第一話 『その日、俺は運命に遅刻した』
『て……れ……』
楽器のような声だった。単純に綺麗だとか可愛いだとか、そういうことではなく。
『……れ……たい…す……へ』
ひび割れて、ノイズが入ってよく聞こえないにもかかわらず。耳にずっと残るような、美しい音色。それは嫌気が差すほどに荘厳。まるでそう……神様のような。
その声を聞いて、俺は。俺は……。
「……ん」
最初に見えたのは空だった。横に視線を移し、次に見えたのは石造りの建物。一人分のスペースしかないような狭い路地裏で俺は目を覚ました。
「お……?」
なんかいつもの景色と違うぞ。というか……。
「……暑い?」
気温が高い。ん?今って夏だったっけ?あれ、今日って何月何日……。
「って、おお!?」
俺は自分が今、『外』にいるという事実に気が付いて、さっきから硬くて背中が痛かった地面から跳ね起きる。
俺が寝ていたのは石の上だった。柔らかいのか硬いのかもよく分からない謎の物質で出来た地面ではない。
「太陽……太陽だ!」
久しぶりの自然な陽光に思わず目を細めてしまう。
外。あの頭がおかしくなりそうな真っ白の空間じゃない。
そうだ。俺はあの最後、もうこれ一人で戦う敵じゃねぇだろこれみたいなレベルに巨大なドラゴンを倒して、突然気を失ってしまったんだった。そうか、アイツがラスボスだったのか。
「うおおおおお!!やりきった!!やりきったぞ俺は!!」
半身だけを起こした状態で両腕を上げてガッツポーズし、力の限り叫ぶ。
レベルカンスト、スキルコンプ、ステータス抜群のチートになった。……とかそんなことはどうでもいい。
「終わった!終わらせたぞあの地獄を!ざまぁ見ろクソ神様!!」
最低最悪のレベル上げ地獄が終わったということだけが嬉しかった。それしか頭に浮かばなかった。
もうここで俺のゲームは終了したような気がする。クリアで良くね?
ひとしきり雄叫びを上げた後、そう言えばそんなのもあったなぁ、って感じのノリでとあることを思い出した。
――魔王を倒すという使命とかあったなぁ。
ぶっちゃけもう完全にそんなこと興味ないのだが、ストレス解消のためにどっかへ魔法をブチかましたい。そう、とにかく強いやつを。何にしようかな~?『高重力』か?それとも『獄炎』か?思いっきり使って一撃でぶっ飛ばしてやるぞ魔王とやら。今の俺に敵はねぇ!
カラオケに行くくらいの気分で魔王討伐を決意した俺は、まず情報を集めてみようと思い立った。魔王城がどこにあるのかも分からないし。
……と、方針を決めて立ち上がった時、ようやく周りが騒がしいということに気が付いた。俺のいる路地裏から少し先、おそらく大通りがありそうな方から聞こえるのは、大音声の歓声。
「なんだ?祭りでもやってるのか?」
まぁ丁度いい。人がいるなら話を聞かせてもらおう。
俺は少し頭を振って、光差す表通りへ意気揚々と歩みを進めた。
「お、おお……」
そこは写真のよう街並みだった。
コンクリートジャングルの東京とも違い、田畑が広がる田舎町とも違う。石造りの家々。溢れかえる露店。洋服と呼ぶには簡素な服を着た人々。行ったことないが、ローマとかに近いのだろうか。異世界というよりも、海外に来たような気分になる。
……いや、一緒か。今までの人生で知らなかった世界という意味では、どっちも似たようなものだな。
などと考えると感慨深いものがあったが、残念ながら浸っている間はなかった。
「よう兄ちゃんどうした?そんなところから出てきて!このめでたい日に路地裏は似合わないだろ?ほら、これサービス」
細い小道から抜け出た瞬間、ガタイの良いオッサンからいきなり早口でまくし立てられたからだ。
「うおっ……」
と、ついでに差し出されたのは……ビール瓶?
「い、良いんすか?売り物ですよね?」
「おうよ。こんな最高の日に金なんて取る奴はいないぜ!」
そう言って満面の笑みでバシバシと俺の肩を叩くオッサン。酒屋なのか、台車に大量のビールを詰め込んで氷で冷やしていた。これを配って回ってるのだろうか?
……ていうかなんだ?妙に馴れ馴れしくね?この世界ってこういうノリ?俺やっていけるのか?
「いやあの、何かあったんですか?」
好きじゃないからあまり飲みたくはないんだが、ビールを一応受け取りながら尋ねる。
するとオッサンは驚天動地という顔をした。マジで顔にそう書いてあるみたいな表情だった。
「知らねぇのか?勝ったんだよ俺たちは!」
「買った?」
何を買ったんだ?などと呑気に考えながら、ビールに口をつける……うわ、異世界でもやっぱりビールはビールだよ。苦いって。よくこんなのガブガブ飲む奴いるよなぁ……。
なんて、どうでもいいことを思っている俺を差し置いて。
『かった』の微妙なイントネーションの違いにも気付かないほど興奮した声で。
「あぁ!勝利だ!勇者様が魔王を倒してくださったんだ!」
オッサンは、天に向かって叫ぶように声を張り上げた。
「……どういうことだよ」
どんちゃん騒ぎが続く表通りから逃げ出して、最初の路地裏に戻ってきた俺は、一人で陰鬱に丸まっていた。
冷めた心には周囲の熱気が鬱陶しかったから。
「おかしいだろ!なんで魔王が討伐されてんだよ!話が違うじゃねぇか!」
何のための修行だよ!何のための特訓だよ!何のための最強だよ!
「おい神様!答えろ!」
俺の声は虚しく響くだけ。いや、響きさえしない。楽隊のラッパみたいな音に掻き消された。どうやらパレード中らしい。くたばれ!
「待てよ?最後に何かあのクソ神様がボソボソ言ってたような……」
確か『…お…れ』とか何とか。
全体的にノイズがかかっててよく聞こえなかったのだが。
「思い出せ……、そうだ。こんな感じ」
『手遅れみたいです、てへ』。
「てへで済むかバカ!!」
言ってたよ!手遅れとか言ってた!こういうことかよバカ野郎!
つまりアレか?俺が呑気に一ヶ月……いや本当は3年だけど、とにかくのんびり特訓とかしてたから?その隙にうっかりこの世界の勇者が普通に魔王を倒してしまったと。
「ざけんな!クーリングオフだ!」
俺を元の世界に返してくれ!
……返事なし。やっぱりこっちからは干渉できないらしい。
そもそも、よく考えてみれば向こうの世界じゃ俺は死んでいる。言うなればこれは二度目の人生だ。もう一度生まれ変わらせろというのは無茶な願いといえば、そうかもしれない。
「にしてもこれは酷い」
いきなりこの世界でやるべきことがなくなったんですけど?
言わば、急に全クリ後のゲーム世界に投げ込まれたようなものだ。しかもクリアしたの俺じゃねぇし。
……なるほどな。
そう、一言で言うならば。
その日、俺は運命に遅刻した。
「……あれ?」
もーダメだ。これからどうしよう。
丸まるを通り越して路地でゴロゴロ転がらんばかりに死んでいた俺は、ふとあることに気がついた。
「待てよ、いっそラッキーじゃないか?」
魔王を倒すという危険な任務を負わなくて済んだんだから、のんびりこの世界でセカンドライフを楽しめばいい。
そうじゃん。何も問題ないじゃん。鍛え上げた最強のスキルとパラメータでモンスターを狩るも良し。異世界知識で大金持ちになるも良し。何故かわらわらと寄ってくる美少女たちとハーレムを築くも良し。
素晴らしき異世界転生人生の幕が上がったのだ!
「は、はははははっ!!よっしゃ俺はやるぞ!!」
やる気が漲ってきた。今なら何でも出来る気がする。
つい5秒前までうるさいだけだったパレードの音も、俺の門出を祝福してくれてるような気さえする。
立ち上がって拳を天高く突き上げ、とりあえず今日は背中から聞こえてくるお祭りに混ざってやろうかなと考えていると。
ざっ、ざっ、ざっと。誰かが後ろからこっちに向かって走ってくる音が聞こえた。
「ん?」
どうせそっちに向かうつもりだったので振り返ると、そこには。
「……っ!」
女の子。もっと言えば……泣いている女の子。
くすんだ緑色の目立たない服を着たその子は。何かに怯えるように。何かから逃げるように。あるいは、何かを振り払うように。目に浮かんだ涙を拭うことさえせず、一心不乱に走っていた。
それを俺はボーッと見送って……じゃねぇ!
声をかけなきゃいけない。
そうだ、俺は異世界転生初日。泣きながら俺にぶつかってくる女の子。明らかにこれはフラグだ。任せておけ、バッチリ回収してやる。俺は人助けとかそういうことをするタイプでもないが、可愛い女の子だらけのハーレムを築くならまずは手始めだ。
「お、おい。どうし……!」
俺はこの時、女の子の涙に動揺しながらも、そんなドラマティックな展開に思いを馳せていたように思う。
まさしく道化の極みである。何故なら。
「……!」
「えっ?」
その女の子は俺を一瞥しただけで、トップスピードを落とすことなく走り去ってしまったのだから。
俺は呆然と女の子を見送り、冷静に思い出していた。
劇的な出会いなんてそう簡単には起こらない。だってこの世界は劇じゃないんだから。
ていうか、当たり前じゃねぇか。なんで走ってる人間が、見ず知らずの人間が棒立ちしてるのを見て止まるんだよ。ぶつかるとかもあり得ないだろ普通に。前見てたら当たるわけねぇよ。
そんなことを考えていたら、さっきまでの万能感は残念ながら霧散していた。
時間にして5秒に満たないくらいだったとは思う。
いやそれぐらいだと思わせてくれ、頼むから。
ピヨり状態から回復した俺は、一応女の子を追いかけた。
しかし致命的なタイムロスと土地勘ゼロという当然の問題点により、見つけることは叶わず。仕方ないから……あっさり切り替えてパレードに臨むことにした。
いや気に病んでも無意味だし?見つからないんだから無理だし?というか特に俺あの子と関係ないし?可愛かったからモノにしてやるかくらいの勢いだし?
うん、ちょっとテンションがおかしくなってたな。
どう考えても俺は知らない女の子に手を差し伸べるタイプではなかった。むしろそういうの嫌いだ。お礼を前払いでくれるなら考慮するけど。
あー、何もなかった何もなかった。
さてと。
「まずは腹拵えだな!」
若干モヤッとした気分を払拭するために、俺は飯を食いに行くことにした。
「ご馳走様でした」
異世界の飯は思ったよりも普通だった。というかむしろ、高級料理的だった。
どうやらここは王都であり、普段は一般人は入れない場所らしい。今日は例のお祭りのおかげで開放されているだけのようだ。
そのせいか、料理屋もやたらと高級志向感漂う店ばかりだったのだ。テラス席のあるまだ軽そうな店に入ったのだが、それでもフランス料理みたいな料理名が書かれてて一瞬気が遠くなったぞ。
……やたら変なメニューがあるのも見えたけど。何だよ、オークの肉って。それ本気で言ってる?食えるの?
まぁいずれチャレンジするのもありかもしれない。せっかく異世界に来た訳だし。
今日はいいや。もう満腹だから。ビビったとかじゃなないぞ?満腹なだけ。
「ふぅ、それじゃあ行くか」
と、満足気に立ち上がった俺は。
「お会計ですか?」
「……え?」
紳士的な態度の店員に引き止められ、ポカンと口を開けるハメになった。
「どうかなされましたか?」
「……金取るの?」
「はい。ベル銀貨で15枚になります」
「なるほどぉ、さっきのオッサンが超いい人だっただけかぁ……」
なるほどぉ、なるほどね。……最悪!!
どうする?俺の頭の中には一瞬で2つの選択肢が浮かんだ。
①謝る
②逃げる
どっちだ?どっちが正解だ?
今日はめでたい日だし、①謝れば許してくれるんじゃね?財布忘れちゃいました~!とかいう嘘を添えて。
待て落ち着け。こういう時は可能性で考えるべきだ。
通りはこの大騒ぎ、逃げたらまず捕まらないだろう。ついでに言えば店員も大勢の客を接客するだろうし、俺のことなんて明日には覚えてないんじゃないか?
よし、②だな。逃げよう。
……っていや違う!俺は服が現代服なんだった!目立つに決まってる!
そうそう。謝るしかないわ。大体逃げるとかありえねぇわ。悪いことをしたら謝る。これは人として当然。逃走とかいう選択肢が脳内に湧いてくる奴の気が知れない。
「すみません、実は……」
「ぎゃあああ!!」
俺が意を決して口を開きかけた時、右の方から急に叫び声が聞こえてきた。
思わず目線を移せばそこには……人が焼けていた。
「え?えええぇ!!」
俺の動揺と裏腹に、店員は落ち着いたものだった。
「全く……また食い逃げですか」
「また?」
「今日は王都が開放されているでしょう?卑俗な下賤の民が多く紛れ込んでくるようでして。犯罪者には『発火魔法』で対処させて戴くことにしておりますので」
「……」
マジで?無理だろ。だってあれ死ぬぞ?いや『治療魔法』が効くんだろうけど、怖すぎる。
え?もしかしてあれ、10秒後の俺か?このままだと俺もああなる感じですかね?
……②。
「あの、実は俺……逃げ足にゃ自信があるんです!」
「あっ……食い逃げです!『発火魔法』を!……何!?効かない?……チッ、追え!!」
店員の怒号を背に俺は本気の全力疾走を敢行した。
「はぁ、はぁ……」
ここまで来れば大丈夫だろ。
しかし、身体能力はどうやらちゃんと高いままみたいだ。あっさり逃げ切ることが出来た。ステータスは圧倒的な状態なのだろう。魔法も多分使えそうだな。とは言え。
「い、いきなり犯罪者になってしまった……」
やってしまった。ていうかこの強さならむしろビビって逃げる必要なんてなかった。食らっても割と大丈夫だったし……完全に裏目じゃん。
でもビビったんだから仕方ないだろ!!だって魔法とか初めて見たようなものなんだよ!!
あの真っ白な世界で俺自身嫌というほど使ったけど、あの中の出来事は夢みたいな感覚だし。途中からほぼ感情がなかったし。死んだ目をしながらモンスターの弱点だけを突いていく日々。
……だ、駄目だ!思い出すな!心が壊れる!
「と、とりあえず今日は大人しくしてよう。それで、大丈夫そうなら明日から活動しよう」
後は出来るだけこの辺りの地域から離れておこう。勇者になれなかった以上、王都なんかにいても良いことはなさそうだし。
こうして、俺の異世界転生人生はなんやかんやで最悪なスタートを切ったのだった。
……あのクソ神様、絶対許さん!!