」
俺はパンパンとリズムに合わせて手を叩いた。
「……こんな勇者がいてたまるか」
高い方……あぁもう面倒だな。
「おいお前ら、名前何?」
「あ?」
「だから名前だよ名前。ほら、二人共自己紹介」
この状況で何を言ってるんだコイツは?という目で俺を見る二人。仕方ないだろ、脳内で高い方とか低い方とか言うのダルくなったんだから。
「……俺がダラス。こっちがカイル」
結局、高い方のダラスが教えてくれた。なんだ、案外いい奴じゃん。
「あ、そ。じゃあダラス君とカイル君」
俺は覚えたばかりの二人の名前を呼んでから。
「手伝ってやるよ」
「え?……うおっ!」
一足で跳躍し、二人が立ち尽くしているドーナツの中心に。
「うわ、なんだここ。熱ぃなあ」
「だからそう言ってるだろ!」
俺の突飛な行動や言動にもきちんとツッコミを入れてくれるな、コイツ。嫌いじゃないぜ。だからまぁ、命だけは獲らないでやる。
「まぁ、俺はまだいいか。お前らはこれからもっと熱くなるんだし」
「へ?」
俺は両隣のダラスとカイルの背中を。
「ほれ」
ポン、と押した。
「う、うおおおおお!?」
「ぎゃああああああ!!」
二人はマグマ……じゃねぇ、マグマの幻に向けて頭から落ちて行く。
「し、死ぬうううう!!……え?」
「ああああああああ!!……な?」
「大丈夫だっての。『創聖水』」
ポチャン、と。マヌケな音を立てて二人が水に沈んだ。
「な?問題なかっただろ?はい、お疲れ様でした」
いや、1秒前まで実はマグマでしたけどね、ええ。ふぅ、楽しかった。さてと……。
「あれ?」
「が、ぐはっ!?」
「く、クソ……!」
どんな顔をしているか拝んでやろうと思ったら、二人組は何故か溺れていた。
「あれ、お前ら泳げねぇの?」
「違ぇ……あ、クッ、こ、これ……」
確かによく見れば、泳げなくてもがいているというよりも、水そのものから逃れようとしているような……。
「あ?お前ら、魔族?」
「せ、正確には……ゴフッ、半分……」
「ふぅん」
律儀に答えてくれたカイルのつむじを眺める。
あぁ、コイツもう大分判断能力がなくなってるな。そんなに辛いものなのかね、魔族に聖水ってのは。
「悪いねぇ。俺、マスターランクのスキルしか使えねぇから。勝手に聖水になっちゃうんだよね」
「そ、んな訳ねぇだろ……普通、マスターまで使えりゃ……他のだって」
「マジ?じゃあ試してみるか」
手のひらをアドバイスをくれたカイルに向かってセット。
「あ、バカやめ……」
「えーと、『創水』」
次の瞬間。
凄い勢いの水がカイルの顔面を抉った。とてもじゃないが初級スキルには見えなかった。
「ブォッ!?……ごほっ、ゴホッ!何しや……しかもこれ、聖水……」
「やっぱ使えねえじゃん」
いや、知ってたけどな。使えたら苦労してないし。
……あ、溺れた。ヤバいなこれ。死んじゃうかもカイル君。
「テメェ……絶対許さん……」
「おお怖い……ほら」
俺は残っていた方……鬼の形相で睨みつけてくるダラスに手を伸ばす。
「何の……真似だ」
「人間ってのは助け合いだぜ?ほら、捕まれよ」
「助けも何も……テメェが……ゴホッ!」
何だかんだ言いながら、溺れる者は藁をも掴むというやつか。ダラスは俺の手を、右手で掴んだ。
それはまるで友情の証のような固い握手。そう、戦いの後に芽生えるのはいつだって憎しみだけじゃない。俺たちは、手と手を取り合……。
「これ、貰うな」
……わずにダラスの右手の指から指輪を抜き取った。
元はと言えば、濡らした方が取りやすいかなーと思ってこのプールに泳がせたのだった。
「あっ、テメェ!……オブッ!?」
「や、もう用済みなんで。さよなら」
まだ惨めにも縋り付いてくる手を俺は蹴り飛ばした。
人が沈んでいく様は、なんか滑稽で面白いなって思いました。まる。




